「子供より親が大事と思いたい。」
(『桜桃』より)
「曰(いわく)、家庭の幸福は諸悪の本もと。」
(『家庭の幸福』より)
「明るさは滅びの姿であろうか。人も家も、暗いうちはまだ滅亡せぬ」
(『右大臣実朝』より)
「人間のもっとも悲痛の表情は涙でもなければ白髪でもなし、まして、眉間(みけん)の皺(しわ)ではない。最も苦悩の大いなる場合、人は、だまって微笑(ほほ)えんでいるものである。」
(『狂言の神』より)
(太宰治*)
60歳を過ぎて、何の結縁か太宰治の作品を、また読むようになった。面白いのである。私が若い頃、太宰治は青春文学などと言われ、青二才が憑りつかれる麻薬のようなものと、悪しざまに馬鹿にして関心を示さない輩が多かったが、私も、その口だった。しかし、最近この年齢になって、ただ分からなかっただけだったのだと思うようになってきた。太宰治の作品はひょっとすると青春文学ではなく、成熟した大人が読む、枯淡の極みさへ持った文学なのだと、何を今さらではないが全てにおいて奥手の私は気づいたのである。特に、中期の換骨堕胎の小説家の技量が満遍なく発揮された小説に当然凄みを感じられるが、それよりも、何でもない雑記風の話がイイネなのである。内容的には何を語っているわけでもないのだが、その文章のリズムに引き込まれ、読み終わった後、ふっと雲間から光が差し込んでくるよう感覚に襲われる時が多々あるのである。文学にはそんなに詳しくないが、文学とは、こんなもののことを言うのではないかと諒解させられた時であった。確かに太宰より技量のある作家は沢山いるだろうが、この感覚を味わわせてくれる作家は少ないように思う。近代日本では稀な才能を持った批評家・三島由紀夫は「近代日本では稀な才能を持った小説家であると」晩年に太宰を称賛していたが、私も欧米の一流作家と肩を並べられるのは、この人ぐらいなのではないかと思うようになってきた。
因みに私の師は太宰の作品に憑りつかれ、何度も自殺を試みて、とうとう60歳で縊死してしまった。ここにも太宰の天才が現れたのである。文学の怖さを知らしめされた事件でもあった。

*太宰治(だざい・おさむ)
(1909-1948)青森県金木村(現・五所川原市金木町)生れ。本名は津島修治。東大仏文科中退。在学中、非合法運動に関係するが、脱落。酒場の女性と鎌倉の小動崎で心中をはかり、ひとり助かる。1935(昭和10)年、「逆行」が、第1回芥川賞の次席となり、翌年、第一創作集『晩年』を刊行。この頃、パビナール中毒に悩む。1939年、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚、平静をえて「富嶽百景」など多くの佳作を書く。戦後、『斜陽』などで流行作家となるが、『人間失格』を残し山崎富栄と玉川上水で入水自殺。(新潮社刊行プロフィールより)