幸福と退屈ー極私的幸福論

 最近、小学校時代からの友人と話す機会があり、会話をしていて考えさせられることがあった。彼は公務員であったが、ある事情で、定年3か月前で職を辞したが、さすが公務員、その後も民間企業に天下り的に入ったが、半年も続かず、次に入社した会社も3か月もたず辞めてしまい、現在無職である。話を聞くと、両社とも、私から見ると非常に条件がよいのである。私などにはなぜなのという思いがあったが、たくさんの退職金を貰い、自分のマンションを持ち、65歳になれば夫婦で月50万の恩給がでるという彼には、金銭的に困窮するわけでもないから、見きりをつけるのも早いのだろうと結論づけた。
私からすれば、これから、お金のことを考えずに、あふれるような自分の時間を持てるのだから、何てまー人が羨む幸福度の高さよ、と思うのだが、彼にはそうは問屋が卸さないらしいのである。まずは、よくあるケースだが、自宅に居る時間が多くなり、それと同時に奥さんとギクシャクしだし、最近はそれを避けるために図書館に行くようになったという(何と凡庸で典型的なパターンなのだろうか)。そんなことはどうにかなるのだが、まだ働きたいというのであった。働きたいといっても、人が羨むような条件の会社を二つも辞めたのだから、もう、この年齢では、単純軽肉体労働しか雇ってもらえるところはないよ、と言っても、ところが、自分の今までの身分が特殊なのだということに気づかず、その辺の想像力が混沌としていて覚束ないのである。
最近、このところ専門のロシヤ問題で浅薄さが露呈した元外交官で博覧強記などとマスコミにおだてられている佐藤優なる評論家が、高齢になっても元気なら、清掃や警備員、管理人でも、社会に関われる仕事をしたほうが良いなどと、ふざけたことを言っていたが、やはりこの人も公務員あがりの評論家、学者と同様、世間知らずの知識人なのだなと、日本の評論家もだんだん底が浅くなったなとつくづく思ったものである。
私は、50歳近くで経営する会社を畳んで、60歳まで単純軽肉体労働を続けて糊口を凌いできたが、この社会で生きていくことが如何に大変かを身に染みて分かっているつもりである。何か大変なのか? 労働自体そのものは大変ではないのである(一部キツイのはあるが)。ここまで身をやつしまった自分の心の整理と言わば吹き溜まり的空気の中で、自分と同じやつれた他者との関係に我慢し、反復繰り返しという仕事することの精神的苦痛に耐えることが大変なのである。それでは耐えて続けるためにはどうするか、同僚他者とは距離を置き、言われた仕事を黙々とやる、それ以上に絶対に欲<他者より能力がある>を出さないこと(それは辞める元をつくってしまう)。実はこう言った労働で、一番良いのは、お金のためでなく健康のためフィットネスクラブへ行く感覚で働くのが良いのだが、そもそもお金に困ってない人は、こんな単純軽労働はしないのである。社会などと関わるなどと、この評論家、おためごかしな頓珍漢なことを言っているが、その働く者(現場)のほとんどが(上層幹部は別だろうが)社会との関わりやコミュニケーションがイヤで、この単純軽肉体労働を選択しているのに、社会との関わりも何もないだろうに。ましてや友人のような公務員上がりでは続かないだろうと思うのである。
話があらぬ方向にズレてしまったが、考えるに、彼としては、すでに退職して何か月もたたないのに、今後ズーっと続くだろう自由な自分の時間をもてあまし出したのではないだろうかと思うのである。彼に訪れるかもしれない<退屈>という恐怖の予感を避けるために何かしなければという焦りが出てきたように思うのである。哲学者のショーペンハウエルは、幸福とは自由な時間があることだが、幸福の一番の敵は退屈だと言っていたように思う。その著『幸福論』の中で、親の莫大な遺産を相続した子供が、退屈の恐怖を紛らわすために、瞬間的な快楽に浸り、財産の全てを使い果たした話を語っているが、実はこういう人は歴史上にかなりいるのである。その財産を失った後も、彼は<退屈>からは逃れるが、豊富な有り余る自分の時間は失ってしまうのだろう。私は彼とは現在真逆で、借金だらけで、この先死ぬまで働いていかなければならず<退屈>などしてられないが、悲しいかな有り余る自分の時間はないのである。今一番欲しいものは何かと言えば、有り余る<時間>といえるだろう。そんな私が一番欲しいと思っている有り余る時間を獲得した彼が<退屈>という恐怖に怯えつつあり、有り余る時間を獲得できないでいる私には<退屈>さへないのである。それではそのどちらが幸福といえるのだろうか、何とも人にとって幸福とは難しい代物なのである。そして、現在、彼は「特殊な職業にいたのだから今までの自分の人生について何か文章化してみれば」という私の助言に目覚めたのか、毎日図書館通いをしながら、コツコツとパソコンのキーボードを打っているのである。

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