「オリエンタルシンキング」カテゴリーアーカイブ

オリエンタルシンキング⑥

<氣><縁><間(ま)>のトライアングル

はじめに

 かねがね日本文化について考えてきたが、<氣>と<縁>と<間(ま)>というキーワードを掘り下げることが、日本文化を解くために重要なのではと特に気(・)になるようになってきた。そこで、はじめにその動機を語ることから、この論考をスタートしたいと思う。

 <氣>については、以前()に触れているので動機自体は分かっていただけると思うが、<氣>の思想は、ご存じのように、中国の古代から続く、中国思想の要だったのであり、<人間の氣>から<自然の氣>へ、そして<宇宙原理の氣>へと壮大な高みへと向かっていったのだが、近代になり中国が共産主義(唯物思想)へと変貌していくとともに、伝統的な中国思想も否定され(文化大革命)、現在ではどちらかと言うと、太極拳等の氣功術や鍼灸や漢方の東洋医術の中に細々ながら、その思想が垣間見られる程度になってしまった。それでは日本ではどうなのか? まずは以下の日本語を眺めて欲しい。

天気、気候、空気、気体、元気、病気、精気、気合、気息、換気、気分、気色、雰囲気、気持ち、気を失う、気が遠くなる、気が短い、気が長い、気がきく、気が散る、気が違う、気をもむ、気に病む、気まずい、気を悪くする、気をつける、気になる、気が多い、気持ちいい、気持ち悪い、気のぬけた、気が合う、気遣う、気まぐれ、気が狂う他

 自然現象として漂う<氣>や人間の内部の心に近い<氣>まで、日本人の生の礎に近い言葉として<氣>は頻繁に登場する。ひょっとすると証明のしようがないが、日本人の会話や文章の中での頻出度が一番高いと言っても過言ではないのではと思う。<氣(気)>という漢字は、中国からの輸入なのは明らかである。それでは、<氣>なる概念は、漢字が輸入されて私たち日本人の前に立ち上がったのだろうか。それともそれ以前に、日本人の概念の中に<氣>に近い概念があり、それを漢字に当て込んだのか。今となっては分からないが、現在、私たち日本人が、この<氣>なる言葉を、このように頻繁に使用するのは、よほどこの言葉の概念のイメージが私たちの日本人の生活文化、精神にしっくりとはまったからだと言えるのではないかと考える。この論考では、中国の<氣>と日本の<氣>の概念を比較検討をしながら、日本人の<氣>概念が日本人の精神や行動規範を如何様に規定しているのかを明示するとともに、<氣>の全体像を明確化できればと思っている。
 次は<縁>についてだが、万物の生成の根拠の原理は縁起にありと定義し、現代の天文学の宇宙生成理論を考慮に入れながら、<縁起>なるものが生じ、零(空)、一、二、有、無から万物が生成消滅していく現象を様々な<縁>の様相を浮き上がらせながら、宇宙生成のポジティビリティ(積極性)が起こる契機は何なんかを考える。現代科学の仮設では宇宙の誕生は、およそ137億年前、何もないところにとても小さな宇宙の粒子が生まれ、その粒子が生まれると同時に急激に膨張(インフレーション)し、大爆発が起き、これが「ビッグバン」と呼ばれ、暗黒の壺のようなものがはじまりであるとしている。

 小さな粒子→ポジティブ(積極性)な発散→ビックバンという現象の現れ

 これなどは、古代中国の生成論や仏教の空や縁起論と相似形なのであり、それでは、何故に無から有が生まれたのか。それは現代でも難問(アポリア)であり、現代の私たちの論理空間では、<縁>が生じたとしか言いようがないのである。冗談ではなく、正に縁は異なもの味なものなのである。
 次に<間(ま)>についてだが、これについては、前の二つが東洋(アジア)的広がりを持った思想キーワードだが、<間>だけは、少しローカルな日本の特殊性が現れた概念現象なのだが、この辺境な日本の文化の本質を語る上では欠かせないキーワードあることは確かなのである。詳細はこの後の論考を読んでいただければと思うが、私たち日本人はすべて「間」で間に合わせるとい特徴を持っていて、「何となく間がもたない感じ」「何て間が悪いんだろう」「そんな話って間尺に合わない」「わたしたちは間もなくお別れね」、間違い、間近、間際、間口、間抜け、間に合う、間借り、間もなく、床の間、間柱、間男、間夫等、<気>の次に多く頻出する言葉かもしれない。人間とはヒト(幼児・児童)が<間(ま)>を持つことであり、大人になっても<間(ま)>が分からない人間を間抜けというのである、と先人に聞かされた時、私は雷に打たれたような衝撃を受けたのだ。世間という熟語も世の間(ま)であり、世間さまに「恥」ない行動をしなければならないのが日本人なのである。また、日本の芸能の真髄もこの「間(ま)」にあり、能という伝統芸能から吉本の漫才まで、この「間」が分からない芸人に花が咲くことはないのである。
 この三つのトライアングルと、もう一つ日本語の構造を明確にすることで、日本人、日本文化のかなりの部分が透明化できるのではないかと仮設を建てることで、この論考をスターとしようと思う。

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オリエンタルシンキング⑤

宗教は「非知」で語ることでしかない。

 安倍元首相を殺した犯人の供述から、また寝ていた子を起こしてしまったように、かの韓国の新興宗教団体の世界平和統一家庭連合(旧統一協会)の内部があぶり出されている。この団体、ひと昔前は、芸能人の信者の合同結婚式や霊感商法などで話題になり、私の学生時代はその下部組織原理研究会(原理)なるサークルが入りこんできて学生を勧誘するのを、自治会が必死に阻止していたのを記憶している。しかし、この20年ばかりなりを潜め、マスコミの話題にも上らず、たまに私なども渋谷の松濤の本部事務所を通りすぎても(仕事場が近かった)、意識することなく、その芸能人の顔を思いだすぐらいだった(小学校の時ファンで彼女の下敷きを持っていた)。
 今度、また新興宗教の所業が話題になると、こんな宗教心が希薄な私でも宗教なるものを考えざるをえなくなるのである。
 私は宗教とは全てを肯定して「委ねる」ことだと思っている。
 よく宗教と哲学の違いは、宗教の目的は救済にあり、哲学は真善美の真理を追究することで人を救済することを目的としているのではないと言われる。それでは救済とは何か、例えば仏教であれば、苦しみの因を知り、その因を取り除き、安寧、静寂の境地に向かう方法を教えるものである。故に現世が苦しくないという人に、仏教など何の関係もないのである。キリスト教の場合はどうか、これも全てイエスの導きのもと、一途に神を信じ愛することである。キリスト教で最も重要視されるのは死後の魂の救済である。キリスト教の場合、いつか訪れる最後の審判に常に備えていなければならない、ということが協調され、救世主であるイエスを信じるものは天国へ行くことが出来るが、信じない者は地獄へ落ちるという思想である。
 イスラム教、ユダヤ教の三つを「一神教」と言うが、一神教は神のお告げを授かった預言者(キリスト、ムハンマド、モーゼ)が民にそのお告げを布教するという構造になっている。
 信仰とは漢字を分解すれば、見上げて、敬って信じることなのである。そして、その信じ方が問題になるのだが、疑うことは許されないのである。信じて疑うなどは「矛盾」であるし、ありえないのである。仏教では本来もっている自分の本性・仏心を見きわめて悟ることを目的とし、すべての人が本来的に仏であることを体感としてつかみうるということであるが、それを疑ってしまえばそもそも本来的目的に到達できないのは道理である。キリスト教でいえば、キリストの愛に疑いを持ってしまえば、もう地獄ゆきなのである。それは、その宗教を信じ、肯定し、全ての自分を宗教に「委ねて」しまうことなのだろうと思う。それが出来るか出来ないかが信仰者と無信者の境界で、私が、なぜ、まだ信仰者になれないかと言えば、そこに疑いがあり、しっくり言葉の然りを感じないからなのである。例えば、知り合いに法華の宗教団体に入信しているものがいたが、彼は確実に言えるのだが、法華経の内容も、宗教団体の成立の歴史も私よりも知らなかった。それなのに彼はその宗教を信仰し、私は信仰していない。その違いは何なのだろうかと?結論から言って、私が少し分かりかけたのは、信仰する、しないは、決して「知」の問題ではないということである。それでは彼れをその宗教にかりたてたものは何なのか。彼の部屋にいくと、その団体の会長の写真が額に入って飾ってある。彼には悪いがその写真の顔は脂ぎっていて、目は邪悪な目をしているとしか思えないのだが、彼には神々しく見えるらしいのである。彼に言わせると、「お前の心が濁っているから、そんな風にみえるのだよ」と言うことだった。そうなのかと当たらずも遠からじで、何だか妙に納得してしまうバカな私がいたのであった。
 また、マスコミの宗教団体叩きがはじまっているが、確かに俗世に対しての犯罪行為は俗世の法律で裁けばよいのである(オウム真理教のように)。しかし、そんな宗教団体に入信して救済される人間もいるのも確かなのである。宗教とはそんな俗世の「理性」とは背理しがちなものであり(俗世からの超越を本来の目的としているのだから、折り合わないのも当然なのである)、俗世の理屈で攻めても宗教団体においては痛くも痒くもないというのが本当のところなのではないか。マインドコントロールを解くといっても、私たちも、科学とお金と命が大事というマインドコントロールに侵されているのだから、どっちもどっちと言われれば、立つ瀬がないのが本当のところかもしれない。
 そんなことを考えている私も、最近は宗教的な神秘体験というのに興味を持ち文献などを読んでいるのだが、その体験も非合理なものばかりでなく、いくつか腑に落ちるものもあるのである。また日本の自然宗教から派生した神道には何か共鳴するものを感じるようになっている。教祖もいない教義もない教団もない、ないないづくしのこの宗教、この言挙げしない「非知」の宗教に何か世界の宗教を知るための鍵があるのではと思うのである。朝、散歩の途中、神社の鳥居の前で一礼し、本殿へ。二礼二拍手一礼し、「本日もよろしくお願いします」と心の中で呟くと、何だか霊感を感じ引き締まる思いがするのである。それに対して疑いもなにもないのである。ただ神に「委ねている」私がいるのである。ひょっとすると私も宗教というものが、ほんの少し分かってきたような感じするのである。死が近い年齢になったためかもしれないが…。

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オリエンタルシンキング④

 霊性とは<気配>のことでは2 
 前回、霊性とは<気配>、<氣>の配りなのではないかと、私なりの見解を述べさせていただいたが、そう考えると、昨今流行(さっこんはやり)の「パワースポット」が如何なるものなのかが明解になってくるように思うのである。
 「パワースポット」とは強い霊性が宿る場所で、具体的に大いなる自然(山、森林、湖)や宗教的な施設(神社や仏閣)など、特に霊気が強く感じられると喧伝されている所にある。人間にとって自然は何より怖く、また畏れ多いのは、科学的進化をとげた現在でも変わらないだろう。しかし、特に古代人は、現代人より、その畏怖する感情は質的に遥かに異なっていた。雷鳴、台風、地震、洪水などの天災が目の前のものを破壊し、多くの身近な民が死んでいく現実に無力と自然の不可解さを感じ、その現実に対して膝を落とし、頭(こうべ)を垂れ、泣き崩れるしかなかった(現在もそれは変わりないが)。そして最後に出来ることは、自然にたいして「お願いです。どうか<お氣>を鎮めて下さい」と叫ぶより如何ともしがたかい己がいた。そのためひょっとすると、彼らの日常生活は日々の労働よりも、自然に対する<祈り>に時間が割れていたのではないかと想像されるのである。そして時がたつとともに、その個々人の<祈り>が集団的共鳴へと変貌、そしてその<祈り>が儀式化し、同時に<祈り>のサークル的場が出来上がってくる。
 日本の場合、その場は自然と一体化した神社(かみやしろ)という形で現れ、現在まで継承されていった。特に初めの頃はその場は、大いなる自然の中にあり何もない空間だった。人が寄り集まって、ただ自然に向かって<祈る>場であったが、徐々(相当な時の流れがあったように想像できる)に<共同の祈りの場>として、そしてその<想い>が集約する場所としての象徴的な<証-イコン>が自然と出来上がってきた。それがご神木であり、鳥居であり、ご神殿であったのであろう。この流れは、日本で一番古い大神(おおみわ)神社(三輪山の中にあり、鳥居の他には何もない)から伊勢神宮を経て、明治神宮などの神社の歴史的流れを考えれば明らかである
 それでは、何故、人々はその場を<共同の祈りの場>にしたのか、当然だが、祈りの場に相応しい場でなければならなかったのである。その場は、きっと、自分たちの手の届く分かりやすい日常の場ではダメだったのであろう。崇高さと、威厳を兼ね備えた畏怖する場所でなければならなかった。そして、その場に、彼らは日常空間とは異なる<氣の配り>かたをするのである。畏怖の気持ちがそうさせるのである。時がたち参拝の形式もでき、鳥居の前でお辞儀をし、柏手を打ち、手を合わせ祈るようになる。何故<氣>を配るのか。それは気配(<空気><地気><霊気>)を察知することにより、無意識に自らの<心気>と調和を図ろうとするからではないだろうか。
 私事で恐縮であるが、前回(平成25年)の62回目の式年遷宮の時に初めて伊勢神宮にお参りさせていただいた。噂に違(たが)わぬ<霊気>を持った空間であった。両鳥居の間の宇治橋を渡り神宮に足を踏み入れると、強い<氣>を身体に感じ、五十鈴川でお清めをし、広大な空間を正殿まで向かう間、私は今までにない<氣の配り>をしながら歩いたのである。そうせざるをえない私がいたのである。伊勢神宮の周囲の空気感と、そして創建から千数百年間、過去の参拝者が残していった<氣の配り>を身体に感じながら、気のせいか何だか清心な気持ちになったのである。
 現在の「パワースポット」と言われる場所も、そこへ足を向けるだけでなく、こちらから<氣の配り>をすることなくして、決してその空間のパワーも立ち上がってくることはないような気がするのだが如何であろうか。
 俗だが、例えば自宅で怖い幽霊(ホラー)映画を一人で観賞している。ただの作り物の映画じゃないかと馬鹿にしながらも観終わり画面を消す。その瞬間、一瞬でも霊気を感じない人間はよほど鈍感であろう。
 この霊気は、私たちが一瞬でも<氣>を霊の方に配った現れではないだろうか。
 日常、宗教心などないような生活をしながら、いざとなると最大の<氣の配り>をしてしまい、そこから<霊性>なるものを受け取る。日本の宗教心とはそのようなものかなと最近考えるようになっている。
 <氣>は霊性さへ掻き立てる何かなのである。

オリエンタルシンキング③

霊性とは<気配>のことでは

 霊性(spiritualityー精神世界)などと言うと、この科学合理的な世の中では、警戒しなければと思われるのが関の山であるが、確かに現在までにこれに騙された人はいかほどいるだろうかと想像すると、警戒防御もむべなるかである。
 ただ、私も霊の存在(形)などは、まともに信じてないが、世の中にはまだまだ計り知れない何かがあるということは認めざるをえないように思う。そもそも、私たちが、まあ信用している科学も現象の因果律を解明しているだけで、その本質なるものは何も分かってないのであるから科学なるものも疑ってかからなければならないのは道理なのである。そう考えると霊性と科学もどっちもどっちと思わざるをえなくなるのである。人間は生滅がなくならない限り宗教はなくならないと言われるが、恐ろしいことに現在の科学は人間の滅(死)を無くす研究さえ真面目に行われていると聞く。これこそ宗教より恐ろしい超宗教と言いたくなるが、ここまで行くと科学は迷信教だと(迷信を無くそうとして迷信をつくる)言ってもよいのではとさえ思ってくる。
 前置きが長くなったが、結論から言うと、私は<霊>なるものはあると思っている。しかし、それは、現象の形としては決して見えないもので、無いといえば無いのであるが、有るといえば有るのである(無即有、有即無)。回りくどい言い方で申し訳ないが、分かりやすく言えば<気配>のようなもの、と言ったらいいのかもしれない。
 例えて言えば、人は人生のなかで、<気配>が確実に有った(感じた)という経験を何度もしているのではないだろうか。虫の知らせ、出会った時にこの人とは長く付き合いそうだ、これ以上先に進むとヤバイ、馬券が当たる等の予感があった。ただ、これも後付けで有ったと、馬券などはほとんどハズレの予感であって、偶々当たったので、当たる予感があったと都合よく予感に結び付けているだけであり、馬券に限らずほとんどの<気配>が、このようなものだと解釈すれば、何でもないことになってしまう(どこかで小林秀雄もそのようなことを言っていたような)。こんなことを言ったら元も子もないが、もう少し突っ込んで考えてみると、逆に、私たちが<氣>を配ると同時に、予感なるものが生れると解釈したらどうだろうか、ハズレ馬券はハズレればその時点で<氣>をかけないのである。当たれば<氣>をかけて、それこそ大事にするのである。長く付き合っている人がいる、その人にどれだけ<氣>を配ったことか、それはそうなる予感がしたのである、と。長いこと会っていない人のことを<氣>にしていたら、死の報が来た。その予感なるものが<霊感>に近いものであるのなら、<霊感>は<氣>よって起こるといっても強ち間違いではないように思うのだがいかがだろうか。
 そう考えると、古代からの日本人の<言霊-ことだま>観、言葉には霊<魂>が宿るために<言挙げ>するなかれも、その言葉に<氣>を配ると<霊>が宿るために口に出すべからずと解釈することもできるのではないだろうか。私たちが万物に<氣>を配ると同時に霊<魂>なるものが立ち上がってくる。亡くなった母親のことを想う(<氣>を配る)と同時に霊性が甦る。祈りとは<氣>の配りと言っても穿ち過ぎではないと最近思うのである。それでは、その<氣>なるものは何なのか、興味が尽きないのである。

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オリエンタルシンキング②

西成労働福祉センター

<氣>は嘘をつかない

 前回、私事の<氣>体験を紹介させていただいたが、<氣>の探究の旅に出る前に、しつこいかもしれないが、もう少し私の<氣>の体験を、いくつか紹介していただきたい。
 私は小さい頃から、どうも<氣>に当てられやすい性質で、あまりにも強い<氣>を受けると、その圧で体に変調を来してしまうようなところがある。特に強烈な強い<氣>を発散している人の前では委縮して何もできなくなってしまうことがあり、改善しなければと思いながら、どうにも60歳の現在でもダメなのである。
 「それはお前の性格の問題なんじゃない」とい声が聞こえてきそうだが。「性格」なら意識して努力さへすれば変えられだろうが、<氣>の入れ替えは、どうすればいいのだろうか…。
 何とも「トホホ」なのだが、<氣>は嘘をつかず、自分より弱い<氣>を持っている人にはそんなことはぜんぜんないのであるから不思議である(嫌なヤツである)。
 また、多くの人がいるパーティーや5人以上の飲み会等に参加し、その後一人になると、酔ってもないのに少し分裂気味なり、翌朝体に変調を来すことが多々ある。困ったものである。
 そんな<氣>に弱い私は、31歳の時に会社を辞め、自ら経営者として出版社を始めたが、案の定当初は借金も膨らんできて、経営者としての辛酸を舐めながら苦しい数年間を耐え続けながらも、ゴマカシゴマカシ息を繋いできた。ところが創業8年目を迎えた時に、ひょんなきっかけで、多くの人間の協力のもと40万部というベストセラーの本を出すことができたのだが、その本が企画され本が出るまで、それぞれの働いている人間の<氣>の湧出が半端ではなかったことを記憶している。多くの人間に行き渡るための魅力的なモノを作るのには、これだけの<氣>の力が凝縮されなければならないのかと思うと、売れるモノを作ることの大変さを身に沁みて実感したのもこの時であった。
 しかし、これがプラスの<氣>の体験だとすると、その反動なのか、その後私は驚くべきマイナスの<氣>の体験をして、最後には17年間続けてきた会社を廃業する破目に陥ってしまった。人間万事塞翁が馬とはこのことを言うのだろう。
 末期には、そのマイナスの<氣>が火災を誘引し、消防車が駆けつけるというお粗末な結果を導き、働いていた同志の女性デザイナーはアル中になり会社廃業後4年で死を迎え、私はというと、毎日のように積み重なる闇金の利子返済で、あらゆる関係筋に金策に回るという体たらく。気が付くと、会社は重いマイナスの<氣>で、いくら窓を開け、風通しを良くしても沈み込む空気は変わらない。あげく、誰もがそのマイナスの<氣>を察するのだろう、会社に訪れる人も少なくなってくるという最悪のスパイラルを迎えことになる。マイナスの<氣>というものは恐ろしいもので、よほどのドラスティクな転換をしなければ消滅しないのである。それしかあの<氣>から逃げる手立てはなかったのではと、現在でもそう思っている。
 だが、くれぐれも<氣>がそれを起こしたのではなく、そういう<氣>を発散させてしまった原因を作ったのは私だということであるということはご承知願いたい。
 プラスもマイナスの<氣>も起こすのは<氣>自体ではなく、そこには何らかの作用が働いて起こっているということである(全て<氣>のせいにしてはいけない)。
 最後に重いどんよりしたマイナスの<氣>で思い出すのが、母方の叔父(弟)が死を迎えた時である。この叔父は山形の高校を卒業すると東京に働きに出たが、40歳の時、放蕩でたまった借金を退職金で返済するために会社を辞め、その後は、テキヤをやったりして安定せず、当たり前だが妻もいず、50歳の時にはアル中でヨレヨレ、あげくに道路で眠ってしまい、警察にご厄介になり、唯一の頼りの私の母がよく警察から呼び出しをくらっていた。もうアル中の末期であるダメ叔父さんは、私の実家に入り浸っていたが、朝から酒を飲み、ションベンはたれながし、あげくに幻覚を視ては叫ぶ始末だった。父はやはり、そこは兄といっても義理である、見かねて情を捨て、絶縁だと言い彼を追い出してしまった。
 その後、彼は何度か道端で倒れ、最後は共産党系の病院に運ばれたのが幸い、住居、生活保障をしてもらい、2年間ぐらいは生き延びたのだが、最後は真冬にどこかで酒を飲み、帰途に横浜駅周辺の道路の生垣で寝てしまい、そのまま帰らぬ人となってしまった。
 遺体は住所不明の安置所に引き取られ、遺品から警察がこちらの連絡先をつきとめ、幸い無縁仏にならず、私と母で遺体を引き取りにいくことができた。唖然としたのは、遺体安置所には同じような住所不定(ほとんどホームレスだが)の棺桶が数十体あり、安置所の責任者が「今日は少ないほうですよ」としらっと言い切ったことだった。
 私は叔父の始末で、山形の叔父の兄と一緒に葬式や生前の関係諸手続きなどで横浜中区の各事務所等を巡るのを手伝った。そんな中、福祉施設での事務手続きのためそこに入ると、異様などんよりとした<空気>が漂よい、周囲がスーッと落ち込んで沈みゆくような気配を体に感じるのだった。そして、そこには饐(ス)えた匂いが部屋に充満し、内向きの、力のない<氣>が部屋全体を覆っていた。まさに自分の<氣>が吸い取られていくような危うさを感じたのだが、叔父も同じように感じた様子で私を見て苦笑していた。私たちはすぐにその部屋を出たのだが、個人のマイナスの<氣>が集積した<澱>のような空気を肌で感じた体験であった。
 マイナス<氣>が集中している場所は、確かに都市に多くある。あいりん地区と言われている東京の山谷(プラスの<氣>を持った若いバックパッカーが町を変えつつあり、空気感も変わってきた)や横浜寿町、兵庫の西成地区等がその代表だが…。
 私は常に思うのだがこのマイナスの<氣>やプラスの<氣>は、万物すべてがその場の時空間で発する<気質の澱>のようにも思われるのだが、その<氣>が何故プラスやマイナスのベクトルを持ち発散し、それ自体は消えるのに、その<氣>だけは残り、その場で生き延びているのか?ひどいものは数十年数百年たっても、その<氣>が抜けず、後世にもその滓を残しているのである。
 <氣>はひょっとすると、この宇宙(天)が作り出した、いや宇宙(天)そのものを作り出した根源的な<何か >(<氣>一元論)なのかもしれないと思う時があるのである。
 回りくどくなりすぎた。ボヤボヤしないで、早く<氣>の探究の旅に出よう。

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