清掃夫は見た-?だけど、愛しき人々➇

外資系高級ホテル編

第5章  哲ちゃんの呟き

 このホテルの清掃員になって忘れらないことがある。
 深夜2時半頃、私はグランド〇〇〇ホール横の展望テラスの掃き清掃をしている時だった。その展望テラスの下は芝生に覆われたH公園が広がり、昼夜問わず憩いの場所として人気のスポットなのである。その時は櫻が終わり、緑はさらに濃くなりつつあり、まさに陽気が充満する季節であった。さすが深夜は薄い電飾で仄かに明るいところはあるがほとんど真っ暗で静まりかえっていた。テラスの清掃を一通り終え、さてホテル内に戻ろうとした瞬間、何やら人か動物か、雄叫びが耳元に聞こえた。ちょっと気になったので、テラスの端に行き、闇に包まれた公園を見渡し、耳を傍立(すまし)た。するとまた人の泣き声か、はたまた犬の遠吠えのようなものか聞こえてきかと思うと、少しすると止んだ。また数分後、今度は騒めきのような粗雑音に変わった。その時は変だなと思いながらも、次の仕事が控えているので、そそくさとホテル内に引き返した。
 翌日、昼に目を覚まし、テレビをつけると、どこのワイドショーも超人気アイドルグループのメンバーKが逮捕されたというニュースで持ち切りだった。そんなことに関心のない私だったが、ニュースを聞き流していると話題の中に午前2時半頃、H公園、泥酔で大声、裸というキーワードが耳元に。これは聞き捨てならないと、さすがに画面に目を向け、耳を凝らすと、まさに、昨日、私がテラスでの作業中の奇妙な反響音は、Kの声だったのだと、さすがに、こんな事件に普段は感心を示さない私も驚きだったのである。
 ただ、このK、ホテルの隣の高級レジスタンス(住居)に住んでいるということは有名で、この公園は自分の庭みたいなもので、自宅近くで酔っぱらって羽目を外してしまった(裸になることはないが)と考えると、超国民的スターだからであって、一般人ならなんでもないショーモナイ事件なのであるが…。

 整骨師の国家試験に合格して、やっと整骨師の仕事が見つかったという繁田さんが来週一杯で辞めるというのでお別れ会が開かれた。またヤンキー大橋が幹事になり、高木、松永、田中、岡島、荻野と私が集まった。当然馘になった崔さんと田辺の話題から会がはじまった。
 岡島は、以前とは打って変わって今度は「しかし、ひどいよ」と崔の行為を攻めていた。二度の中国人にお騒がせ事件に、私たち一同、中国人はこういうものだという完全にバイアスが掛かってしまったのである。今後中国人というと13億もいるのに、趙、崔のような人という偏見でしか見ることできないだろうと思うと悲しいが、他でも中国人の唖然としてしまう性質(タチ)の話を聞くたびに、さもありなんと思いで驚かなくなり、慢性化してしまうのも危険なのである。
 田辺の話は、田辺より、モンゴル人の腕っぷしの強さが酒の肴になり、大相撲のモンゴル旋風もあの小さなマンドラがあんなに強いのだから何かを況やであるという結論に達したのであった。
 田辺の場合は、彼の現状が余りも深刻で悲惨なので一緒にアルバイトを続けていれば、それぞれ手助けをしてやれたかもしれないが、あんな形で自滅して辞めてしまっては自分たちも手の施しようないので皆言葉少なだった。
 そんなことよりも、今までほとんどが悲惨な形でしか人が辞めていかないなか、繁田さんの前向きな退職が嬉しかった。55歳で会社のリストを受け、退職金を全て鍼灸・接骨学校の入学金と学費に使い、生活費をこのホテルの清掃の稼ぎで賄っていた彼も、働きながら内心忸怩たるものがあったと思う。
 「ここで働いている姿を、会社の同僚には絶対見られたくないよ」と口にしていたことがあったが、これが本音だろうと思った。彼はまた独身で、介護の必要な父親と一人暮らしであるとも言っていた。
 一番仲のよかった高木が
 「繁ちゃん、俺お店行くから安くやってくれる」と言うと
 「高木さんはそれよりその糖尿病を何とかしないとね」
 「糖尿病は何ともならんよ」
 「違うよ、もっと節制しないとほんと70歳までもたないよ」
 「いいんだよ俺なんか、女房、子供にゃ捨てられるし」
 「そりゃ自分でまいた種だからしょうがないでしょう」と大橋が口を挟む。
 「大橋、お前にだけは言われたくないよ」と高木さんは笑う。
 「それより早く俺もここから脱出したいよ」と荻野言った。
 「窯作るって、どこらへんを考えているの」と松永さんが荻野に聞く。
 「まあ、千葉か埼玉あたりにかな、ただどんなものかな」と荻野は焼酎ロックを舐め言った。
 その時、伊藤と仲がよく、会社の内部事情に詳しい田中が
 「噂だけど12月に三上が戻ってくるらしいよ」と口にすると。
 一同、場が静まったかと思うと高木が
 「嘘だろう」と言って目を丸くした。
 「あいつ社員になったらしいよ」と田中
 「何で島流しのアルバイトが社員になれるのよ」と荻野
 「そこなんだよ。伊藤さんも首を傾げていたけどね」
 私は非常に気持ち悪い、嫌な予感がして
 「あいつが来るのなら、俺辞めたくなってきたな」と言うと
 「俺はグッドタイミングだな」と繁田さんが笑った。
 「松永さんは、三上とコンビが長いから大丈夫でしょ」と大橋が聞いた。
 「大丈夫じゃないけど……」
 「しかし、アイツが班長にでもなったら大変だろう。でも田中さんはああいうタイプ好きでしょ」と荻野が言った。
 「真面目な人だと思いますよ」と飲みなれない酒を、ソフトドリンクに変え田中が答えた。
 「その真面目が怖いのよ」と高木さんはもう一杯ウーロンハイを注文した。
 三上が戻って来るという話題はその後の早朝の飲み会を暗いものにしてしまい、早々とメンバーは打ち上げしたのであった。

 清掃の中で、皆一番嫌がる仕事がトイレ清掃なのだが、多くの清掃現場は女性が担当するのだが(これをまた<差別>なんどと言う輩がいるが、これはただ単に男性が女性便所に気軽に入って清掃していたら使用する女性は嫌だろうし、清掃する側も男性では何かと利便性に欠けるので、女性中心にならざるをえないだけなだけで、こ奴らは何も分かっていないのである)、このホテルの深夜清掃は男性だけなので、女性トイレも私たちがやらなければならなかった。
 しかし、なぜかこの現場はトイレ清掃が人気で、私も担当がトイレになると、心の中で「ラッキー」と呟いていた。理由は、トイレ清掃は他の清掃と比べ動き回ることが少なく、体力的に楽だというのが一番で、床に小便(おしっこ)の地図が出来ていようが、便器に○○チが付いていようが、嘔吐(ゲロ)が撒き散らしてあっても、動きが少ないというのは天国なのである。

 少し話が変わるが、深夜のルーチンの仕事というのは、昼間の仕事よりも同じ仕事をしていても数倍疲弊するというのがこの仕事で分かったことは私に大きな意味があった。当たり前のことだが、だから時給も高いのであるが、人間(動物)は日の出とともに活動し、落ちるとともに活動を停止してきたわけであって、その習慣は太古以来、DNAに沁みついているのである。いくら近現代で、仕事の時間にも変化が現れたといっても、この習慣はある絶対的な何かがあるように思う。故に私は、ここを辞めて以来、現在まで、ルーチンの深夜肉体労働はやらないことにしている。
 話は逸れたが、このホテルのトイレ、さすが抜群に清潔で、今までこんな豪華でキレイなトイレを見たこともないのだが、それはそれ、そこを人が使用すれば汚れるのは世の常で、それを以前の完璧な清潔なトイレに戻し、再現するのが私たちの仕事である。まずは男性用ではブラシで小便器と大便器をピカピカに磨き、タオルで周囲と床を拭(ふ)き、水タオルで大鏡を指紋一つ残さずに拭(ぬぐい)、流しに毛一本残ってないかを確かめながら丹念に汚れとりをしていく。その後お客さま用の使用手拭きを回収し、新しい手拭きをキレイに丸めて一つ一つ漆塗りの盆の上に重ねていく。そして、また元の豪華な美しいトイレが完成されていくのである。このトイレ、ここで寝泊り、食事をしてもそれこそセレブ感を味わえるのではないかという代物なのである。
 やはり案の定ではあるが、不埒な輩が出没するのである。ホテルという割と出入りが自由な空間であるため、このトイレといってはいるが、一般家庭のリビングよりも美しい空間にホームレスが目を付けないわけがないのである。

  清掃メンバーが名付けた通称哲ちゃんが、度々トイレに現れだしたのは昨年もそうだが12月半ば寒さが本格化しつつある頃だった。この哲ちゃん、身なりは清潔とはいえないが、普通にこの程度は巷に徘徊している中年のオッサンで、見た目ホテル側が受け入れを拒否できるほどに悲惨な姿をしているホームレスではないだけ、こちら側も扱いにくく、はじめは自在にトイレを利用していた。
 なぜ哲ちゃんかと言うと、髪が真っ白で、伸ばした髯と相まって、まさに仙人か、ギリシャの哲学者のような風貌で、目つきと頰の削げ方がどことなく知的なため、誰が命名したわけでもなく、哲ちゃんというネーミングが浸透するようになったのである。
 何せ大便室に入って鍵を閉めてしまえば、何時間そこに潜伏していようが、こちらは手出しができないのだから、哲ちゃんにとっては天国。飯を食べようが、酒を飲もうが、眠りにつこうが勝手気ままなのである。
 私たちもお客さんが入っていたと言えば、そこだけ清掃が出来なくともそれは問題ないわけである。
 「今日は哲ちゃん、何かズーッとブツブツ言ってたよ」
 「あいつ挨拶もなく、平気でお盆の手拭い持っていきあがったよ」
 「ただ出て行くとき、綺麗に掃除していくのは感心だよな」
 「アイツ週何回来てるの」
 と、トイレ担当は、清掃が終わると口々に哲ちゃんの話を他のメンバーに話すのが日課になりつつあった。
 しかし、今から考えると、なぜこういう人間が深夜にトイレに潜伏していることを誰もホテル側に伝えなかったのか、私たちの中に、どこか彼に対して慈悲の気持ちがあったのか、その変はわからないが、何故か誰もこういう不審者がいるとはホテル側に告げなかったのである。
 哲ちゃん、誰にも咎められないのをいいことに、日増しに行動が大胆になってきた。
 最初のころは、一回大便室に入ると、トイレを去るまで顔を出すことはなかったが、ちょくちょく何食わぬ顔して平然と私たちの前に姿を現すようになり、何か独り言を呟いている。耳を澄まして良く聴いていると
 「この土地は、昔俺のご先祖さまのだったの、だからよ……」
 「俺は、もとはお前らより、ズーッと偉かったんだよ……」
 「おりゃ女房叩いてやったんだ。そしたらいなくなっちゃったんだよ」
  誰に向かって喋っているのか、聞きづらいのだが、意味の判る言葉もいくらかあった。
 「それなら、オッサンのご先祖さまはC藩の殿様か」と私が茶々をいれると、
 哲ちゃん、目を見開いて、こちらを鬼のような形相で見つめたので、怖くなり何関せず作業に戻ると
 「バカヤロー、お兄さん煙草持っているか」と厚かましく要求しだした。
 私は頭に来て
 「あるけど、お前にやる煙草なんかないよ」と吐き捨てて言うと、そそくさと大便室に戻っていった。

 謙虚に、夜の避難場所で静かにしてればいいものを、哲ちゃん、こちらが甘い顔をしているとどんどんつけあがってくるようになってきた。他のメンバーにも、最近の哲ちゃんの様子を聞いてみると、同じように態度がデカくなっているということだった。
 こうなると哲ちゃんのハイクラスホームレス生活も危うくなりだすのは当たり前のである。メンバーも今まで慈悲の心を持って、哲ちゃんをやむを得ず居させてやっていたが、誰れが言うこともなく、哲ちゃんの追い出し作戦が始まった。しかし、さすがC藩のサムライを先祖に持つだけあって彼の抵抗も並ではなかった。凄いのは何かを察したのか、毎日のように現れていたのを1日おきにしたり、何週間も現れることがなかったり、こちらを安心させたかと思うと、フェイントをかけているのか、こちらが忘れかけていた時に、また忽然と姿を現し、音もせず静かに大便室に籠もっているのであった。

 しかし、そんな彼の戦略や豪華なホームレス生活も終止符を迎える日が突如と来たのであった。その日は東京が昨日の大雪に埋もれ、底冷えのする寒い朝だった。仕事が終わり従業員口を出るといつもは静寂に包まれていて、人などほとんどない裏手の公園の気配が日常(いつも)と違かって騒がしかった。
 このホテルのある複合ビルと公園は土地全体が江戸時代C藩の下屋敷だったところで、明治になり政府の軍関係が土地を取得し、昭和になっても軍の関係機関があったところで、戦後も防衛庁が使っていた土地で、公園の池と周辺はC藩の下屋敷当時のまま保存されていた。何だろうと公園を覗きに足を進めていくと、池畔に救急隊が二人の警察官を伴って、毛布にくるまっている人を担架で救急車に運びいれるところだった。それ何人かのやじ馬が眺めていた。公園は真っ白な雪に覆われていたが、池だけは灰色に染まりそのコントラストが鮮(あざ)やかだった。
 一緒にいた高木さんが
 「ありゃもう死んでるな」と元消防隊員の彼は現場を見ればどういう状況なのか察しが付くのだろう、ポツリと呟いた。
 私たちは、やじ馬に近づいていき、
 「どうしたんですか」と言葉を口に出すと、
 「いや、酔っ払いが寝ちゃって凍死かもしれないね」とその中の一人が言った。
 「これだけ寒くちゃ死んじゃうよな」と続けて誰かかが言った。
 その時は都会では頻繁にある行き倒れの野垂れ死にかと、少し現場を眺めてから、雪で足場が危うい中を家路に急いだのだった。
 私の中でその凍死者と哲ちゃんが結びあわされたのは彼がトイレに来なくなって3ヶ月ぐらい経った後だった。確証はないが、何だかあれは哲ちゃんだったのではないかという思いが偶に頭に浮かんだのだが、ただの一人のホームレスのことなど忘れていることが多かった。その1年後、このホテルのアルバイトを辞めたが、その間、哲ちゃんは現れることはなかった。もし、哲ちゃんがあの凍死者であれば、なぜ、トイレに現れることなく凍死してしまったのか、そういえばここの土地の持ち主は、昔俺の先祖だったと言っていたが、それが本当ならば、彼がどんな人生を送ったかは知らないが、自分のご先祖さまの屋敷の土地だったところで人生を終えて、哲ちゃん、幸福だったのではなどと有らぬことを考えてしまうのであった。いや、定かではないが、きっとどこぞの高級ホテルで懲りずにまだ超豪華ホームレス生活を送っているかもしれないが……。

清掃夫は見た-?だけど、愛しき人々⑦

外資系高級ホテル編

第4章 人間なんてララーララララララー

 崔さんとのコンビがまたはじまったが、以前にもまして彼は働かなくなってきた。コンビでラウンジの清掃をしていても、途中で雲隠れしてしまい帰ってこない。
 帰ってくると眠そうな顔をしている。どうせどこかで潜んで寝ていたのであろう。そんなことが頻繁に起こるようになったのだが、清掃の仕事そのものでは問題は起こらなかったのだが……。
 朝仕事が終わり、ロッカー室で着替えていると、隣で崔さんが怪訝な顔をして携帯を覗いていた。崔さん突然、
「宮田サン、ヤッパリアイツ、オレの携帯ツカッテ大阪二デンワシテルヨ」
 何を言っているのか分からなかった私は
「アイツって誰」と言うと
「ホラ、ワタシノトナリノアイツ」
 よく私たちと朝一緒になるホテルの従業員の顔が思い浮かんだ。
「何で、崔さんの携帯なんか使うのよ」
「イヤ、ワタシ、ツカッテナイノニ、イツモ大阪ノ発信キロクがアルノヨ」
 私はそれだけで彼がなぜ崔さんの携帯を使ったことになるのか不可解だったので
「崔さん、完全な証拠掴むまで絶対にそんなこと相手に言っちゃダメだよ」
「絶対アイツだよ、アイツ」
「彼が崔さんの携帯使っているのを見たの」
「…………」
「もし使ってなかったら大変なことになるのだからね」
「ワタシワカルノ」
「勘とか思い込みで言っちゃダメだよ」
 そう言えば趙さんの時も似たようなこと言ったような…と急に趙さんの顔が浮かんだのである。
「とにかく、証拠を掴むまで、どんなアクションも起こしちゃダメだからね」と
強く言うと、崔さんは不満げな顔を浮かべ「デモ」と呟いたかと思うとそそくさと出ていった。

休憩の時間にウトウトしていると、高木さんが
「宮ちゃん、バルトがモンゴルで事故ったの知ってる」と言って近寄ってきた。
「事故ったって、どういうことよ」
「スピードの出し過ぎで、突然前から出てきた鹿を除けようとハンドル切り替えたらスリップして大木に突っ込んだらしいんだよ」
「命に別状はないらしいんだが、足がダメで車椅子生活だって」
 あの要領の良いバルトが半身不随と聞いたとたん自分が彼に抱いていた危うさの予感が当たってしまったのではないかと驚いてしまった。結果論かもしれないが、彼と一緒にいると、いつも<お前そんなに要領よく人生は進まないものだよ>と心の中に浮かんでいた。上手く説明できないが、必ずどこかで大きな挫折体験をするのではと思っていたが、それがこんなに早く、こんな形で舞い降りるとは神の残酷さを呪わざるをえなかった。
 後からエレドモに詳細を聞くと、バルトは運転に絶対の自信を持っていて、信じられないスピードを出すことが良くあり、事故になりそうなことが多々あったと言う。それをまたバルトのことだから上手く避けていたのだろう。そしてそれがより一層の自信を生んでしまったのではないか、やはり今回の事故は彼の過信と要領の良さが生み出したものではないかと、彼には悪いが変な納得の仕方をしている自分が怖かった。

スパフロアーは前述したように会員向けの小さなラウンジがあり、そこも毎日深夜、バキュームとテーブル拭きをするのだが、そこの隅に三坪ほどの小さな事務室があった。始めはバルトがそこの担当であったのだが、彼が帰国することになったので担当のチェンジがあり、私が任されるようになった。
 最初は小さな事務室なので5分もかからずに終わっていたのであるが、その時はたまたま事務室の四辺(まわり)を眺めると、壁に大きな肖像写真(ただのスナップの拡大写真だが)が3枚ほど教祖様の写真のように貼ってあった。何だろうと首を傾げて見ていると、一枚は見た時のある顔である。
 一回見ると忘れられないこの首がなくピグモン(ウルトラマンのに出てくる怪獣)にどことなく似ている男、そう大手出版社を辞め、独立して自ら出版社を起こし大成功したG社のK社長の肖像写真だった。私は小説を読むのが好きなのでG社の文芸書のいくつかを読んでいたので、K社長の顔には見覚えがあったが、そちらの方面に関心がない人にはK社長の顔など見ても分からないだろうと思うが、最近では自らの生きざまの本(結局自分が如何に凄い人間かを語っているだけ)を出したり、テレビにも顔を出しているので分かる人も増えてきているのではないだろうか。ただ肖像写真の下には、G社ではなくTというラグビーのルール用語のような名前になっていたが、「へーこんなところでも力があるんだと」妬みもあったが最初は少し奇妙に思いながらも感心しながらその写真を眺めていた。
 後の2枚の写真も下に会社名と名前があったが、さすがにG社と違って、聞いたときのない会社名と名前が並んでいた。
 何回かその小さな事務室を清掃していた時、たまたま、ほんとうにたまたま、棚に目をやると、ノートが見開きで置いてあった。ふっとそのノートの文面が目に入ってしまうと
K社長の名前が頻繁に書き連ねてある。好奇心にそそられつい本格的にそのノートの文面に目を通すと、「本日Kが来ます。危険」「Kがラウンジで携帯を使うので注意したら、逆に怒り出す」「K予約、注意」「問題あり、Y、S、K、上手くあしらうべし」とKが問題児のように扱われていた。このノート従業員のための引継ぎの報告書だった。その瞬間、この肖像写真の意味が私の頭の中で納得された。もう一度肖像写真が貼ってある壁に目を向けると、上に大きく「ATTENTION」と書いてある。それはスパ会員の要注意人物を従業員に分からせるために貼ってある、例えは悪いが手配写真のようなものだった。
 しかし、元気な人だなと感心するが、彼、創業当時は華々しく文芸の復興などと言って出てきたが、蓋をあけると売れればなんでもありになり、あげくの果てには高級スパで問題児になり、なんだかどこぞの田舎の出の芸能プロダクションの社長のように変身しだしたのは悲しい限りである。まあ彼も清掃夫にこんなことは言われたくないだろうが…。
 そう言えば、この社長「顰蹙は買ってまでしろ」などということを謳っていたが、こんなところでも「顰蹙を買っている」のかと思うと、皮肉だが逆になんだか可愛らしいなと感じなくもない。
 ここの会員制のスパは入会金400万円と庶民には目ん玉が飛び出るようなお値段だが、東京の夜景が一望できるプ―ル、サウナ、ジャグジー、エステ、トレーニングルームが格安(ぜんぜん安くはない、一般価格が高すぎるので)で利用でき、一般の人が出入りできないラウンジで飲食しながら寛げる。まさに人生の勝ち組が静かに優越感に浸れる場所としては打ってつけの空間であるのは確かなのだが、さすが厳しい社会を己の腕で勝ち抜いていた男女たちだけあって、ひと癖ふた癖・・・あるのは当然で、自信過剰、傲慢不遜な人間が多いのは否めない。その上、高い会費を払っているのだから、ワガママに振る舞いたくなる気持ち分かるのだが。何とまあ、大人げない恥ずかしい行為が横行するのもこういう場所柄だからなのである。一生清掃の仕事以外にはこんな場所に踏み込まないし、いや踏み込めない人間には、嫉妬(ねたみ)も含めてだが、何だかなという気持ちしか起らないのはなぜなのだろうか。

何だかなという話はまだある。麻薬で捕まり、落ちるとこまで落ちてしまった元プロ野球選手のKである。Kはこのホテルの常連で、22時の始業時間の深夜組がバックヤードで業務の打ち合わせの朝礼(22時でも朝礼という)をしていると、腕が太く筋肉質のデカい(この表現がピッタリくる)身体の男がその廊下を横切っていくことがあった。日本人の清掃員はすぐに、「ハッ」としてその男に気づく、横にいる同僚の腕を肘で軽く突いて「Kじゃん」と低声で呟く。その声をKは聞き逃さずこちらを振り向き、厳しい形相(心の中で舐めるなよという気持ちがこもっているのだろう)で睨み付けるのだった。
 あれほどの大きな男に睨みつけられると、ほんとうに「怖い」もので、皆震え上がっていたのを懐かしく思い出す。
 ちなみに、どこもそうだろうが、超有名人はホテルに入る時は、一般客とは違い特別の通用口を使い、部屋に入るのも従業員用の裏手廊下(バックヤード)から入るようになっている。
 私は勤続していた3年でKとは3回しか遇(あ)っていないが、いつもKの何分か先に、少し年配の細身の女性が入っていくのを目撃しているが、その女性、その時よく週刊誌で取りざたされていた年上の銀座のクラブママだったのではないだろうか。
 まだその頃は、まだ、Kが薬(ヤク)中になっているなどという噂は出ていなかったが、今から考えると、その頃はもう深く(ドップリ)覚せい剤セックスに嵌(ハマ)っていたのだろう。生涯獲得収入が50億円を越えるという大スターが、ほとんど一文なしで、逮捕されるのも周囲で見ている凡人たちには面白いし気慰みにはなるだろうが……。
 しかし、一時だが彼に比べば小銭だがお金が入り世間様には良い思いをしたなどと言われるが、すぐに急落し貧乏アルバイト生活に転落した身には、烏滸(おこ)がましいが、彼の現在の心境が分からなくもないと言っては生意気だろうか。
 ちなみ、誰の言葉だかは知らないが、名言を一つ「この世の中の不幸は二つしかない、お金のないことと、お金のあることである」、この名言はアルバイト清掃員の私たちとKには心に突き刺さる言葉のはずである。

  仕事が終わると崔さんとは、ロッカーが近いために隣合わせで馬鹿話をしていたが、先日の携帯のことも忘れたのか、犯人だと目星を付けた男も良く顔を合わせることがあったが、さすがに彼も自分の思い込みだと納得したのだろう何事もなく過ぎていった。
 ところが、納得するどころではなかったのである。とうとう崔さん行動に出てしまった(やっちまった)のである。
 ある日、崔さんより遅れてロッカー室へ入ると、彼が大きな高い声で怒鳴っている。
 「アナタ、イツモイツモ、ワタシの携帯ツカイ、大阪にデンワシテルデショ」とその男を詰め寄っている。
 その男はいきなりの言いがかりにただ茫然とその場に立ち尽くしていた。
 「ワタシミタネ、アナタガコノ携帯ツカッテイルノ」と語気を強め詰め寄った。
 「・・・・・・・」
 男は当然だろう、言葉も出ずにただただ困惑した顔付で彼を見詰めていた。
 私は、万事休す、とうとうやってしまったと宙を見上げた。
 彼は事のあらましが不可解なため少し思案している表情を浮かべたが、私が横にいるのに気づき、
 「伊藤さんまだいるかな、呼んできてくれない」と指示した。
 崔さんは、真っ赤な顔をして、
 「アナタ、ナゼ、ワタシノ携帯ムダンデツカウノ」と興奮し声を上げた。
 私はすぐに従業員控室に行き、あらましを簡単に伊藤に伝え、すぐにロッカー室にいくよう伝えた。
 さてこの事件、その後どうなったかはもうお分かりなのではないだろうか。
 まずその男は、早朝のフロアー支配人でありホテルの相当な地位にいる男で、その彼を崔さんが犯人呼ばわりしてしまったのだから、事はそう簡単に収まるはずはないのであった。
 まず警察が呼ばれ、崔さんは事のあらましを告げたが現行犯なら分かるが、何の証拠もないのだから分が悪いの当然である。そして支配人が彼の携帯を使って大阪に電話をする動機は万が一もないだろうということ、また使用したのを見たならなぜその時に犯行を見逃したのかと警察に問いかけられると答えることも出来ず、そこには「ゼッタイミタノヨ」としか言えない彼がいた。これには警察も頭を抱えたが、数日後犯人が特定された。誰あろうそれは崔さんの奥さんだったという笑うに笑えない結末を迎えたのだった。
 当然、崔さんは馘になりホテルの出入りも禁じられてしまった。
 驚いたことに、これだけ騒がせた張本人、ただの自分の思い込みだったことが分かったのに、一言も犯人呼ばわりされてしまった支配人に謝ることがなかったと、その後支配人に聞かされた。
 ただただ唖然としてしまう事件だったが、趙さんの時もそうだが、なぜ証拠を掴むことなく暴走してしまうのか。彼らの行為がどうにも不可解なのである。そして自分が間違ったことをしたのになぜ謝ることしないのか(中国人や大陸の人は簡単に謝ることをしないと言われるが…)。謝り癖が多い日本人も問題だが、ここまで間違いが分かっても頑なに謝らない彼らの心中がいかなるものなのか、逆に探ってみたくなるのであった。それでいて、日本の70年前の戦争行為に対しては、自分らの不利なことがあると、いまだに謝罪せよ謝罪せよと言ってくるこのお国柄はどうにも解せないのである。
崔、趙の中国人の異様な行為だけを語ってしまうと、日本人はそんなに正常なのかと問いかけられそうなので、いやちょっと手にを得ない日本人の話をしよう。
 後から入ってきたチャラそうな田辺という男だが、最初高木さんとコンビと組んだのだが人のよい彼も根をあげコンビ替えを班長に依頼。次に繁田さんとコンビを組むが、彼も二回目でギブアップ。そして次に私に回ってきたのだが…。
 まず、彼とのコンビは、グランドホールの清掃からはじまった。何度もグランドホールのバキューム(掃除機がけ)はやっているはずだが、まだやってはいけない後ろ向きのバキューム(掃除機を後ろにして、引っ張る)を平然とやり、注意すると「ゴメンナサイ」というのだが、2,3分すると、また言われてなかったように同じことをする。そして彼のバキューム後を辿っていくとゴミがバラバラと残っているのである。注意をすると「いや、僕やりましたよ」と平然としている。証拠に掃除後を辿らせて自覚させようとゴミ跡を確認させると、今度は「この天井に何かいますよ。ゴミをパラパラ落とさせている何かが」と真面目な顔で言うので、こちらも返答に困り、苦笑いしながら
「冗談でいってるの、舐めているんじゃないの」と声高に問い返すと
「いや、いるんですよ、何かが」とまたまじめに今度は天井を指さすのである。

 前半の仕事を終え、次の現場(レストラン)の待ち合わせ場所を確認し休憩に入ったのだが、休憩が終わり現場の待ち合わせ場所で待っていても一向に彼は現れない。首を傾けながら(オカシイ)なと思い、現場周囲を少し歩いていると、待ち合わせ場所とは遥か彼方(おおげさかな)で彼を発見。
「どうしたのよ」と声を掛けると、
 キョトンとした不思議な顔で私を見詰め
「何かあったんですか」と返答する。
 私はすかさず
「裏口で待ち合わせると約束しなかったけ」
「…………」
「約束したよね」
「いつですか」
「休憩前」
「…………」
「忘れたの」
「俺と宮田さんがですか、どこで」
「だから裏口のドアの後ろで」
「いつですか」
「休憩前」
 私、この漫才のボケとツッコミのような会話をこのまま永遠と続けなければならないかもしれないと危惧し、何もなかったように装い、彼と離れたが、彼とコンビを組んでいると、毎回このようなやり取りになるのであった。
「バキューム(掃除機)どこ置いた」
 「…………」
 「さっき使っていたでしょ」
 「……………」
 「それじゃ、この部屋の誰がバキュームかけたのよ」
 「俺です」
 「それじゃ、終わってバキュームどこへ置いたのよ」
 「……………」
 「四辺(まわり)探してもどこにもなかったよ」
 「倉庫に置きました」
 「それはじめに言えばいいじゃない」
 「いや、宮田さんのバキュームのことを聞いたのかと思って」
 「あの、バキュームはコンビで一台って決まっているでしょ」
 「……………」
 「また地下に取りに行くの」
 「スミマセン。終わったら倉庫に返すと聞いたもので」
 「それ清掃が終わったらのことで、まだ終わってないでしょ」
 「……………」

 彼はもう3か月目になるのに担当区域を憶えられないらしく、やらなくてもよいラウンジの清掃をしているので、
 「なぜそんなところやっているの、松永さんと岡島がやるところだから」
 「……………」
 「レストランをやるときは、ラウンジをやらないし、ラウンジをやるときはレストランをやらないでしょ」
 「ここはレストランですよね」
 「ここはラウンジ」
 「あ、暗くて分からなかったです」
 「嘘でしょ、そんなに暗くもないよ」
 「そうですかね」
 「それよりラウンジの担当の時は、レストランへは行かなかったよね」
 「……………」
 「それって分かっているんじゃないの」
 「……………」

 さすがに仕事をするたびにこんな会話をしなければならばくなると、こちらの神経も軽くだが異常をきたすようになり、最終的にはこちらがひょっとすると間違っているのかもしれないなどという疑心暗鬼にかられ、居ても立っても居られなくなり伊藤に相談した。
 伊藤は彼が母一人子一人の家庭で、母が認知症で彼が介護をしているとのこと。どうも何年も介護をしていると本人もオカシクなるらしく彼はその症状なのではないかという見解と、「発達障害」ではないかという繁田さんの見解、を話したが、私もさすがに自分のほうもどうにかなりそうなので担当コンビの変更を依頼した。最後に彼は「一流大学を出て、一流の企業に入ったんだが、さすがにこの症状が出て馘になったらしい」と伊藤は言って「もったいないよね」と一言呟いた。

 この仕事はシフト制で、前もって勤務日を申告し、それを班長の伊藤が調整し、勤務日が決定する。しかし、この田辺たまに勤務日を間違え,来ない日に来てしまったり、その逆もあり伊藤は頭を痛めていた。
 そして朝礼でのマンドラが些細な一言が、大きな波紋を呼んでしまうことになる。マンドラが昨日来る時に田辺を見たと口にしたので、皆(メンバー)、また勤務日間違えて引返したのだろうと笑っていた。
 翌日、大橋がつい田辺に「お前、昨日また間違えて来たんだって、マンドラが言ってたよ、下で会ったって」と口走ると、田辺は真っ赤な顔をして、マンドラに近寄って「俺がいつお前と会ったよ」とマンドラの胸倉を掴んでスゴんだ。マンドラは一瞬何が起こったのか怪訝な顔付になり彼の腕を払い除けた。田辺は「俺と昨日会った。嘘言うなよ」と今度はマンドラの顔を平手で叩いたので、マンドラもさすがに血が上り、腕で彼をヘッドロックをした。
 まずいと、皆が二人の喧嘩を止めに入ったが、さすがモンゴル人、強いこと強いこと、一瞬の内に田辺をボコボコにしてしまった。田辺は身動きひとつせず頭を抱えて倒れてしまった。
 マンドラは、喧嘩が強かっただけで、始めに手を出したのは田辺なのだから完全な被害者で、可哀そうに何でこんなことが起きたのか皆目検討が分からないまま震えていた。
 幸運なことは田辺はマンドラの一瞬の攻撃で倒れてしまい喧嘩は早々とホテルの従業員に気づかれることなく終わったことだった。伊藤はそのまま何もなかったことに出来たのだが、気が済まないのは田辺でダメージは少なかったのか、立ち上がり「俺が来るわけないだろう」と言ってその日は逃げるように帰っていった。
 翌日田辺は仕事を辞めると伊藤に電話を入れ、もう現場には顔出すことはなかった。しかし間違えて来てしまったことをマンドラに言われそんなに激怒する彼が分からなかった。度々出社日を間違えるのになぜその時だけ怒り狂ったのか、間違えに対する羞恥心がそんなに強かったのか、モンゴル人に言われたことに彼の自尊心が傷つけられたのか、何だか悲しい気持ちになるのである。要らぬお節介かもしれないが、彼みたいな人間が今後どのように生きていくのかの少し心配にはなるのであった。

清掃夫は見た-?だけど、愛しき人々⑥

外資系高級ホテル編

第3章 外資系高級ホテルは、何故精神に変調をきたす客が多いのか?

休憩時間になり、メンバーが従業員食堂に集まってきて、それぞれ、誰が決めたでもない定位置に席を取り出した。隣に座る高木さんに15日年金が入ったら2万円貸してくれないかと依頼をすると、彼は「宮ちゃんの頼みじゃ断ることできないな。2万でいいの」といつものように簡単に承諾してくれた。私はいつからだろうか、彼とお互い苦しい時にお金の貸し借りをするようになり、それを「二人頼母子講」などと言っていた。

 とにかく苦しい時に高木さんがお金貸してくれどれだけ助かったか分からなかった。

それをまた田中が聞き、「宮田さん、そういうの良くないよ」としたり顔して言う。私は苦笑いながら「まあ、お互いちゃんと返しているから」と答えながらも、<テメエは、金の貸し借りができるほど仲の良い人間など一生できないだろう。何様のつもりなんだ、このボケ>と心の中は煮えくり返っていた。

 崔さんが、何やら思いつめた顔つきで戻ってきて、私の前に座ると

「宮田さん、ワタシ、岡島サントアワナイヨ」と呟く。

「どうしたの」

「カレ、ナンダカキモチワルイヨ」と露骨に嫌な顔付する。

「あいつこれとか」と私は手の甲を頬につけ軽口をたたいた。

「カレ、シンパイゴトガアッタラボクニイッテトカイッテ、ボクカラハナレナイカラ、

 アナタウルサイヨテイッタラ、コンドハボクヲ監視シテ、仕事ノワルクチイウノ」

「何て言うの」

「ホコリガノコッテイルカラトカ、シカクノユカヲマルクハイテイルトカ、ボスニイワレルナラワカルケド、ナンデアイツニ、イワレナケレバナラナイノ」と崔さん熱っぽく語る。

 噂をすればではないが、岡島が入ってきたので崔さんに目配せをすると、彼は頭に血が上ってどうしようもなくなったのか、こちらに向かってくる岡島に近づき、

「ワタシ、アナタキライヨ」と言って出ていってしまった。

 岡島はバツが悪いのか、所在なげにしていたかと思うと端の空いてる席を見つけ腰を下ろした。

 それから数日後、岡島は班長の伊藤に、崔さんとは一緒に仕事したくないとコンビの変更を願い出た。私は岡島の口とは裏腹の粘り腰のない淡泊な行為に、やはりなと岡島という人間の狭隘さに改めて感じいったのである。

 私は岡島に

 「まあ、中国人もちゃんとした人もいるから気にしないほうがいいよ」と慰めなのか嫌味なのか分からない言葉を投げかけ、

 「もう一人中国人が、来週来るらしいよ」と冗談を言うと

 「勘弁して下さいよ」と岡島は顔を顰(しかめ)た。

 岡島の懇願はすぐ通ってしまい、何と私がまた崔さんとコンビを組むことになってしまったのである。

 外資系高級ホテルにもなると世界各国のVIPが宿泊するのだが、様々な国際的なスターは常日頃からホテルを利用しているので驚かないが、その中でもぶったまげるのがアラブの王様ご一行であった。彼の行動が半端なしに凄いというのをこの仕事で教えられた。

 アラブの王様と言っても、ナンバー2、3なのだが(ナンバー1は国賓として迎賓館に泊まる)、まず、彼らがお泊まりするときはひとフロアー貸し切りになり(20室)、 万全な警備体制で、その時ばかりはスパもレストランも一般客は立ち入り禁止になる。

 総勢4、50人ほどが泊まるのであるが、各施設を周り挨拶変わりにチップを置いていく、さすがに清掃の事務所には置いていくことはないが、地下のクリーニング施設(洗濯屋)には一万円を紙に包み置いていったと噂になった。施設に働く従業員が、彼らのために何かをするとそのつどチップを渡されるのだが、そのチップの合計金額だけでも数百万をこえているのではないだろうか。もっと驚かされるのは、3日間ホテルに滞在して落としていったお金が3億円だと言う。どこぞの知事が千葉の温泉プールで公私混同して大騒ぎなるのとは大違いで、エネルギー(石油)パワーをまざまざと見せつけられたのだが、彼ら石油が枯れてしまったらどうするのだろうかと、考えてもしょーもない老婆心が働いてしまうのはどうしてなのだろう。

 もっと驚くのは、慣れっこなのだろうが、動揺することなく平然と日常業務のように熟(こな)してしまうホテル側もさすがプロ、凄いのである(当たり前か)。

ホテルには様々な人間が訪れてくるが、その中で、礼儀のない不愉快な行為は、常日頃からあるので気にはなるが仕事にかまけて忘れてしまうのであるが、呆れてものも言えないという行為に出くわすと、さすがに寛容な?私でも頭に血が上ることもある。

  高級レストランのテーブルの裏には悪魔が棲みついているという言葉をご存じだろうか、

 まあ、大きな危険な裏取引をするときに、テーブルの下を使いながら密かに行うという比喩的な意味合いで使われているのだろう。それとは少し違うが高級レストランのテーブルの裏はガムだらけなのは余り知られてないのではないだろうか。私も驚いたのだが、レストランの清掃をしているときのルーチンにテーブルの裏側確認というのがあり、とても重要な仕事になっているのである。はじめ何のためにそんなことをするのかと疑問に思ったのだが、すぐにその疑問が氷解したのである。何とテーブルの下はびっしりとガムの瘤が出来ているのである。最初余りの多さにただ驚くと言うより呆れてしまったが、それを見つけ剥がしていくのも清掃の仕事ひとつになっている。

 誰が何故に、こんな所にガムを貼り付けていくのか。こんな行為自体考えてみたことがないので理解に苦しんだが、そのほとんどはアメリカ人(特定していいのかは疑問だが)が犯人だそうだが、さあ食事をしようとすると、噛んでいるガムの捨てどころに困って、そのまま、テーブルに貼り付けて何食わぬ顔をして食事をしているのだそうだ。驚愕はこれだけ貼り付いているのだから一人や二人ではないのである。このマナー知らず達の神経と脳みその中は如何なるものになっているのかと唖然とするのである。

 もっと凄いことに、半年前、食事が終わった後、床にガムが何個も落ちているとクレームをつけ、食事代をタダにして帰った外国(アメリカ)人がいたそうだが、明らかに確信犯で、テメエがテーブルの裏にガムがあるのを知っていて剥し落としたというのが、おおよそだろうと言うことだった。

 その話を親しくなった客室清掃の東條のお母さん(朝一番に来る客室清掃員)にすると、そんなこと大したことないよと、客室○○チ話を聞かされた。

 彼女は、もう何十年と様々なホテルで客室清掃をしているのだが、高級ホテルへ嫌がらせなのか、○○チの多いのには閉口したそうである。

 嫌がらせ○○チが置いてあるのは、月に数回はあるということだった。

 もっと凄いのは、朝チェックアウトした部屋を清掃で入ると、異臭がするので部屋の四辺を見渡すと、乱れたベッドの枕元にまだ湯気が出ていそうな○○チがホッコリと乗っかっていたので、どうにかしなければと○○チに近づくと、その○○チにカミソリがいくつも刺さっていたそうだ。さすがにお母さん、その時ばかりはこの仕事を辞めようと思ったらしい。何の恨みがあってそんなことをするのか、そしてその犯人はまたまた中国人だとお母さんは言う。さらにお母さん、一般ホテルに較べて高級ホテルの客のマナーの悪さには呆れかえると言っていたが、ホテルの特殊性が客の精神に異様な影響を与えてしまうのが原因なのか、確かにトイレでもやけに嘔吐物(ゲロ)が多く散らばっているような気がしたものである。

 何だか余りにも中国人が頻出するので、あたかも中国人を俎上に載せ(あげつらい)、批判する書という様相を呈してきたが、くれぐれもそんなことはなく、ただ私の体験したことと、また信頼している人から聞いた話を何も隠し立てなく、少々の自分の見解を交え書かせていただいている本だということをご理解いただければと思うのである。

清掃夫は見た-?だけど、愛しき人々⑤

外資系高級ホテル編

 このホテルで働きはじめて1年が過ぎようとしていた。そして趙さんと三上の抜けた穴を埋めるのに、彼らが去って3か月後にやっと新メンバーが加わった。

 朝礼で顔を合わせた二人は一人が中国人の崔さん、もう一人は40代だろうか、至って見た目普通の田辺という男だった。

 あれだけ班長の伊藤が嫌っていた中国人がまた登場したのである。さすが人口13億を要する巨大国、そう簡単には目の前から消えさることはないと言うことか。

 ここでまた蛇足だが、清掃業をやって10年で発見した、まだ誰も気づいていないだろう清掃文化論を語らせていただきたい。

 清掃業をやって10年、色々な現場へいって、外国人労働者(ほぼアジア人だが)と出会った中で、お国柄とは、こんな所にも反映するのだなと思った体験からの文化論なのだが、これをもし本格的に研究すると非常に興味深い学術論文になるだろうと思うが誰か取りかかる人はいないものだろうか。

 この10年に出会った外国人労働者は、中国人、モンゴル人、バングラディシュ人、ベトナム人と4か国のアジア、中東系だったが、あれ、と思わないだろうか……。察しの良い人はお気づきだろうが、そう、韓国、インド人がいないのである。インド人はともかく、お隣の韓国人がいないのは、偶々出会わなかっただけなのか、それとも、そこには何か理由があるのだろかと疑問に思ったのである。でもそこには理由があったのである。

 まず、韓国人の場合、コンビニでアルバイトしている彼らは良く見かけるが、清掃アルバイトをしている人はほとんど見かけないのである(在日朝鮮、韓国人は別である)。そんな疑問が沸いたので親しい韓国人に聞いたところ、

「宮田さん、ソンナコトナゼヤッテルノシンジラレナイ。韓国人でソンナコトヤルノ、サイゴノサイゴ」と心配そうな顔付で答えるのだった。

 確かに、日本でも、そんなに人に言える仕事ではないが、韓国ではそれこそ清掃の仕事など最底辺の人間がやることで、それこそドロップアウトした輩や家族から見放された人間が関わるそうで、アルバイトでも決してまともな人は携わらないらしい。そして会社と成立しているような清掃会社など今まで気にしていないので知らないだけだろうが、あるのかさえ分からない、と言うことだった。韓国ではそれほど清掃業というものの認識が乏しいらしい。

 インド人の場合、これはもう、カースト制<バラモン(僧侶)、クシャトリヤ(王族、武族)、バイシャ(庶民)、スードラ(最低位庶民)>の中で動物の死体や汚物など穢らわしいものを扱う人間は、この階層にも入れないアンタッチャブル(不可触選民)に位置づけられ、働くために来日しても決して清掃業などには付かないのだろと思うのだが如何だろうか。ただイスラム教徒は余り清掃業に抵抗がないようにも感じる。

 確かに日本でも3K職業で出来れば関わりたくない仕事であるだろう。だが日本人の場合、掃除をすることは何をおいても大事なことという古(いにしえ)からの習慣があるような気がする。それをする人を大変だなと思いこそすれ、汚(きたな)がったり、蔑(さげす)んだりするのは現実を認識する能力の足りない、苦労知らずの若者(あんちゃん)ぐらいなのではないか。

 確かに職業としてそれをどう思うかは別であるが(清掃業が職業として成立しだしたのは、都会に大きなビルが立ち並ぶようになってからだろう)。

 何が言いたいのかというと、これほど清掃をすることに蔑みの気持ちがあるということは、この2か国は習慣として、そもそも身の四辺(まわり)をキレイにするという認識に乏しいのではないかと、生活の中にその重要度がかなり低いのではないと思われるのである。そう考えると、韓国もインドも旅行で行ったが、国そのものに清潔感がなかったような感じがするが…読者の方はどう思われるだろうか。日本はかなり清潔感がある国と言っても良いだろう。分からないのは中国である。国として余り清潔感はないようだが(在日の中国人がやっている中華料理屋にそもそも清潔感がないのが多い)、この国の人々は清掃業に余り抵抗感はないみたいなのである。と言うか、この国、人間もそうだが何とも掴みどころのない国である(中国人にしてみれば日本を掴みどころのない国と思っているのだろうが)。ざっとアジアだけを中心とした簡単な清掃文化論を述べさせていただいたが、これを全世界的に各国比較してみるとかなり文化論としては面白いものになるのではないだろうか。

 

 しかし、何とまあ~私は中国人と縁があるらしく、新人の崔さんと最初のコンビを組むことになってしまった。

 二人は1階の小ルームを担当後、休憩後スパ施設の清掃をすることになった。

 この崔さん、中国で指圧の先生だったが、競争が激しく、日本で指圧教室を開業しようと来日。中国系の鍼灸マッサージの店に入ったが、どうにもしっくりせずに辞めてここにアルバイトに来たと言う。人は良さそうなのだが少々暗めの性格で、そのため趙さんに比べると口数は少なく、はじめは真面目に丁寧に仕事をこなしていた。

 私は、さすが人口13億、中国人でもその性格はそれぞれなのだなと、趙さんの顔を思い浮かべながら、崔さんの仕事を伺っていた。私はどうも中国人には好かれるみたいで、崔さんも趙さん同様親しげに何でも話しかけてくれるようになった。

 2か月ぐらい一緒に働いて、気ごころも分かりだしてきたころだろうか、崔さんの化けの皮が剥がれたのだった。

 スパ施設はプール、ロッカー、ジム施設、展望ジャグジーが付いたサウナ施設、エステ用マッサージ室が8室と会員用ラウンジがあった。

 各施設バキュームと拭き掃除という何気ないものだったが、マッサージ室だけは困難を極める場所だった。1室6畳位の部屋にマッサージ台と横に小さな移動用化粧棚が設置されており、床はフローリングだった。もう一つ大きな特別ルームがあり、そこにはアベックで利用できるように、マッサージ台が2つ隣り合わせに並んでおり、奥に簡易なバスルームが付いたシャワー室が設置されていた。

 このマッサージ室、普段は、3~4室が利用されるだけなのであるが、利用されてないところも誰かが出入りをしたかもしれないので完璧な清掃を要求された。厄介なのは、ここのマッサージのオプションに岩塩マッサージがあり、部屋全体に巻き散っている小粒の塩を膝間ついて取り除き、床を水拭きし、それこそ床をピカピカ、スベスベにしなけらならない作業があることだった。

 崔さんとは、マッサージ室とその他の施設を交代で担当したのだが、その日は彼がマッサージ室の担当だった。普段は他の施設だけで精一杯で、マッサージ施設など足を踏み入れないのだが、偶々、崔さんに尋ねたいことがあって、マッサージ室に入ると、そこは廊下が薄明かりに照らされて、物音ひとつせず静寂さに包まれていた。崔さんはどこにいるのだろうかと一部屋一部屋ノックしてもどこにも見当たらなかった。

 最後に一番奥にある特別ルームに向かい、ドアを開けようとした瞬間、何やら鼾のような音が聞こえてきた。マッサージルームには居なかったので、奥のシャーワー室に入ると、

 今度は確かに大きな鼾が聞こえてきた。バスは白いレールカーテンが掛かっていたので、それを引きずると、驚いたことにバスの中で小さく包(うずく)まって寝ていたのであった。

 私は大きな声で、

 「崔さん、何やってるの」と身体を揺り動かした。

  崔さん寝ぼけた顔をこちらに向け、目を開けると

 「ネムクナッタノデ、ココデヨコニナッタノ」と悪びれる様子もなく言った。

 「俺だったからよかったけど、マネージャーに見つかったら、即馘だよ」と強い調子で言うと、崔さん

 「ダイジョウブ、ダイジョウブ」と言いながら腰を上げた。

 何が大丈夫なのか、私に謝ってもしょうがないが、一言「ゴメン」ぐらい言ったらいいのに、彼はなかったことのようにして部屋を出ていった。

 私は彼を追いかけて、「寝るなら見つからないようにしなければ駄目だよ、崔さん」と後ろから声をかけると、また「ダイジョウブ、ダイジョウブ」と手を上げた。

 「大丈夫じゃなかったから、俺に見つかったんでしょう」と言うと

 「宮田さんだから、ダイジョウブ、ダイジョウブ」とまた訳の分からないことを言う。私はいかりや長介のように(ダメだこりゃ)と心の中で呟き、壁に手を置いた。

 集団で一年でも働いていると、相性はあるが、皆(メンバー)も気心が知れてきて、

 仕事が終わると、その後時間的に余裕のある者は軽く飲んで帰るということも多くなり、嫌いな方でもない私も、皆と引っ掛けて帰ることが多々あった。

 飲むと言っても仕事が終わるのは朝の6時、さすがに不夜城のこの都会も眠りにつこうという時で、場所は限られせいぜい24時間営業のチェーンラーメン店やファミリーレストランに入りビールなどを飲み、すぐ食事をして帰るのが関の山だった。

 顔ぶれはその都度違うが、その日は年末も近く、そしてバトルが今年で仕事を辞めモンゴルへ帰国するので、送別会をかねた忘年会ということで比較的多く人が集まった。場所も大橋が見つけてきた、本格的な24時間営業の居酒屋で、もう今宵(朝だが)は腰を落ち着けて飲めと言わんばかりの空間だった。

 その中に初めて、松永さん、田中も参加し、食事だけして日本語学校があるのでいつも帰るバルトを含めモンゴルの若い4人も酒を飲んでいた。

 消防士あがりで、辞めると奥さんに三行半を喰らった高木さんが、宴の盛りあげるために、しょーもないシャレを交えながら元気に飲む、リストラを受け馘になり鍼灸学校に通っている繁田さんをいつもの様に揶揄(からか)っている。それをモンゴル人の4人が分かっているのかニヤニヤしながら聞いている。

 元茨木県結城のヤンキー大橋がバルトに

「国に帰ったら何するの」といつものようにぶっきらぼうに尋ねた。

「親父が運送会社を経営しているので、そこ手伝うの」とバルトは流暢な日本語で答えた。

「やっぱりいいとこのボンボンなんだ」

「そんなことないよ俺なんか、エレドモの親父は政府のナンバー2だからね。でも子供はバカだから日本の大学にでも入れ箔をつけさせようとしているのに、こいつなかなか入れないのよ」とエレドモを指差ししたが、エレドモは分かっているのかいないのか、いつものように細い目を一層細くし、満面の笑みでビールを飲んでいた。

 松永さんが

「若いのは皆どんな関係なの」と言いうと

 バルトが

「三人とも近くに住んでいる幼馴染で高校までずーっと一緒なんだけどね」と言いながらポツリと「三人とも60キロぐらい離れたところ住んでいるけど」と口にすると、日本人はそれぞれ驚きの表情で「60キロ」と小さな驚き声を出した。

「60キロといったら東京と横浜ぐらいの距離だぞ」と繁田さんが言ったので、

「60キロって近いのか」と私は言葉の意味を確かめた。

モンゴルの4人は笑いながら近い近いとお互い顔を向けあい同意を求めていた。

「デモ、横浜ヘ仕事ヘイッテルケド、モンゴルよりトオイヨ」とマンドラは話の内容が分かっていたのかエルドモの方を見て言った。

「トオイ、トオイ」とエルドモも相槌を打った。

「変だよな」とバルトも少し首を傾けた。

 蛇足だが、私は後からだが、その話を思い出し、距離についての概念の正当性を確認したのである。「距離は二つの出来事の間にあるのであって、二つの事物の間にあるのではないということを、故に空間とともに時間も含んでいる。距離は本質的には因果概念である」ということを高名な科学者が言っていたが、横浜と東京の距離のほうが、彼らのモンゴルの60キロの間の距離より、出来事(建物や色々な粗雑物が多い)が詰まっているので、横浜と東京の方が時間が長く感じ、遠く感じるということなのでではないだろうか。

「お前何年日本にいたの」と繁田さんが聞くと

「19の時にきたから8年だね」とバルトは言った。

 横から高木さんが

「そんなに日本語が出来きて、仕事が出来るのだから日本とモンゴルのために何かすればいいのに」といつになく真面目な顔で言った。

「何かやりたいと思っているけどね。」と目の前に日本人なのかモンゴル人なのか区別がつかない男が揚げ物を半分食べた後、中身が何だろうと探るようにそれを見詰めながら言った。

 繁田さんが

「お前、大橋より絶対、日本語のボキャブラリー多いと思うよ」と言うと

 大橋が

「ひでえな」と少し傷ついたのか悲しげな顔をした。日本人は頷いいて皆大笑いした。それにつられてモンゴル人も笑った。

「お前らに笑われる筋合いはねえ」と大橋はモンゴル人に言葉を投げ捨てた。

 段々酒も回ってくると宴もたけなわになり、高木さんが今度来た崔について

「しかし、崔は趙の小型版だな、なんで中国人は皆あ~なんだよ」と崔さんの話に火をつけた

「繁田さん、崔に指圧教えてもらえばいいじゃない、本場なんだから」と田中が冗談でなく真面目に言うので、

「何で、あんなインチキ指圧師に教えを乞わなければならないんだよ」と少し怒りを込めた口ぶりを田中に向けた。

「バカいえ、あいつ指圧上手いだよ、俺はアイツの治療受けたから分かるんだけど」と今度は高木さんが冗談交じりに言った。

「どこでよ」と私が言うと

「スパのマッサージ室でね」と悪ぶれもせず高木さんは言った。

「大丈夫、見つかったら馘だよ」

「大丈夫大丈夫」と高木さんは笑っている。

「何だかなー」と私は呆れて言うと、

 田中があり得ないことを聞いたように目を見開いていた。

 今まで、余り話に参加してなかった岡島が赤ら顔しながら

「みんな中国人、中国人って酷いこと言うけど、日本人だって酷いのはいるんだし、ちゃんとした中国の人たちに失礼じゃない」と声を荒げた。

「そりゃちゃんとした人もいるかもしれないが、出会った中国人が皆似ているから、どうしようもなく言ってしまうだけでね。皆とは思ってないよ」と私は釈明するように言った。

「やっぱり、彼らだって大変な思いをして日本に働きに来ているだから、余り酷く言わなほうがいいよ」と気持ち悪いほど大真面目にヒューマンなことを言うので、場が少し白けだしつつあった。

「岡島さんは、まだ崔さんと一緒に働いてないでしょう」と荻野が言った。

「ないけどね」

「今まで中国人と一緒に働いたことはあるの」

「ないよ」

「それじゃ、分からないよ」と繁田さんが口を挟んだ。

「僕は、しかし、彼らを尊重しながら、彼らの言い分を良く聞いて行動するつもりだよ」

「向こうがあなたを尊重しなかったらどうするのよ」と私が問いかけると

「そりゃしょうがないよ。僕が悪いんでしょう」とウーロンハイに口を付けた。

「早く崔と一緒に働けるといいね」と私は皮肉まじりに言いながら微笑んだ。

 昼になり、場も酔っ払いたちで収集がつかなくなり、高木が最後にバルトへの餞(はなむけ)の言葉を述べ、散会になった。私は酔いながらも、田中と一緒の電車で帰るのが嫌だったので、いつもの帰る方向とは逆の方向へ足を進めた。田中がその行為を何やら不審げに見詰めていたたが、私は彼を無視して足早にあらぬ方向に歩いた。

清掃夫は見た-?だけど、愛しき人々④

外資系高級ホテル編

第2章 懐かしき日本人

 休憩時間にロンドンオリンピックの試合を観戦している時だった。隣でモンゴル人のエレドモが一人でニヤニヤ笑っていた。それを見た私は
「何がオカシイんだよ」と突っ込みをいれると、
「日本人、いつもスゴイ選手と宣伝はするんだけど、すぐま負けちゃうんだよね、おかしくて」とまた切れ長の目を綻(ほころ)ばして言う。
「お前、いつもそう思っているの」
「マスコミはいつもスゴイスゴイと宣伝するけど、大したことないのおおいよね」とまた笑った。
 私は、余りスポーツには関心はなかったが、その時のエレドモの一言は妙に気になり、
「いつもそんな風に感じているの」と問いただした。
「それで、負けると、こんどはその選手無視するのね」
確かに、日本人の上げ下げの極端さは異常なように感じていたので、モンゴル人に改めて指摘されると頷かざるをえないのは確かだった。エレドモの横でマンドラもそれを聞きながら笑っていた。
 この二人、まだ20歳で、日本語学校へ通っている。モンゴル人は皆、バルト(後述するが日本人より日本語が上手く、要領のいい男)に誘われて、ここでバイトをしていた。エレドモとマンドラは小学校時代の親友で、近くに住んでいると言う(近くと言っても60キロの距離はあるそうだ)。日本人はモンゴルと言うと大草原でゲル生活している遊牧人とうイメージが強いが、それらのイメージの遊牧民や相撲のモンゴル人は外モンゴルで、彼らは内モンゴル(中国の自治区)出身である。生活習慣は中国人に近いのである。
 エレドモもマンドラもバルトも黙っていると、昔の日本人の田舎の子といってもそのまま通ってしまうほど日本人に似ている。そして彼らを見ていると、日本人は蒙古斑が尻に出るように、遠い昔の出所(でどころ)は共通なのだなと確信を持つようになるから面白い。
 司馬遼太郎が、かつてモンゴルの草原の地平線を見て「日本人が見た原初の風景が広がっているのを身体で感じる」と言ったように、彼らを見ていると、私もこの原初の風景を見に草原に行ってみたいものだという気持ちになるから不思議である。
 また、舞踏家の土方巽が言っていた下向するアジア人、古き良き時代の日本人がそこにいるように感じる。最近の若い日本人にはみられなくなった骨っぽく、ずんぐりもっくりだがが、腰高でなく、全体の重心が下に向かっているような、まさに地に足が付いているひと昔前の日本人が現前しているのである。総称すれば骨っぽい若者たちなのである。
 そして、素朴(ほんとうは案外計算高いのだが)で寡黙で、余計なことを口にせず、何を考えているか分からいと言われればそうなのだが、口に出すよりも、じっと相手の行動を伺っているところは、まさに日本人そのものである。
 先日の趙さんが、中国人の典型(これも後述するが、なぜ典型というかというと、次に入ってきた崔さんもまた趙さんと同じような人)であるならば、真逆な人間がモンゴル人のような気がする。
一度、バルトに
「中国人のことどう思っているの」と質問すると
「あまり好きではないけど、モンゴルでは言わないよ、怖いから」と小声で答えが返ってきた。
「同じ血筋なんだから、日本とモンゴルで中国を挟み撃ちにするのが一番なんじゃない」と言うと、バルトは大笑いをしていた。

 先ほど少し述べたが、このバルト、スゴイ要領の良い男で、この要領の良さで班長の伊藤に絶大なる信頼を得ていた。モンゴル人がこの現場に多いのもバルトが連れてくれば伊藤が断れないからである。
 彼はこの場をどうしたらいいかをちゃんと把握してから行動に出るところは、私も感心し、大いに参考にさせてもらった。<仕掛け棒>などはどこに置いてあるかなどは明らかにお見通しだった。
 そして、余計な仕事は絶対にせず、重要箇所は徹底的なのだが、それ以外は見向きもしない。故にいつも時間が余るのだが、半分以上は休んでいるのである。ところが班長の伊藤が現場に顔を出すときは、さも一生懸命という姿を抜群の演技でやってのけるのである。一番滑稽なのは班長に、さも前向きな仕事をしているような質問をなげかけたり、提案をしたりする。
 「ここのサイドボードのガラスは、水拭きより乾拭きですよね」
 「ここのガラスケースの棚、ホコリ凄いのですが、ここやるんですか」
 伊藤は何でも自分に言葉を投げかけてくれるのが嬉しいらしく、
 「バルトみたいに、一生懸命やってくれると助かるよ」と笑いながら答えを返してきた。
 それを横目で、モンゴル人に騙される人の良い日本人を情けない思いで眺めている私がいたのだった。
 「宮田さん、会社側がやれと言ったこと以上のことやっちゃダメだよ。どんなに頑張っても時給は変わらないんだから。この仕事、人より能力があるなどと見せようとして一生懸命やるやつはバカだからね。そんなの人に迷惑かけるだけだって。会社側には思うつぼだけど、あいつはあれだけ出来るのになぜお前は出来ないのと、同じ時給でもっと仕事を押し付けるんだからね。出来ないやつは可哀想だし、一生懸命やって人より出来たって時給があがるなら別だけど、絶対あがらないんだからね。田中ってバカでしょう」何とも流暢な日本語で教訓を垂れるモンゴル人がそこにいた。ただ少し矛盾を感じたのは、伊藤にとってバルトは、このメンバーの中では一番秀でた奴なのである。
 私も考えていたことを、この25歳のモンゴル人に直接ズバリと言われるとさすがに立つ瀬はないが、彼は不謹慎なことを言っているようだが核心を付いているのである。しかし、まさに共産的な仕事は人より秀でてもいけないし、また人より劣っても駄目なのである。全てを平均でいくのが長続きする秘訣で、全てホドホドがベストなのである。会社もそれを望んでいるのである。秀でてしまう人間がでるのは、会社側も困るのである。時給仕事とは、<凡庸>で<ホドホド>の仕事のことなのである。
 しかし、朴訥で素朴な素振りを見せながら、思慮深いと、変に感心してしまったが(そう言えば、相撲の朝青龍も白鵬も案外計算高い男だったな)、ここで、バルトが田中の名前を出したのは笑ってしまった。田中という男、何のためなのか休憩時間も惜しんで仕事をするような男で、仕事が遅いわけではないのだか、誰よりも遅くまで仕事をし、仕事への一生懸命さをいつも誇っているような男なのだが、バルトのような男には理解不能の男なのであろう。私もこの男、何とも滑稽なので、いつも「いや、田中さんほど仕事に打ち込める人もいないよね」と皮肉交じりに言葉をかけるのだが、ニコニコしながら「ドンマイ、ドンマイ」とわけの分からない言葉が返ってくるのには苦笑せざるをえなかった。
 この男、出勤の時、地下鉄でよく出くわすのであるが、何やら資格お宅らしく、私から見るとしょーもない資格をぎょーさん取るのを目的にしている男なのである。
「こんなに資格取ってどうするんですか」と言うと
「資格を取ると色々とコミュニケーションできるでしょう」とまた理解不能なことを言う。本人マジで言っているのだが、この田中、根っから面白くない男で、それ以上に彼とコミュニケーションをとるとなぜか不快な気持ちになるのである。これは私が彼と相性が合わないのではなく、帰納法的にみても、誰もが感じる普遍的なものだと思う。そのため電車の中で彼がいると気づいても、本を読んでいるふりをして、彼が話しかけてくるのを極力避けるようになっていた。こういう悲しい男はどこにでもいるのが世の現実である。