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清掃夫は見た-?だけど、愛しき人々

外資系高級ホテル編

最終章「ニホンジンダイジナコトアイマイ二シテ、ダイジジャナイコト二コマカイネ」

 年が明け2月になると、ホテル業もお客の入りが悪くなると同時に、当然だが私たち清掃業の仕事も少し暇になってきた。そんな時班長の伊藤が辞めることになった。そして、三上は新たに子飼いだろうか、三人新人を連れてきた。三上は着々と自分の絶対権力を行使できる体制を作りつつあった。高木さんの話によると、この3か月前から伊藤は会社に呼び出されることが多くなり、班長としての仕事が緩いと会社側からお叱りを受け続けることが頻繁になったそうである。最大の辞職の原因は控室の机の上でウトウト居眠りをしているところを三上に見つかりすぐに会社に告げ口をされたことだった。「そのぐらいのことを会社に告げ口するかよ」と高木さんは呆れかえって憤懣やるかたない表情だった。伊藤が高木さんに一言「三上には気をつけろ」という言葉を残し会社を去った時、ふっと趙さんの顔と「ゼッタイ、アイツヤッタネ、ワタシミタノヨ」という言葉が浮かんできた。
 三上が連れて来た小飼いの新人たちは彼に指示されているのか揃いも揃って私たち古いメンバーに近づいてくることはなかった。三上もまた彼らと私たちをコンビにするシフトを決して作らなかった。彼らはまさに忠犬のように彼に従属していた。3人が3人とも、どことなく能面のようにノッペリして表情がないような感じがしたがそれはこちらの思い過ごしなのかもしれない。しかし彼らの態度には自分たちはお前等よりスキルが高いのだという誇示が行動の端々にはっきりと表れ出ていた。こちらはちっともスキルが高いとは思わなかったが三上がそれを保証していたのであった。
 案の定それは、それぞれが疑心暗鬼になり組織全体がギクシャクする要因なり陰気な空気を漂わせつつあった。
 三上は外国人労働者にも容赦がなかった。とかく仕事が粗くなることが多い彼らに、朝礼で叱りつけ、正確な仕事をするよう促すのだがその方法にいちいち棘があった。
 話が内部事情にばかり偏りだしたので、少し話をホテル客のほうに傾けよう。高級ホテルに限らず、どこでもサービス業はクレーマーに悩まされるのであるが、さすがに高級なだけあって、そのクレーマー比率は他の一般サービス業より高いのではないかと思う。クレーマーでも前向き(ホテルの今後のための正当なご意見)なものならいいのだが、当然のごとくそのほとんどが何の発展性のないワガママな難癖や強請りでしかないのだから困るのである。
 そして一番クレームをつけやすいのが、まさに私が関わっている清掃に関してなのはお分かりであろう。「どこどこに毛があった」「床が濡れていて滑って転んでしまった」「トイレの便器に○○チがついている」「プールの水が臭い」「サウナのボディーシャンプーが身体にあわない」等、些末なことを挙げたら切りが無く、その都度お客様に謝るしかないのだが、どう考えても強請(ゆすり)タカリに過ぎないものも偶にあり、ホテル側の対応も大変なのである。
 その中で私が聞いた中で一番のクレームは、「子供が目を離した隙にいなくなってしまったが探してくれ」と言ってきた両親がいた。ホテル側は何人かの従業員を動員し捜したが見つからない。さてどこにいるのかと捜査難航していたが、ベットメーカーが昨日泊まった部屋で子供を発見。事なきを得たのだが、この両親何が気にくわないのか子供がいなくなったのはホテル側の責任だといい宿泊代の返金を求めてきたそうだ。さすがにホテル側も何故ホテル側に責任があるのかが皆目分からず返金には応じなかったが(当たり前である)。彼らの言い分だと、ホテル側は、私達がファミリーで宿泊しているのを知っているはずなのにチェックアウトの時にフロントは何故子供のことを聞かなかったのか、そこで子供がいないと気づいていれば、私たちもすぐ部屋に引き返したであろう。それを聞かないために、子供がフロントにいると思い買い物に行ってしまい子供のことを気づくのが遅れてしまった。それはホテルのフロントに過失であるという言い分だったそうだ。私はさっぱり意味が分からないというか、それ以前にこんな理屈が通ると思っているこの両親の頭の構造が分からないのである。しかし、このアルバイトに入って様々な人間を見てきたのでこれっぽっちの事では驚かなくなった自分であったが…。
 それから、もうひとつ凄いのは、このホテルに泊まって朝起きたら風邪を引いてしまったので宿泊代は払えないという、ヤクザまがいの(いやヤクザでもこれはない)難癖をつける人間が多くいるということだ。こんな事に対応して、タダでホテルに泊まらせていたらホテル業はこの世から無くなってしまうだろう。これは冗談でも何でもないが、強請(ユスリ)タカリの難癖もどうせつけるのなら、もっとまともにリアルなものを考えてもらいたいものである、いやはやこの世は不気味である。
 三上が班長になり2カ月が過ぎようかと言うとき大事故が起こった。起こしたのはよりによって荻野だった。事の起こりはただ荻野の不注意なのだが…。バキュームを持って、エレベータに入った時にそのコードを床の隙間の穴に入れてしまい、それが外の鉄柵に絡まり、エレベータが上昇しようとした瞬間、バキュームが天井高く持ち上がりパタリと止まってしまったのである。
 荻野は慌てて絡まったコードを解こうと、必死もがいたが、今度は彼の足にコードが絡まり、二進も三進もいかず、そのままエレベータの床の上に尻餅をついて、彼自身も身動きが出来なくなってしまった。
 エレーベータが止まってしまったために、ホテルじゅうが大騒ぎになり、メンテの作業員が来て荻野が解放されるまで1時間を要してしまった。
 絶対にあってはいけない事故であった。ただ彼がちゃんとしたバキュームのコード管理をしていればよかったのであり、それを怠った彼に全ての責任があったのである。
 その事件で、荻野は自宅謹慎になり当然のごとく首を言い渡された。喜んだのは三上であろう何の策を弄せずに荻野を辞めさすことが出来たのだから。しかし班長としての三上の責任は一向に問われずにこの事故を解決したのが解せなかった。
 荻野が首になると、すぐにまた新人が入ってきた。三上は着々と自分の世界を作ろうとしているように見えた。
 朝の飲み会は、首になった荻野のお別れ会になった。班長伊藤が辞め、荻野が首になり、次は誰だろうということがしきりに話題になってきた。高木さんはモンゴルが危ないと言いながら、ひょっとすると俺かもしれないと皆を笑わせていた。私は、荻野の次に相性が合わない俺ではないかと呟くと、大橋が「確かに」と肯くので、大橋の頭をツッコミ叩きしてやった。
 気になるのは毎回のように来ていた田中が、この所めっきり飲み会に参加することがなくなった。皆思っていることは同じだった「あいつ三上と相性が合うからな」と荻野が言うと、一瞬場が静まりかえったので、
 「あいつらしいよ」と私は呟いた。
 大橋が「長いものには巻かれろ、ですかね」と言うと、
 すぐに「大橋お前よくそんな諺知ってるな、漢字知らないくせに」と荻野が茶々をいれる。
 「そのぐらい知ってますよ。でも俺エレベータ止めませんから」と大橋が言うと皆大笑いなった。
 「うるせいや」と荻野は吐き捨てるように言いながら苦笑した。。
 「しかし、大橋はひょっとするとお前は残るかもな」と高木さんが皮肉を言って笑った。
 突然大橋が
 「三上って、最初の頃から会社側のスパイだったんじゃないですか」と大橋にしては鋭いことを言い出した。
 「そう言えば伊藤が現場への入り方も普通の新人と違かったよと言っていたな」と高木が赤ら顔で言った。
 「でもそう考えると辻褄があうよね」と私はもう一杯と店員の女性に焼酎のお代わりの合図をしながら言った。
 「それじゃ前にあいつがいたころ、休憩室で喋っていたこは全て会社側に筒抜けだったということ」荻野は呆れ顔した。皆が当時のそれぞれの発言の記憶を辿りだすと同時に静寂が訪れた。
 「オイオイオイ、俺相当なこと言ってるぜ」と荻野が言った。
 「だから首になるんだよ」と高木さん。
 「いや荻野さんはエレベータを止めちゃったからですよ」と大橋がまた茶化した。
 「ほんとうに、お前だけにはそれを言われたくないよ」と情けない顔を大橋が言うとドット、場に笑いが起こった。
 「俺の勘だけど残るのは、松永さんと田中と大橋じゃないか」と高木さんはいった。
 「何故俺が残るんですか」と不満そうな顔で大橋が言うと 
 「お前馬鹿だから」と荻野が笑った。
 「でも俺エレベータは止めませんよ」と大橋が膨れた顔で冗談を飛ばすと
 「だからお前にだけは言われたくないって言ったろ」と荻野はテーブルを軽く叩いた。   
 荻野と大橋の掛け合い漫才が終わるとそれぞれが勝手気ままにどうでもいいことを喋り出し会は解散した。
 店の外へでると、昼前なのに空はどんよりと曇り、2月の寒さが身体の芯に触れた。まだまだ春は遠かった。私はまた趙さんのことを思っていた。あの時はまた中国人が訳が分からないこと言っていると半端馬鹿にしていたところがあったが、一連の会社側と三上の行為が本当ならば何と薄汚い人間たちだろうと思い、趙さんの「ニホンジンダイジナコトアイマイ二シテ、ダイジジャナイコト二コマカイネ」という言葉が甦り、趙さんの「ダイジナコト」とはひょっとするとこのことだったのかもしれないと、やるせない気持ちになってきて家路を急いだ。
 そして、この時は3年間のアルバイトの終焉があと10日後ほどで訪れるとは予想だにしていなかった。
 その日アルバイトは非番だった。軽い昼食を取り机で送られてきた健康食品のパンフレットを眺めていた時だった。下から突き上げてくるような揺れが一回起こり、本棚に立て掛け、置いていたガラス額縁の絵や花瓶、時計などが一瞬のうち床に落下し、重ねておいた本も雪崩のように落ち散らばった。「これは尋常ではない地震だ」と一瞬悟ったが、驚きでなす術がない。今度は2,3度大きな揺れが起こり、台所の食器棚の食器の重ね合う音が耳に入る。揺れの大きさに「ひょっとしたらもうダメかもしれないと」思いながらも、ただ四辺(あたり)を硬直した身体で眺めていることしか出来なかった。5分ぐらいそのような状態でいた。幾分揺れは小さくなったが余震は続いていた。外では消防、救急車の音(サイレン)がひっきりなしに耳に入ってくるだけで異様な静寂さであった。
 今までに経験したことのない地震の揺れだった。居間に行きテレビをつけると世間は大変なことになっている。2011年3月11日、現在では東日本大震災といわれている天災は私の前ではこんな形で始まった。
 テレビでは刻々と天災の被害状況が伝えられていた。東北の太平洋沿岸は津波被害で犠牲者が続出し、被災者の数もウナギ上りで増えていった。東京の交通は完全に麻痺状態になっており帰宅難民たちの疲弊した姿が映っていた。
 アルバイト先は大変なことになっているのだろうなと心配になったが、その情報を知る手立てがない。その日は諦めてじっとテレビに齧り付いていた。
 翌日高木さんから、ホテルの惨状を伝えられたが53階の高層ビルの揺れは並大抵ではなく、ラウンジのシャンデリアは振り子のように激しく左右に揺れ、お客はパニック状態で、プールの水は半分なくなり、エレベータ、エスカレータは完全にストップ。お客は非常階段で列になり避難したそうだ、と聞き、清掃アルバイトは全員一週間ほど自宅待機を言い渡されたとのこと。高層ホテルだけあって、ほとぼりが冷めるまで、お客は泊まりにくることはないだろうなと、このアルバイトの終焉も近いなということを思いながら、次の行く当てなどを漠然と考えながら日々を過ごしていた。
 一週間たち、会社から封書が届き、開けてみると以下の文面が書かれていた。

宮田十郎様
 拝啓

 益々ご清栄のことと存じます。さて、この度の未曾有の地震災害で、小社クライアントも相当な被害をうけ営業に支障をきたしているところが多くございます。
 あなた様のご勤務の○○○○○○○様も同様に職種柄、外国のお客様の減少で苦戦を強いられている状態です。
 そこでクライアント様から、現在の清掃員の数を40パーセントほど縮少したいという申し渡しがございました。
 現状を鑑みますとその申し渡しを引き受けざるを得ず、あなた様には誠に遺憾ですが、雇用契約を打ち切らせていただきたく通知させていただきました。
 このような時期にあなた様に以上の書面をお送りするのは、大変心苦しい限りですが、何卒ご承知いただければご幸甚です。

                                      敬具

                        株式会社 ○○○○ビルサービス
                           代表取締役  ○○○○○
                         東京都港区西麻布○○○○○○

 私は通知を読むと、すぐ高木さんに電話を入れた。高木さんにも通知が来てさっき読んだとのこと。またモンゴルの連中にも通知が来たとのことだった。高木さんは、この天災がなくてもどのみち俺たちは首だったろうと言い、あんな三上みたいなやつの下で働きたいかと笑って電話を切った。
 2ヶ月後、三上と子飼いの3人と松永さん田中以外が首を言い渡されたのを知った。大橋は通知が来なかったが、侠気があるのか残らなかったそうだ。
 震災被害はまだまだ拡大していた。
 私の頭には、「ニホンジンダイジナコトアイマイ二シテ、ダイジジャナイコト二コマカイネ」という言葉とお別れの時の趙さんの悲し気な表情がいつまでも残っていた。

                                    終わり

清掃夫は見た-?だけど、愛しき人々⑩

外資系高級ホテル編

イエローモンキーの醜態

 テーブルの拭き掃除も終わり、仕事も終盤午前5時頃、朝陽が45階のお客がいないラウンジの部屋に差し込んで、ホテルも一番落ち着いた時を迎える。
 さて、切り上げようと清掃道具を片付けていると、一人の欧米人が静かにラウンジに現れ窓際のソファーに腰掛ける。外を覗いたかと思うと手に持っていた本を読みだす。その姿が恰好がよく、よく見とれてしまったのだが、こういう人はこういったホテルを自然に使いこなしているのだろうなと、その品格に感動してしまうのである。
 それに比べて日本人はと、ただただ情けなくなる時がある。 朝、一人で静かに本を読んでいる格好いい日本人を見かけたいものだが、せいぜいスマフォでゲームをしているお兄ちゃんに会うのが関の山であろう。
  酷いのは金曜日の夜、サラリーマンが会社の経費を使って集団でバーやラウンジを利用する時である。一人では臆して、こんな高級ホテルなど足を踏み入れられない輩が、まあ集団になると強くなるのがこのイエローモンキーと世界では馬鹿にされている日本人なのである。それも最初は、ホテルの豪華さに気後れして硬直しているのだが、酒が入ったとたん、このモンキーたちは豹変する。大声で喋りだし、喧嘩はするし、従業員に対してやけに横柄になる。そしてトイレは嘔吐(ゲロ)で一杯になり、まさに地方の三流旅館の宴会場さながらの醜態が繰り広げられるのである。
 私は酒を飲み騒ぐのがダメだと言っているのではなく、TPOを弁(わきま)えろと言っているだけなのである。そういう姿だけが目立つのが情けないだけなのである。
 そんな輩が外国などに行くと、さすがに外国では暴れることができず、硬直したままで帰って来る。まさに島国根性まるだしなのがこの日本人で、戦後70年たって、国際化され、経済では欧米に引け目を感じなくなったなどと言われながらも、日本人の性格は本質的には何も変わっていないように感じるのだが、如何なものか。 
 そう言えば、かつて自分の会社が儲かった時、社員10人とフリピンセブのリゾートホテルに旅行に行った時、我々一行は、欧米人のようにプールや海辺でじっとしていることができず、「旅へ行くとほうぼう観て歩くのに価値あり」という古(いにしえ)言葉さながら、落ち着きなく町を歩き回り、これでは身体を安めにいっているのか、疲れにいっているのか分からない旅行をして帰ってきた。リゾートホテルは身体を休めに行くところだと思うのだが、逆に疲れて帰ってくるという日本人の典型のような旅行だった。
 イエローモンキーは静かに、じっと瞑想状態でいるのがどうにも苦手のようである。この落ち着きのなさが経済成長を導き出した要因(ちから)だと言われれば二の句も継げないが。

 高級ホテルで、なぜ嘔吐する人間が多いのかを考えたのだが、ひょっとするとこの以下の結論が正鵠を得ているのではないかと思うのだが如何なものだろう。
 まず、多くの人は高級ホテルを利用することなど滅多にないのである。せいぜいラウンジでコーヒーを飲むのが関の山で、まして宿泊するなどというのはよほどオメデタイ時(結婚やクリスマスの恋人とのデート)でないと利用はしないのではないだろうか。そんな滅多に出入りしない場所に訪れれば、目の前のホテルの重厚感と豪華さに圧倒されて、慣れてない人間であれば、誰でも緊張を強いられるのは当たり前である。
 そして、その緊張の中でお酒が入ると、だんだんと緊張感は弛み、ついその反動で飲み過ぎてしまう。まためったに踏み入れない非日常空間がそれに尾ひれをつけて身体に影響を与えマックスを越えたあげくに戻してしまう。また、中には、こういう場所だからこそ、嫌がらせで嘔吐や○○チを撒き散らす質(たち)の悪い輩もいるのである。まったくもってどんなものでも正反対のものに犯されやすいのである。
 正反対のものに犯されると言えば、このホテルではなく、その後に超高級マンションの清掃アルバイトをいくつか経験したが、なぜか嘔吐処理が多かったのを思い出す。早朝出勤すると入り口付近の垣や庭に、そして道路や駐車場に嘔吐が散らばり、その処理で半日潰れてしまうことが週に2、3回はあったのではないか。同僚と良く「セレブは嘔吐好き」と言いながら渋々清掃をしたのだが、高級(富)と嘔吐(汚物)には因果関係があるようにしか思えないのである。
 私はこのホテル清掃の3年間で、様々な外国人を見たり接触してきたなかで気になって考えさせられたことを少し述べさせていただきたい。 
 私たち日本人が欧米等に旅行した折に、遠くにアジア人(特に東アジア人)がいた時、その彼(彼女)がだんだんと近寄って来るのを見ながら、同じ日本人ではない(これは絶対に確証する)、いや韓国人(8割方当たる)とも違う、彼は中国人だなと推測し、6割方は当たるのではないだろうか。しかし、欧米人がアジア人を見た時、よほどの東アジア通は別として、ほとんどどこの国の人間かは判断つかないのではないだろうか(彼らにとっては全てがチャイニーズだろう)。私たちも、それこそ、あまり接触の少ない東欧人を見て、それがどこの国の人間かは皆目見当がつかないのが当たり前で、ひょっとすると欧州人(ヨーロッパ)と米国(アメリカ)人の区別さへつかないかもしれない。
 私も数多くの外国人と接して、中国、韓国人は別として、この人はどこの国の人かと首を傾げることが多かった。しかし、1国だけ遠くにいても確実にどこの国かと認識できる外国人が存在したのである。それはネイティブのフランス人で、彼らはその醸し出す雰囲気、振る舞いで、すぐにお国が特定できてしまうのであった。
 当初、私は何故なのかと不思議だった。この東の端っこの日本人がその存在を見ただけで、ほとんどどこの国の人かというのを当てられるということは、凄いことなのである。それは彼らがバッチリお国柄体質のオーラを発散させているということで、こちらがフランス人の表層的類型を予めから知識とし知っているとしても(イギリス人、ドイツ人、スペン人、オランダ人の他の欧州も同様だが、明確にどこの国の人かは分からない)、これは驚愕してよいことなのかもしれない。
 実は、私は、饒舌で誇り高く、オシャレなフランス人というのを余り好きではなかったのだが、ホテルでこのような体験をして、フランス人に対する見方にある変化が萌してきたのは確かだった。
 もし、日本人が遠い異国へ行って、一人でカフェに入り、その醸し出す振る舞いで、その周囲の人々が「あ、日本人だな」と分かってもらえるとしたらどうだろう(決して、ちょん髷着物姿ではない)。これこそ日本人がグローバルになったということではないだろうか。それでは、それにはどうしたら良いか、その答えはひょっとするとフランス人のお国柄に隠れているのではないだろうかと。
 彼は自国の言葉や伝統文化に絶対の自信を持ち、その誇り高さは逆に嫌味な時があるが、確実にその国やその国民のアイデンティーを強固なものにし、その存在意義(レゾンデートル)を養わさせ、身体からフランス人というオーラを発散させるのではないだろうか。
 その自信は他国文化に対する閉鎖性を見せはするが(日本のアニメは移入するが、そう簡単にアメリカ文化なぞは移入しないだろう)、日本のような批評性もない節操のない、何でもありよりはまともなような気がするのでる。日本のこのような節操のなさは国民の精神を壊さざるをえないように思うのである。
 また面白いことに、戦争になると彼らはすぐ降参してしまった(ドイツの侵略)ことがあったが、それは、負けても自国の文化伝統はお前らの国ごときがどうしようと絶対変わりはしないという逆の意味での自信の表れなのではないだろうか、それは穿ち過ぎか。
 それから、もっと凄いのは、彼らが自給自足できると国ということである。自給自足ができるということは、農業(農耕―カルティベイト)を大事にしているということである。この国際協調の時代に自給自足など考えられないとおっしゃる方もいるだろうが、自給自足は究極的な性悪説だが現実主義なのである。それは他国など信じないという思想だが、政治は絶対にこのような現実主義が大切なのである。
 グローバルとはひょっとすると自国の文化伝統及び宗教に誇りを持ち、自国民がそれに自信を持ちながら、矛盾なく個の存在意義(レゾデートル)を高めていくことのように思うのだが如何だろうか。
 この日本のような糞味噌一緒、何でもありのアメリカ従属国は、それこそ外国へ行ってもチャイニーズ(中国人)ですか、と言われて終わりのような感じがしてならないのである。幸福なことにフランスと似て日本にも他国にはないすばらしい伝統文化があり、いますぐに農業復興が出来る下地があるのだから、少しは自分たちのアイデンティティーを見詰めなおす時期にきているのではないだろうか。それならお前が農業をやっているのかという声が聞こえてきそうだが、それはまた別の話だろう。またこれを悪しきナショナリズムと言いたきゃ言えである。

 年明けはじめての出勤で三上と再会した時、初詣で引いたおみくじの凶の実感が沸々と湧いてきてしまった。噂の三上が朝礼で伊東の横に、以前と同じように表情のない陰気な顔つきで立っていた。その横に見知らぬ男が2人立っていた。

 「本日より三上さんがこちらに復帰しました。それから前の現場で彼と一緒に働いていた小熊さんと金井さん、中村さんにも一緒にこちらに来ていただけることになったのでご紹介いたします。尚三上さんには副所長として、私の仕事を手伝ってもらうことになりましたので、お伝えいたします」と常(いつ)にない厳粛な表情で伊東が言うと、三上を促した。
 「また、こちらに戻ってまいりました。副所長として足手まといにならないよう伊東さんの仕事を横から支えていきたいと思っております。以前と同様よろしくお願いいたします」と殊勝な言葉で挨拶すると、三上の子飼いだろう三人の新人も簡単に挨拶をした。

 その後、伊東がまずは三上が1回づつ、それぞれとコンビを組んでもらい、副所長としてメンバー全員の仕事ぶりを把握してもらうので、と言って解散となり、皆持ち場に着いた。まず1日目は田中が三上とコンビを組むことになった。
 一週間前から私とコンビを組んでいる荻野が持ち場につくと

 「謙虚に挨拶してたけど、島流しになったくせに何で出世して戻ってこれたんですかね」と皆が同様に抱いている疑問を口に出した。
 「田中の話だと、向うへいった途端社員になったみたいよ」と私が言うと
 「はじめから社員だったという噂もありますね」と荻野は苦笑した。
 「よく分からないけど、何かありそうだね」

 休憩時間にいる常日頃(いつも)のように、皆定位置に座りそれぞれが自由に身体を休めていたが、三上とコンビを組んだ田中の姿はなかった大橋が三上の子飼いの新人三人が休憩室から出ていくのを確かめて

 「田中さん三上の前だから頑張っちゃってるじゃないの」とカップヌードルを啜りながら大橋が言った
 「一番三上の子飼いになりそうなタイプだよね」荻野が言うと
 「何かああいうタイプにへこへこしそうだね、田中さんは」と大橋が続けた。そこに班長の伊藤が入ってきて、自分のカップにコーヒーを注ぎ終わると席に着くなり眼の前の高木さんに

 「まあ、俺もあまり長くないな」と呟いた。
 「どうしたの」
 「ある程度までいったら、会社側は三上を班長にするらしいんだよ」
 「ホント」と高木が目を丸くした。
 「さっき部長が来て、そのようなことを匂わせていたよ」
 「しかし、島流しにあったくせに、何で三上こんなに会社に覚えがめでたくなったのよ」
 「会社側にはそれなりに使いやすい人間なんじゃないの」
 「まあ、策士的な要素はありそうな感じだけどね。アイツが班長になったら、俺なんかすぐ馘だろうな」と高木さんはホテルから支給されたレストランの余りもののケーキを食べながら苦笑した。
 「高木ちゃんは俺が阻止するから大丈夫だよ」と伊藤は自信なさげな顔ながらも拳を握りながら言った。

 高木さんと伊藤はこのホテルく来る前に、別会社のホテル清掃の同僚で、二人ともそのホテルのリストラにあってから、伊藤がまずこのホテルに移り高木を誘ったという経緯があり気心の知れた間柄であった。

 「それより糖尿なのに、またそんな甘いもの食べて、マズイよ」と伊藤が気遣って言うと
 「身体を動かしているんだから、このぐらいはいいの」と言い訳をしながら二つ目に手を出そうとしたら、荻野が素早くそれを掴み口に入れた。
 「ひでえな」と高木さんは悔しそうにしながらも諦めて立ち上がった。

 伊藤がそれぞれメンバーが三上とコンビを組む日にちを書いたスケージュール表のコピーを渡していると田中が仕事を終え休憩室に戻ってきた。

 「どうだった。田中ちゃん」と伊藤が言うと
 「いや、何のこともないですよ」と普段は伊藤と凄く仲の良い田中の様子が少しおかしかった。

 何人かのメンバーが三上とコンビを組み終えて、その感想が両極端なのに少し疑問に思ったが、私とコンビを組む当日が来た。午前中は2階ホールで、午後は45階のロービーラウンジを一緒にやることになった。
 私は普段通りの仕事をしていた。ただ気になるのは、私が仕上げた場所を三上が黙って観察しながら、時々首を捻る仕草をすることだった。私は心の中で<言いたいことがあるなら言えと>呟きながらも平然と作業をしていた。
 午前中の仕事が終わると、三上が突然「宮田さんは何年ここにいるんだっけ」と問いかけてきた。「3月で3年になります」と答えると、「まあまあだね」と三上は平然と言った。「何がまあまあなのですかね」と私は少し声の調子を変えて言うと、「いやいや何でもないです。それでは休憩しましょうか」と促して去っていった。
 昔の三上はこんな高飛車ではなかったような感じもするが、さすが偉くなると態度が変わるのか、彼の更なる嫌味な振る舞いと顔付にさすが気が萎えるのだった。
 仕事が終わると、三上に清掃控室に来るよう促され部屋に入った。

 三上は小さな紙を私に渡した。

 宮田さん採点

   バキューム  50点
   モップ拭き  45点
   机上拭き   35点
   周囲への機転 40点
   きめ細かさ  35点

     総合点  40点

 とメモ書きされていた。それを見て、「これは何点満点ですか」と口にすると、「100満点です」と表情ひとつ変えず三上は答えた。私は茫然としてそれ以上言葉が出なかった。すると三上は「もう少しスキル高めください、机上拭きなんかだいぶ指紋が残っていましたよ」言った。この男何を基準にこの点数をつけたのか、また何のためにこんなことをしているのか、ただただ憮然としたが、その時はただ黙って「今後頑張ります」と大人の態度で部屋を出た。ちなみに三上は私より20若い34歳であった。いくら年功序列が崩れてきたこの日本の資本主義社会とはいえ、三上の態度には血が上ったが、ただのアルバイトなのだから気にするなと己を慰め、拳を握りしめながらその時は家路に着いたのだった。
 この採点のことは、さすがに各々メンバーも堪えたと同時に、他メンバーの点数が気になるらしく、それとなく点数を訪ねあったりしていた。また憤慨しているものも多くその急先鋒は荻野だった。荻野は以前から三上とは相当相性が悪く、年齢も近いせいもあって、内心忸怩たるものがあったのだろう、三上への態度がより一層頑なになり、横柄になってきた。

 「宮田さん、あいつどうにかしましょうよ」
 「まあ、ここは堪えようよ、どのみち俺たちとは相性がよくないんだから、もっと相手の手の内を観察したほうがいいよ」

 私も年上なだけあって、ここは冷静に相手の出方を見たほうが大人だよと、荻野を諭したが、彼の怒りは収まらないらしく、いつも不機嫌な態度で仕事をしていた。彼にそれとなく採点結果を聞くと、何と総合点が10点ということだった。まさに三上は荻野に喧嘩を売ったのである。私は荻野には悪いが彼が辞める日も近いなと予感がした。

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外資系高級ホテル編

第6章  清掃というお仕事

 序章で投資家のトカゲ男について触れたが、私がホテルにいた3年間、数回、このトカゲ と顔を合わせる機会があった(隣のレジスタンスに居るのだから会っても不思議ではない)。彼はあの時のことなど忘れているのだろう、私の顔を見ても何の反応を示すことはなかった。この間、私は、時々、あれは何だったのだろう、と考えることがあったが、私は私なりの結論に達したのであった。
 あの時、彼は投資家たちの集まりのパーティーで、あの女子と楽しく話すことが出来た。そこで、金はあるが、女のいない彼は大変上機嫌だった。あわよくば宴がお開きなっても、どこかに誘ってと思ったかもしれない。そこで誘ったのだが、何せトカゲのように気持ち悪い男である。彼女たちは早くこの場を去ろうと隙を見計らって逃げ出した。
 さあ大変彼は彼女たちを追っかけた。そこで清掃している私を出くわすのであるが、日頃飲み慣れていない酒を飲んで酔っ払ったのと同時に、女に逃げられてパニクってしまった彼は、?(不思議)私を自分の会社の部下と勘違いしてしまい(ひょっとすると私と背格好が似ている新人がいた。)、そしてあのような暴挙に出てしまった。これが本当ならば少し彼の行動も筋が通ってくるのですが、どんなものでしょうか。
 彼はどこかで、私が部下ではないと気づいたのだろうが後の祭り。落としどころをどうして良いのかわからず、最後にトイレに駆け込みあの結末を迎える。この筋書きが出来た時、まさに私はスパッと頭の中の靄が晴れたのである。
 そう考えると、あの時のあれだけの怒りが嘘のように氷解しだし、トカゲも何だか可愛らしいなと思うようになってくるのが不思議であった。まあトカゲもお金があるのだから早く女を見つけ、もっともっと日本のために頑張ってくださいと、清掃夫には言われたくないだろうが、言わせていただくと、彼とは私の中で一人和解したのである。 
 ここで少し清掃業とはどういう業界なのかを少し解説しておきたい。そんな業界どうでもよいとお思いの方は、この頁(ぺーじ)を飛ばしていただいても結構です。
 清掃業というのは、ビルメンテナンス業の一部に位置づけられ、ビルメンテナンスはその他にビルの設備管理、保安設備・駐車場管理の仕事がある。言わばビル全体を安全・安心、そして清潔に管理することを目的とする仕事で、現在全国に32,157社(社団法人全国ビルメンテナンス協会会員企業)ほどの会社があり、その就業人数は50万人ほど。
 ただ、全体の就業人数の7割が清掃業で、ビルメンテナンス業は清掃業で成立しているといっても過言ではない。
 常勤従業者の年齢別構成は50~59歳が36.2パーセント、60~64歳が18パーセント、65歳以上が9.6パーセントと50歳以上が6割と高年齢の就業者が多い業界である。これは当たり前で、好き好んで若い時から清掃の仕事をする人間などいないのが現実なのではないだろうか。また就業者の8割近くがパート、アルバイトという非正規従業員で、全国平均賃金(時給)は766円(東京は980円)<2010年現在>。これも清掃など誰でも出来るという実態を反映している証拠ではないか。社員の平均給与は40歳平均でも年収3,500,000万円ほどで、とにかく私の見る限り労働業界でも下から何番目かに入る低さなのである。
 これは、ひとえに清掃という職業の社会的評価の低さを反映しているわけで、業界全体がどうすれば、もう少し清掃業の価値を高めることが出来るかが、やはり一番の課題なのだがなかなか困難なのはその現場で働いているとよく分かるのである。
 それでも特殊清掃等(高層タワーや高い仏像などの危険区域のプロフェッショナル清掃や自殺現場や孤独死部屋などの清掃はそれなりに高時給だが)は報酬的には高いが、これは誰もやりたがらないという意味の希少性なだけで、社会的に評価を受けるのとは違うだろう。よく新幹線の準備清掃のスピード清掃がその素早さとともに適格さで評価されマスコミなどで取り上げられるくらいが関の山なのではないだろうか。
 どこぞのアンケートで、世の中のAI(人口知能)化による絶滅危惧職業のランクで、1位タクシー運転手の次に堂々2位にランクインされていたが、これなども清掃の仕事にたいする無理解の表れのように感じる。とにかく誰でも出来る簡単な仕事で、汚くて格好悪い仕事では断トツなのは否めない、それでいて報酬が低いのであるから何をか況やである。
 私も掃除と洗濯は嫌いな行為ナンバー5ぐらいに入るのではないだろうか。そんな私が清掃の仕事をしているのだから皮肉なものである。
 因みに掃除と清掃の言葉の違いは、掃除は一般家庭などで日常簡単に行われるもので、プロ(お金を貰う)が大がかりに行うものを清掃と言う。故に蛇足だが、憂歌団の「おそうじオバちゃん」という歌は正確には「せいそうオバちゃん」と言わなければ失礼なのである(きっと歌の中のおばちゃんはプロの清掃婦だろうから)。ただ「せいそうおばちゃん」では何とも親しみがないが・・・・。
 この曲が出て、案の定「要注意歌謡曲指定Aランク」になり放送禁止になってしまったがが、歌詞は

 あたしゃビルのおそうじオバチャン
 あたしゃビルのおそうじオバチャン
 モップ使って仕事する

 朝・昼・晩と便所をみがく
 朝・昼・晩と便所をみがく
 ウチの便所はもうイヤヨ

 一日働いて、2,000円!
 今日も働いて、2,000円!
 明日も働いて、2,000円!
 クソにまみれて、2,000円!
 あたしゃビルのおそうじオバチャン

 こんなあたしもユメはある
 こんなあたしもユメはある
 かわいいパンティはいてみたい
 きれいなフリルのついたやつ
 イチゴの模様のついたやつ
 黄色いリボンのついたやつ
 アソコの部分のスケてんの
 あたしのパンツはとうチャンのパンツ

 あたしゃビルのおそうじオバチャン
 あたしゃビルのおそうじオバチャン
 今日も歌って仕事する

 ワッシュビ、シュビ・ドゥ・ワッパ
 ワッシュビ、シュビ・ドゥ・ワッパ
 今日も歌って仕事する
 今日も歌って…

とさすがにある反面、職業差別的に見下しているような歌だが、これを聴いて差別などと言う清掃婦がいるだろうか。定義から言わせると「せいそう」と言わないで「おそうじ」と言ってしまっていることと、さすがにナニワの露骨な下品さで、オバちゃんを侮蔑しているということで怒るかもしれないが…。
 私は、何か救いようのない業界のように書いているが、そんなこともない。
 私の見る限り、社会的貢献度としてはかなり高い位置にあると思うがその仕事が直接お金を生み出すわけでないので見過ごされてしまうというのが本音のところかもしれない。思うに主婦の仕事がかなりの重要度であるのに、当たり前と思われる仕事過ぎてなおざりにされてしまうのと似ているかもしれない。
 私は全国に清掃業の人間がいなかったら、どんなに日本は不潔で汚い国になっているか、想像してみて下さいと言いたい。
 この仕事は、スキルがあまり必要ないので(ほんとうはスキルの差は非常に出やすいのだが、これはこの職業についた人間にしかわからないだろう)、間口が広く、誰でもすぐに就業できるので失業者の救済にたいしても非常に役立っているのだが、バカなホワイトカラー層には知らぬ存ぜぬ、存在自体が目に入らないのである。
 また年金暮らしで、もう少しお小遣いが欲しいという人には、体力を付けるにも良いし、家に籠りがちになりコミュニケーション不足も解消出来、ボケ対策にもなり大変有意義な仕事だと思うのである。ただ社会的エリートだった人は、清掃夫に見をやつすのはタマラナイだろうが、それはそれ、朝は早くほどよい運動量で健康にはもってこいの仕事であるのは確かで長生きするには良い仕事なのではないだろうか。一度お試しあれ。
 私が経験して、この業界に不満なことは、余りにもお客さんに言いなりになり過ぎ、こちら側の提言が少な過ぎるような気がするのである。会社側の社員もたかが清掃屋という自虐的なところがあるのかクライアントに言われっぱなしなのである。これも自分たち清掃のスキルに対する自信のなさの表れなのか。誰でも出来るのだが、そこにはちゃんとしたスキルがあるのだということをもっと唱えて然るべきなのに、それが出来ないというのが業界の貧弱さなのだと思う。業界全体が清掃スキルに対してもっと深く考えた方が良いように思うのだが如何なものか(ただスキルを求めすぎると、間口が狭くなり先程述べたことと矛盾してしまうが…)。
 それでいて、社員は背広など着込んで、ホワイトカラーずらしているのだから、半分外部の私からみても痛々しいのである。逆に言えば清掃業など作業着で歩き回っているほうがプロらしく見えると思うのだが、何ともどうしてなのか背広・ネクタイを好むのである(実体は社員もほとんどが背広脱いでゴミ拾いやバキュームを掛けているのにである)。
 また、社員は背広・ネクタイなど好むくせに、現場の作業員に着せる制服に対するセンスがないのはどうしてだろう。これ以上貧乏な人間はいないというようなセンスの作業着だから酷いものである。こういう業界だからこそセンスのよい作業着が必要なのにこの辺に関しても何だかな、なのである(最近はポロシャツ、コンパンで格好の良い制服も現れたが。具体的に言わせてもらえば東京メトロの清掃員の制服、酷すぎるから何とかしろ、貧乏がもっと貧乏にみえるだろ)。
 現在、この業界が頭を痛めているのは、政府が非常勤労働者(パート・アルバイト)にも保険、年金をという施策で、一日4時間以上週5日20時間以上の雇用者には、保険と年金を加入させなければならないといと義務化したため、非常勤労働者の多いメンテナンス業界は保険料の増大で、会社存亡の危機に関わる大きな問題に直面しているとのことである。そのため会社側はパート・アルバイトに一日3時間以上は働かせないという、規制をしだしたのだが、それだと人が集まりにくく、会社側も頭を痛めているのである。
 清掃業の仕事現場は、前述したように、ビルのオフィス、店舗、ホテル、学校、病院、マンション、公園、駅等、人間が生活する場の全ての範囲と言っても過言ではないだろう。
 その中で清掃業の一番の仕事はゴミ処理なのではないだろうか。この業界でアルバイトをして一番驚いたのは、毎日よくぞこれだけゴミが出るものだということである。オフィスビル等そのほんの一部を毎日処理していたわけだが、その量たるや半端ではないのである。都内だけ考えただけでも、果たしてどれだけのゴミが排出されるのか、それを考えてだけで頭がクラクラしそうなので考えないことにしているが、人間の外にゴミがあるのではなく、ゴミの中に人間がいるのだと形容しても強(あなが)ち間違いでないような気がする。そして、ここでは敢えて述べることはしないが、私のゴミ処理の体験から、ゴミ処理構造が何とも奇妙なのを知ったことは良い経験であった。
 ともかく、当たり前だが汚いところを綺麗にすることが清掃業の仕事で、毎日50万人ほどの人間がその仕事に従事しているということを知っていただければと思う。また日本が世界的にもシンガポールと1,2を争うほどのキレイな国だということ、それを支えているのが清掃員だということを認識してほしいものである。

清掃夫は見た-?だけど、愛しき人々➇

外資系高級ホテル編

第5章  哲ちゃんの呟き

 このホテルの清掃員になって忘れらないことがある。
 深夜2時半頃、私はグランド〇〇〇ホール横の展望テラスの掃き清掃をしている時だった。その展望テラスの下は芝生に覆われたH公園が広がり、昼夜問わず憩いの場所として人気のスポットなのである。その時は櫻が終わり、緑はさらに濃くなりつつあり、まさに陽気が充満する季節であった。さすが深夜は薄い電飾で仄かに明るいところはあるがほとんど真っ暗で静まりかえっていた。テラスの清掃を一通り終え、さてホテル内に戻ろうとした瞬間、何やら人か動物か、雄叫びが耳元に聞こえた。ちょっと気になったので、テラスの端に行き、闇に包まれた公園を見渡し、耳を傍立(すまし)た。するとまた人の泣き声か、はたまた犬の遠吠えのようなものか聞こえてきかと思うと、少しすると止んだ。また数分後、今度は騒めきのような粗雑音に変わった。その時は変だなと思いながらも、次の仕事が控えているので、そそくさとホテル内に引き返した。
 翌日、昼に目を覚まし、テレビをつけると、どこのワイドショーも超人気アイドルグループのメンバーKが逮捕されたというニュースで持ち切りだった。そんなことに関心のない私だったが、ニュースを聞き流していると話題の中に午前2時半頃、H公園、泥酔で大声、裸というキーワードが耳元に。これは聞き捨てならないと、さすがに画面に目を向け、耳を凝らすと、まさに、昨日、私がテラスでの作業中の奇妙な反響音は、Kの声だったのだと、さすがに、こんな事件に普段は感心を示さない私も驚きだったのである。
 ただ、このK、ホテルの隣の高級レジスタンス(住居)に住んでいるということは有名で、この公園は自分の庭みたいなもので、自宅近くで酔っぱらって羽目を外してしまった(裸になることはないが)と考えると、超国民的スターだからであって、一般人ならなんでもないショーモナイ事件なのであるが…。

 整骨師の国家試験に合格して、やっと整骨師の仕事が見つかったという繁田さんが来週一杯で辞めるというのでお別れ会が開かれた。またヤンキー大橋が幹事になり、高木、松永、田中、岡島、荻野と私が集まった。当然馘になった崔さんと田辺の話題から会がはじまった。
 岡島は、以前とは打って変わって今度は「しかし、ひどいよ」と崔の行為を攻めていた。二度の中国人にお騒がせ事件に、私たち一同、中国人はこういうものだという完全にバイアスが掛かってしまったのである。今後中国人というと13億もいるのに、趙、崔のような人という偏見でしか見ることできないだろうと思うと悲しいが、他でも中国人の唖然としてしまう性質(タチ)の話を聞くたびに、さもありなんと思いで驚かなくなり、慢性化してしまうのも危険なのである。
 田辺の話は、田辺より、モンゴル人の腕っぷしの強さが酒の肴になり、大相撲のモンゴル旋風もあの小さなマンドラがあんなに強いのだから何かを況やであるという結論に達したのであった。
 田辺の場合は、彼の現状が余りも深刻で悲惨なので一緒にアルバイトを続けていれば、それぞれ手助けをしてやれたかもしれないが、あんな形で自滅して辞めてしまっては自分たちも手の施しようないので皆言葉少なだった。
 そんなことよりも、今までほとんどが悲惨な形でしか人が辞めていかないなか、繁田さんの前向きな退職が嬉しかった。55歳で会社のリストを受け、退職金を全て鍼灸・接骨学校の入学金と学費に使い、生活費をこのホテルの清掃の稼ぎで賄っていた彼も、働きながら内心忸怩たるものがあったと思う。
 「ここで働いている姿を、会社の同僚には絶対見られたくないよ」と口にしていたことがあったが、これが本音だろうと思った。彼はまた独身で、介護の必要な父親と一人暮らしであるとも言っていた。
 一番仲のよかった高木が
 「繁ちゃん、俺お店行くから安くやってくれる」と言うと
 「高木さんはそれよりその糖尿病を何とかしないとね」
 「糖尿病は何ともならんよ」
 「違うよ、もっと節制しないとほんと70歳までもたないよ」
 「いいんだよ俺なんか、女房、子供にゃ捨てられるし」
 「そりゃ自分でまいた種だからしょうがないでしょう」と大橋が口を挟む。
 「大橋、お前にだけは言われたくないよ」と高木さんは笑う。
 「それより早く俺もここから脱出したいよ」と荻野言った。
 「窯作るって、どこらへんを考えているの」と松永さんが荻野に聞く。
 「まあ、千葉か埼玉あたりにかな、ただどんなものかな」と荻野は焼酎ロックを舐め言った。
 その時、伊藤と仲がよく、会社の内部事情に詳しい田中が
 「噂だけど12月に三上が戻ってくるらしいよ」と口にすると。
 一同、場が静まったかと思うと高木が
 「嘘だろう」と言って目を丸くした。
 「あいつ社員になったらしいよ」と田中
 「何で島流しのアルバイトが社員になれるのよ」と荻野
 「そこなんだよ。伊藤さんも首を傾げていたけどね」
 私は非常に気持ち悪い、嫌な予感がして
 「あいつが来るのなら、俺辞めたくなってきたな」と言うと
 「俺はグッドタイミングだな」と繁田さんが笑った。
 「松永さんは、三上とコンビが長いから大丈夫でしょ」と大橋が聞いた。
 「大丈夫じゃないけど……」
 「しかし、アイツが班長にでもなったら大変だろう。でも田中さんはああいうタイプ好きでしょ」と荻野が言った。
 「真面目な人だと思いますよ」と飲みなれない酒を、ソフトドリンクに変え田中が答えた。
 「その真面目が怖いのよ」と高木さんはもう一杯ウーロンハイを注文した。
 三上が戻って来るという話題はその後の早朝の飲み会を暗いものにしてしまい、早々とメンバーは打ち上げしたのであった。

 清掃の中で、皆一番嫌がる仕事がトイレ清掃なのだが、多くの清掃現場は女性が担当するのだが(これをまた<差別>なんどと言う輩がいるが、これはただ単に男性が女性便所に気軽に入って清掃していたら使用する女性は嫌だろうし、清掃する側も男性では何かと利便性に欠けるので、女性中心にならざるをえないだけなだけで、こ奴らは何も分かっていないのである)、このホテルの深夜清掃は男性だけなので、女性トイレも私たちがやらなければならなかった。
 しかし、なぜかこの現場はトイレ清掃が人気で、私も担当がトイレになると、心の中で「ラッキー」と呟いていた。理由は、トイレ清掃は他の清掃と比べ動き回ることが少なく、体力的に楽だというのが一番で、床に小便(おしっこ)の地図が出来ていようが、便器に○○チが付いていようが、嘔吐(ゲロ)が撒き散らしてあっても、動きが少ないというのは天国なのである。

 少し話が変わるが、深夜のルーチンの仕事というのは、昼間の仕事よりも同じ仕事をしていても数倍疲弊するというのがこの仕事で分かったことは私に大きな意味があった。当たり前のことだが、だから時給も高いのであるが、人間(動物)は日の出とともに活動し、落ちるとともに活動を停止してきたわけであって、その習慣は太古以来、DNAに沁みついているのである。いくら近現代で、仕事の時間にも変化が現れたといっても、この習慣はある絶対的な何かがあるように思う。故に私は、ここを辞めて以来、現在まで、ルーチンの深夜肉体労働はやらないことにしている。
 話は逸れたが、このホテルのトイレ、さすが抜群に清潔で、今までこんな豪華でキレイなトイレを見たこともないのだが、それはそれ、そこを人が使用すれば汚れるのは世の常で、それを以前の完璧な清潔なトイレに戻し、再現するのが私たちの仕事である。まずは男性用ではブラシで小便器と大便器をピカピカに磨き、タオルで周囲と床を拭(ふ)き、水タオルで大鏡を指紋一つ残さずに拭(ぬぐい)、流しに毛一本残ってないかを確かめながら丹念に汚れとりをしていく。その後お客さま用の使用手拭きを回収し、新しい手拭きをキレイに丸めて一つ一つ漆塗りの盆の上に重ねていく。そして、また元の豪華な美しいトイレが完成されていくのである。このトイレ、ここで寝泊り、食事をしてもそれこそセレブ感を味わえるのではないかという代物なのである。
 やはり案の定ではあるが、不埒な輩が出没するのである。ホテルという割と出入りが自由な空間であるため、このトイレといってはいるが、一般家庭のリビングよりも美しい空間にホームレスが目を付けないわけがないのである。

  清掃メンバーが名付けた通称哲ちゃんが、度々トイレに現れだしたのは昨年もそうだが12月半ば寒さが本格化しつつある頃だった。この哲ちゃん、身なりは清潔とはいえないが、普通にこの程度は巷に徘徊している中年のオッサンで、見た目ホテル側が受け入れを拒否できるほどに悲惨な姿をしているホームレスではないだけ、こちら側も扱いにくく、はじめは自在にトイレを利用していた。
 なぜ哲ちゃんかと言うと、髪が真っ白で、伸ばした髯と相まって、まさに仙人か、ギリシャの哲学者のような風貌で、目つきと頰の削げ方がどことなく知的なため、誰が命名したわけでもなく、哲ちゃんというネーミングが浸透するようになったのである。
 何せ大便室に入って鍵を閉めてしまえば、何時間そこに潜伏していようが、こちらは手出しができないのだから、哲ちゃんにとっては天国。飯を食べようが、酒を飲もうが、眠りにつこうが勝手気ままなのである。
 私たちもお客さんが入っていたと言えば、そこだけ清掃が出来なくともそれは問題ないわけである。
 「今日は哲ちゃん、何かズーッとブツブツ言ってたよ」
 「あいつ挨拶もなく、平気でお盆の手拭い持っていきあがったよ」
 「ただ出て行くとき、綺麗に掃除していくのは感心だよな」
 「アイツ週何回来てるの」
 と、トイレ担当は、清掃が終わると口々に哲ちゃんの話を他のメンバーに話すのが日課になりつつあった。
 しかし、今から考えると、なぜこういう人間が深夜にトイレに潜伏していることを誰もホテル側に伝えなかったのか、私たちの中に、どこか彼に対して慈悲の気持ちがあったのか、その変はわからないが、何故か誰もこういう不審者がいるとはホテル側に告げなかったのである。
 哲ちゃん、誰にも咎められないのをいいことに、日増しに行動が大胆になってきた。
 最初のころは、一回大便室に入ると、トイレを去るまで顔を出すことはなかったが、ちょくちょく何食わぬ顔して平然と私たちの前に姿を現すようになり、何か独り言を呟いている。耳を澄まして良く聴いていると
 「この土地は、昔俺のご先祖さまのだったの、だからよ……」
 「俺は、もとはお前らより、ズーッと偉かったんだよ……」
 「おりゃ女房叩いてやったんだ。そしたらいなくなっちゃったんだよ」
  誰に向かって喋っているのか、聞きづらいのだが、意味の判る言葉もいくらかあった。
 「それなら、オッサンのご先祖さまはC藩の殿様か」と私が茶々をいれると、
 哲ちゃん、目を見開いて、こちらを鬼のような形相で見つめたので、怖くなり何関せず作業に戻ると
 「バカヤロー、お兄さん煙草持っているか」と厚かましく要求しだした。
 私は頭に来て
 「あるけど、お前にやる煙草なんかないよ」と吐き捨てて言うと、そそくさと大便室に戻っていった。

 謙虚に、夜の避難場所で静かにしてればいいものを、哲ちゃん、こちらが甘い顔をしているとどんどんつけあがってくるようになってきた。他のメンバーにも、最近の哲ちゃんの様子を聞いてみると、同じように態度がデカくなっているということだった。
 こうなると哲ちゃんのハイクラスホームレス生活も危うくなりだすのは当たり前のである。メンバーも今まで慈悲の心を持って、哲ちゃんをやむを得ず居させてやっていたが、誰れが言うこともなく、哲ちゃんの追い出し作戦が始まった。しかし、さすがC藩のサムライを先祖に持つだけあって彼の抵抗も並ではなかった。凄いのは何かを察したのか、毎日のように現れていたのを1日おきにしたり、何週間も現れることがなかったり、こちらを安心させたかと思うと、フェイントをかけているのか、こちらが忘れかけていた時に、また忽然と姿を現し、音もせず静かに大便室に籠もっているのであった。

 しかし、そんな彼の戦略や豪華なホームレス生活も終止符を迎える日が突如と来たのであった。その日は東京が昨日の大雪に埋もれ、底冷えのする寒い朝だった。仕事が終わり従業員口を出るといつもは静寂に包まれていて、人などほとんどない裏手の公園の気配が日常(いつも)と違かって騒がしかった。
 このホテルのある複合ビルと公園は土地全体が江戸時代C藩の下屋敷だったところで、明治になり政府の軍関係が土地を取得し、昭和になっても軍の関係機関があったところで、戦後も防衛庁が使っていた土地で、公園の池と周辺はC藩の下屋敷当時のまま保存されていた。何だろうと公園を覗きに足を進めていくと、池畔に救急隊が二人の警察官を伴って、毛布にくるまっている人を担架で救急車に運びいれるところだった。それ何人かのやじ馬が眺めていた。公園は真っ白な雪に覆われていたが、池だけは灰色に染まりそのコントラストが鮮(あざ)やかだった。
 一緒にいた高木さんが
 「ありゃもう死んでるな」と元消防隊員の彼は現場を見ればどういう状況なのか察しが付くのだろう、ポツリと呟いた。
 私たちは、やじ馬に近づいていき、
 「どうしたんですか」と言葉を口に出すと、
 「いや、酔っ払いが寝ちゃって凍死かもしれないね」とその中の一人が言った。
 「これだけ寒くちゃ死んじゃうよな」と続けて誰かかが言った。
 その時は都会では頻繁にある行き倒れの野垂れ死にかと、少し現場を眺めてから、雪で足場が危うい中を家路に急いだのだった。
 私の中でその凍死者と哲ちゃんが結びあわされたのは彼がトイレに来なくなって3ヶ月ぐらい経った後だった。確証はないが、何だかあれは哲ちゃんだったのではないかという思いが偶に頭に浮かんだのだが、ただの一人のホームレスのことなど忘れていることが多かった。その1年後、このホテルのアルバイトを辞めたが、その間、哲ちゃんは現れることはなかった。もし、哲ちゃんがあの凍死者であれば、なぜ、トイレに現れることなく凍死してしまったのか、そういえばここの土地の持ち主は、昔俺の先祖だったと言っていたが、それが本当ならば、彼がどんな人生を送ったかは知らないが、自分のご先祖さまの屋敷の土地だったところで人生を終えて、哲ちゃん、幸福だったのではなどと有らぬことを考えてしまうのであった。いや、定かではないが、きっとどこぞの高級ホテルで懲りずにまだ超豪華ホームレス生活を送っているかもしれないが……。

清掃夫は見た-?だけど、愛しき人々⑦

外資系高級ホテル編

第4章 人間なんてララーララララララー

 崔さんとのコンビがまたはじまったが、以前にもまして彼は働かなくなってきた。コンビでラウンジの清掃をしていても、途中で雲隠れしてしまい帰ってこない。
 帰ってくると眠そうな顔をしている。どうせどこかで潜んで寝ていたのであろう。そんなことが頻繁に起こるようになったのだが、清掃の仕事そのものでは問題は起こらなかったのだが……。
 朝仕事が終わり、ロッカー室で着替えていると、隣で崔さんが怪訝な顔をして携帯を覗いていた。崔さん突然、
「宮田サン、ヤッパリアイツ、オレの携帯ツカッテ大阪二デンワシテルヨ」
 何を言っているのか分からなかった私は
「アイツって誰」と言うと
「ホラ、ワタシノトナリノアイツ」
 よく私たちと朝一緒になるホテルの従業員の顔が思い浮かんだ。
「何で、崔さんの携帯なんか使うのよ」
「イヤ、ワタシ、ツカッテナイノニ、イツモ大阪ノ発信キロクがアルノヨ」
 私はそれだけで彼がなぜ崔さんの携帯を使ったことになるのか不可解だったので
「崔さん、完全な証拠掴むまで絶対にそんなこと相手に言っちゃダメだよ」
「絶対アイツだよ、アイツ」
「彼が崔さんの携帯使っているのを見たの」
「…………」
「もし使ってなかったら大変なことになるのだからね」
「ワタシワカルノ」
「勘とか思い込みで言っちゃダメだよ」
 そう言えば趙さんの時も似たようなこと言ったような…と急に趙さんの顔が浮かんだのである。
「とにかく、証拠を掴むまで、どんなアクションも起こしちゃダメだからね」と
強く言うと、崔さんは不満げな顔を浮かべ「デモ」と呟いたかと思うとそそくさと出ていった。

休憩の時間にウトウトしていると、高木さんが
「宮ちゃん、バルトがモンゴルで事故ったの知ってる」と言って近寄ってきた。
「事故ったって、どういうことよ」
「スピードの出し過ぎで、突然前から出てきた鹿を除けようとハンドル切り替えたらスリップして大木に突っ込んだらしいんだよ」
「命に別状はないらしいんだが、足がダメで車椅子生活だって」
 あの要領の良いバルトが半身不随と聞いたとたん自分が彼に抱いていた危うさの予感が当たってしまったのではないかと驚いてしまった。結果論かもしれないが、彼と一緒にいると、いつも<お前そんなに要領よく人生は進まないものだよ>と心の中に浮かんでいた。上手く説明できないが、必ずどこかで大きな挫折体験をするのではと思っていたが、それがこんなに早く、こんな形で舞い降りるとは神の残酷さを呪わざるをえなかった。
 後からエレドモに詳細を聞くと、バルトは運転に絶対の自信を持っていて、信じられないスピードを出すことが良くあり、事故になりそうなことが多々あったと言う。それをまたバルトのことだから上手く避けていたのだろう。そしてそれがより一層の自信を生んでしまったのではないか、やはり今回の事故は彼の過信と要領の良さが生み出したものではないかと、彼には悪いが変な納得の仕方をしている自分が怖かった。

スパフロアーは前述したように会員向けの小さなラウンジがあり、そこも毎日深夜、バキュームとテーブル拭きをするのだが、そこの隅に三坪ほどの小さな事務室があった。始めはバルトがそこの担当であったのだが、彼が帰国することになったので担当のチェンジがあり、私が任されるようになった。
 最初は小さな事務室なので5分もかからずに終わっていたのであるが、その時はたまたま事務室の四辺(まわり)を眺めると、壁に大きな肖像写真(ただのスナップの拡大写真だが)が3枚ほど教祖様の写真のように貼ってあった。何だろうと首を傾げて見ていると、一枚は見た時のある顔である。
 一回見ると忘れられないこの首がなくピグモン(ウルトラマンのに出てくる怪獣)にどことなく似ている男、そう大手出版社を辞め、独立して自ら出版社を起こし大成功したG社のK社長の肖像写真だった。私は小説を読むのが好きなのでG社の文芸書のいくつかを読んでいたので、K社長の顔には見覚えがあったが、そちらの方面に関心がない人にはK社長の顔など見ても分からないだろうと思うが、最近では自らの生きざまの本(結局自分が如何に凄い人間かを語っているだけ)を出したり、テレビにも顔を出しているので分かる人も増えてきているのではないだろうか。ただ肖像写真の下には、G社ではなくTというラグビーのルール用語のような名前になっていたが、「へーこんなところでも力があるんだと」妬みもあったが最初は少し奇妙に思いながらも感心しながらその写真を眺めていた。
 後の2枚の写真も下に会社名と名前があったが、さすがにG社と違って、聞いたときのない会社名と名前が並んでいた。
 何回かその小さな事務室を清掃していた時、たまたま、ほんとうにたまたま、棚に目をやると、ノートが見開きで置いてあった。ふっとそのノートの文面が目に入ってしまうと
K社長の名前が頻繁に書き連ねてある。好奇心にそそられつい本格的にそのノートの文面に目を通すと、「本日Kが来ます。危険」「Kがラウンジで携帯を使うので注意したら、逆に怒り出す」「K予約、注意」「問題あり、Y、S、K、上手くあしらうべし」とKが問題児のように扱われていた。このノート従業員のための引継ぎの報告書だった。その瞬間、この肖像写真の意味が私の頭の中で納得された。もう一度肖像写真が貼ってある壁に目を向けると、上に大きく「ATTENTION」と書いてある。それはスパ会員の要注意人物を従業員に分からせるために貼ってある、例えは悪いが手配写真のようなものだった。
 しかし、元気な人だなと感心するが、彼、創業当時は華々しく文芸の復興などと言って出てきたが、蓋をあけると売れればなんでもありになり、あげくの果てには高級スパで問題児になり、なんだかどこぞの田舎の出の芸能プロダクションの社長のように変身しだしたのは悲しい限りである。まあ彼も清掃夫にこんなことは言われたくないだろうが…。
 そう言えば、この社長「顰蹙は買ってまでしろ」などということを謳っていたが、こんなところでも「顰蹙を買っている」のかと思うと、皮肉だが逆になんだか可愛らしいなと感じなくもない。
 ここの会員制のスパは入会金400万円と庶民には目ん玉が飛び出るようなお値段だが、東京の夜景が一望できるプ―ル、サウナ、ジャグジー、エステ、トレーニングルームが格安(ぜんぜん安くはない、一般価格が高すぎるので)で利用でき、一般の人が出入りできないラウンジで飲食しながら寛げる。まさに人生の勝ち組が静かに優越感に浸れる場所としては打ってつけの空間であるのは確かなのだが、さすが厳しい社会を己の腕で勝ち抜いていた男女たちだけあって、ひと癖ふた癖・・・あるのは当然で、自信過剰、傲慢不遜な人間が多いのは否めない。その上、高い会費を払っているのだから、ワガママに振る舞いたくなる気持ち分かるのだが。何とまあ、大人げない恥ずかしい行為が横行するのもこういう場所柄だからなのである。一生清掃の仕事以外にはこんな場所に踏み込まないし、いや踏み込めない人間には、嫉妬(ねたみ)も含めてだが、何だかなという気持ちしか起らないのはなぜなのだろうか。

何だかなという話はまだある。麻薬で捕まり、落ちるとこまで落ちてしまった元プロ野球選手のKである。Kはこのホテルの常連で、22時の始業時間の深夜組がバックヤードで業務の打ち合わせの朝礼(22時でも朝礼という)をしていると、腕が太く筋肉質のデカい(この表現がピッタリくる)身体の男がその廊下を横切っていくことがあった。日本人の清掃員はすぐに、「ハッ」としてその男に気づく、横にいる同僚の腕を肘で軽く突いて「Kじゃん」と低声で呟く。その声をKは聞き逃さずこちらを振り向き、厳しい形相(心の中で舐めるなよという気持ちがこもっているのだろう)で睨み付けるのだった。
 あれほどの大きな男に睨みつけられると、ほんとうに「怖い」もので、皆震え上がっていたのを懐かしく思い出す。
 ちなみに、どこもそうだろうが、超有名人はホテルに入る時は、一般客とは違い特別の通用口を使い、部屋に入るのも従業員用の裏手廊下(バックヤード)から入るようになっている。
 私は勤続していた3年でKとは3回しか遇(あ)っていないが、いつもKの何分か先に、少し年配の細身の女性が入っていくのを目撃しているが、その女性、その時よく週刊誌で取りざたされていた年上の銀座のクラブママだったのではないだろうか。
 まだその頃は、まだ、Kが薬(ヤク)中になっているなどという噂は出ていなかったが、今から考えると、その頃はもう深く(ドップリ)覚せい剤セックスに嵌(ハマ)っていたのだろう。生涯獲得収入が50億円を越えるという大スターが、ほとんど一文なしで、逮捕されるのも周囲で見ている凡人たちには面白いし気慰みにはなるだろうが……。
 しかし、一時だが彼に比べば小銭だがお金が入り世間様には良い思いをしたなどと言われるが、すぐに急落し貧乏アルバイト生活に転落した身には、烏滸(おこ)がましいが、彼の現在の心境が分からなくもないと言っては生意気だろうか。
 ちなみ、誰の言葉だかは知らないが、名言を一つ「この世の中の不幸は二つしかない、お金のないことと、お金のあることである」、この名言はアルバイト清掃員の私たちとKには心に突き刺さる言葉のはずである。

  仕事が終わると崔さんとは、ロッカーが近いために隣合わせで馬鹿話をしていたが、先日の携帯のことも忘れたのか、犯人だと目星を付けた男も良く顔を合わせることがあったが、さすがに彼も自分の思い込みだと納得したのだろう何事もなく過ぎていった。
 ところが、納得するどころではなかったのである。とうとう崔さん行動に出てしまった(やっちまった)のである。
 ある日、崔さんより遅れてロッカー室へ入ると、彼が大きな高い声で怒鳴っている。
 「アナタ、イツモイツモ、ワタシの携帯ツカイ、大阪にデンワシテルデショ」とその男を詰め寄っている。
 その男はいきなりの言いがかりにただ茫然とその場に立ち尽くしていた。
 「ワタシミタネ、アナタガコノ携帯ツカッテイルノ」と語気を強め詰め寄った。
 「・・・・・・・」
 男は当然だろう、言葉も出ずにただただ困惑した顔付で彼を見詰めていた。
 私は、万事休す、とうとうやってしまったと宙を見上げた。
 彼は事のあらましが不可解なため少し思案している表情を浮かべたが、私が横にいるのに気づき、
 「伊藤さんまだいるかな、呼んできてくれない」と指示した。
 崔さんは、真っ赤な顔をして、
 「アナタ、ナゼ、ワタシノ携帯ムダンデツカウノ」と興奮し声を上げた。
 私はすぐに従業員控室に行き、あらましを簡単に伊藤に伝え、すぐにロッカー室にいくよう伝えた。
 さてこの事件、その後どうなったかはもうお分かりなのではないだろうか。
 まずその男は、早朝のフロアー支配人でありホテルの相当な地位にいる男で、その彼を崔さんが犯人呼ばわりしてしまったのだから、事はそう簡単に収まるはずはないのであった。
 まず警察が呼ばれ、崔さんは事のあらましを告げたが現行犯なら分かるが、何の証拠もないのだから分が悪いの当然である。そして支配人が彼の携帯を使って大阪に電話をする動機は万が一もないだろうということ、また使用したのを見たならなぜその時に犯行を見逃したのかと警察に問いかけられると答えることも出来ず、そこには「ゼッタイミタノヨ」としか言えない彼がいた。これには警察も頭を抱えたが、数日後犯人が特定された。誰あろうそれは崔さんの奥さんだったという笑うに笑えない結末を迎えたのだった。
 当然、崔さんは馘になりホテルの出入りも禁じられてしまった。
 驚いたことに、これだけ騒がせた張本人、ただの自分の思い込みだったことが分かったのに、一言も犯人呼ばわりされてしまった支配人に謝ることがなかったと、その後支配人に聞かされた。
 ただただ唖然としてしまう事件だったが、趙さんの時もそうだが、なぜ証拠を掴むことなく暴走してしまうのか。彼らの行為がどうにも不可解なのである。そして自分が間違ったことをしたのになぜ謝ることしないのか(中国人や大陸の人は簡単に謝ることをしないと言われるが…)。謝り癖が多い日本人も問題だが、ここまで間違いが分かっても頑なに謝らない彼らの心中がいかなるものなのか、逆に探ってみたくなるのであった。それでいて、日本の70年前の戦争行為に対しては、自分らの不利なことがあると、いまだに謝罪せよ謝罪せよと言ってくるこのお国柄はどうにも解せないのである。
崔、趙の中国人の異様な行為だけを語ってしまうと、日本人はそんなに正常なのかと問いかけられそうなので、いやちょっと手にを得ない日本人の話をしよう。
 後から入ってきたチャラそうな田辺という男だが、最初高木さんとコンビと組んだのだが人のよい彼も根をあげコンビ替えを班長に依頼。次に繁田さんとコンビを組むが、彼も二回目でギブアップ。そして次に私に回ってきたのだが…。
 まず、彼とのコンビは、グランドホールの清掃からはじまった。何度もグランドホールのバキューム(掃除機がけ)はやっているはずだが、まだやってはいけない後ろ向きのバキューム(掃除機を後ろにして、引っ張る)を平然とやり、注意すると「ゴメンナサイ」というのだが、2,3分すると、また言われてなかったように同じことをする。そして彼のバキューム後を辿っていくとゴミがバラバラと残っているのである。注意をすると「いや、僕やりましたよ」と平然としている。証拠に掃除後を辿らせて自覚させようとゴミ跡を確認させると、今度は「この天井に何かいますよ。ゴミをパラパラ落とさせている何かが」と真面目な顔で言うので、こちらも返答に困り、苦笑いしながら
「冗談でいってるの、舐めているんじゃないの」と声高に問い返すと
「いや、いるんですよ、何かが」とまたまじめに今度は天井を指さすのである。

 前半の仕事を終え、次の現場(レストラン)の待ち合わせ場所を確認し休憩に入ったのだが、休憩が終わり現場の待ち合わせ場所で待っていても一向に彼は現れない。首を傾けながら(オカシイ)なと思い、現場周囲を少し歩いていると、待ち合わせ場所とは遥か彼方(おおげさかな)で彼を発見。
「どうしたのよ」と声を掛けると、
 キョトンとした不思議な顔で私を見詰め
「何かあったんですか」と返答する。
 私はすかさず
「裏口で待ち合わせると約束しなかったけ」
「…………」
「約束したよね」
「いつですか」
「休憩前」
「…………」
「忘れたの」
「俺と宮田さんがですか、どこで」
「だから裏口のドアの後ろで」
「いつですか」
「休憩前」
 私、この漫才のボケとツッコミのような会話をこのまま永遠と続けなければならないかもしれないと危惧し、何もなかったように装い、彼と離れたが、彼とコンビを組んでいると、毎回このようなやり取りになるのであった。
「バキューム(掃除機)どこ置いた」
 「…………」
 「さっき使っていたでしょ」
 「……………」
 「それじゃ、この部屋の誰がバキュームかけたのよ」
 「俺です」
 「それじゃ、終わってバキュームどこへ置いたのよ」
 「……………」
 「四辺(まわり)探してもどこにもなかったよ」
 「倉庫に置きました」
 「それはじめに言えばいいじゃない」
 「いや、宮田さんのバキュームのことを聞いたのかと思って」
 「あの、バキュームはコンビで一台って決まっているでしょ」
 「……………」
 「また地下に取りに行くの」
 「スミマセン。終わったら倉庫に返すと聞いたもので」
 「それ清掃が終わったらのことで、まだ終わってないでしょ」
 「……………」

 彼はもう3か月目になるのに担当区域を憶えられないらしく、やらなくてもよいラウンジの清掃をしているので、
 「なぜそんなところやっているの、松永さんと岡島がやるところだから」
 「……………」
 「レストランをやるときは、ラウンジをやらないし、ラウンジをやるときはレストランをやらないでしょ」
 「ここはレストランですよね」
 「ここはラウンジ」
 「あ、暗くて分からなかったです」
 「嘘でしょ、そんなに暗くもないよ」
 「そうですかね」
 「それよりラウンジの担当の時は、レストランへは行かなかったよね」
 「……………」
 「それって分かっているんじゃないの」
 「……………」

 さすがに仕事をするたびにこんな会話をしなければならばくなると、こちらの神経も軽くだが異常をきたすようになり、最終的にはこちらがひょっとすると間違っているのかもしれないなどという疑心暗鬼にかられ、居ても立っても居られなくなり伊藤に相談した。
 伊藤は彼が母一人子一人の家庭で、母が認知症で彼が介護をしているとのこと。どうも何年も介護をしていると本人もオカシクなるらしく彼はその症状なのではないかという見解と、「発達障害」ではないかという繁田さんの見解、を話したが、私もさすがに自分のほうもどうにかなりそうなので担当コンビの変更を依頼した。最後に彼は「一流大学を出て、一流の企業に入ったんだが、さすがにこの症状が出て馘になったらしい」と伊藤は言って「もったいないよね」と一言呟いた。

 この仕事はシフト制で、前もって勤務日を申告し、それを班長の伊藤が調整し、勤務日が決定する。しかし、この田辺たまに勤務日を間違え,来ない日に来てしまったり、その逆もあり伊藤は頭を痛めていた。
 そして朝礼でのマンドラが些細な一言が、大きな波紋を呼んでしまうことになる。マンドラが昨日来る時に田辺を見たと口にしたので、皆(メンバー)、また勤務日間違えて引返したのだろうと笑っていた。
 翌日、大橋がつい田辺に「お前、昨日また間違えて来たんだって、マンドラが言ってたよ、下で会ったって」と口走ると、田辺は真っ赤な顔をして、マンドラに近寄って「俺がいつお前と会ったよ」とマンドラの胸倉を掴んでスゴんだ。マンドラは一瞬何が起こったのか怪訝な顔付になり彼の腕を払い除けた。田辺は「俺と昨日会った。嘘言うなよ」と今度はマンドラの顔を平手で叩いたので、マンドラもさすがに血が上り、腕で彼をヘッドロックをした。
 まずいと、皆が二人の喧嘩を止めに入ったが、さすがモンゴル人、強いこと強いこと、一瞬の内に田辺をボコボコにしてしまった。田辺は身動きひとつせず頭を抱えて倒れてしまった。
 マンドラは、喧嘩が強かっただけで、始めに手を出したのは田辺なのだから完全な被害者で、可哀そうに何でこんなことが起きたのか皆目検討が分からないまま震えていた。
 幸運なことは田辺はマンドラの一瞬の攻撃で倒れてしまい喧嘩は早々とホテルの従業員に気づかれることなく終わったことだった。伊藤はそのまま何もなかったことに出来たのだが、気が済まないのは田辺でダメージは少なかったのか、立ち上がり「俺が来るわけないだろう」と言ってその日は逃げるように帰っていった。
 翌日田辺は仕事を辞めると伊藤に電話を入れ、もう現場には顔出すことはなかった。しかし間違えて来てしまったことをマンドラに言われそんなに激怒する彼が分からなかった。度々出社日を間違えるのになぜその時だけ怒り狂ったのか、間違えに対する羞恥心がそんなに強かったのか、モンゴル人に言われたことに彼の自尊心が傷つけられたのか、何だか悲しい気持ちになるのである。要らぬお節介かもしれないが、彼みたいな人間が今後どのように生きていくのかの少し心配にはなるのであった。