真の学芸は浪人のさびしさのなかに宿る
(岡倉天心*)
浪人のさびしさとは何か、「知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画ができる。」(『草枕』夏目漱石)の冒頭に全てが凝縮されているのではないだろうか。生き難さからくる「虚(うつろ)な魂」がすばらしく巧(妙)で不可思議で深淵(玄)なるものをクリエィティブ(創造)するのである。決して「生活の安易な折り合い」や「仲間内の傷の舐め合い」からは学芸は生まれない。「文学の故郷は孤独である」(坂口安吾)という箴言もあった。
岡倉天心(おかくら・てんしん)
文久2年(1863) – 大正2年(1913年)、日本の思想家、文人、美術指導者、本名は岡倉 覚三。明治10(1877)年に新設された東京大学へ進み、アメリカ人教師フェノロサの日本美術研究に協力する。卒業後は文部省へ出仕。17(1884)年フェロノサ主宰の鑑画会に参加、19(1886)年に文部省美術取調委員として欧米を視察。翌年帰国後に東京美術学校(後の東京芸術大学)幹事、23(1890)年校長に就任する。31(1898)年の校長排斥運動で辞職し、同年に横山大観らと日本美術院を創設した。ボストン美術館の仕事にも携わり、同館東洋部長に就任する。著書に『東洋の理想』 講談社学術文庫、1986年。冨原芳彰訳(巻末に記載、旧版・ぺりかん社)『新訳 東洋の理想 岡倉天心の美術思想』 (古田亮・芹生春奈 訳・解説、平凡社、2022年)『日本の覚醒 英文収録』 (夏野広訳、講談社学術文庫、2014年新版)『日本の目覚め』(村岡博訳、土曜社 文庫判、2017年新版)『茶の本』 村岡博訳、(岩波文庫、改版2007年、ワイド版2008年)他