オリエンタルシンキング⑩

弥勒菩薩思惟半跏像考①―56億7千年たったら戻ってきます。

 1年ぶりの京都である。夏の京都には足を踏み入れてはいけないと、前回の京都訪問の時に懲りたのに、まあ学習しない私なのである。また暑い京都に上陸してしまったのであった。前回はぶらりと上・下賀茂神社から今宮神社へ巡ったのだが、今回は「バカ野郎、反省なんかしていられるか」とシャツを汗で濡らし、友人の車に乗って、まず石清水八幡宮へ。

石清水八幡宮は、兼好法師の『徒然草』の一節(第五十二段)で名高いが、仁和寺の坊さんが下にある末社の極楽寺、高良神社を本宮と間違え、本宮には参拝せずに帰ってしまったという、どんな小さなことでも、思い込みで行動してはいけないという、兼好真骨頂の名随筆で有名な神社。私は、仁和寺の坊さんが登ったであろうと思えるコースを辿りながら、随筆の世界の浸ろうと楽しみにしていたのだが、車での参拝のため、本宮近くの駐車場に着いてしまい、坊さんのコースを辿れず残念至極なのだった。さすがに名高い神社、境内全体、清澄な<空気>覆い、崇高な<気>で体が引き締まるのである。明神造りの白い石の鳥居(三ノ鳥居)を潜ると真っ直ぐな参道が南総門まで伸び本宮(国宝)まで、どこにも隙(スキ)の無い完璧な神社。信長塀や楠正成公の楠の木など、その他、国の重要文化財がズラリと犇めく、さすがに官幣大社(明治の神道社格制度―戦後廃止)、いや、それよりも凄い伊勢神宮と並ぶ「二所宗廟」*だったのである。とにかく、仁和寺の坊さんとは違い、ちゃんと本宮には行けたが、逆に男山全体を見渡すことが出来なかった(石水八幡は旧男山神社という)で、やはり、案内係(今ならネットで良く下調べ)が必要だったのだろうといことか(兼好の戒めが何の役にもたってないバカである)。

 前回の京都の旅(今回もそうだが)は、特に京都の神社を重点的に巡ろうという目的だったのである。何故か、実は、京都・奈良の代表的な寺は、中学・高校の修学旅行で訪れ、名前ぐらいは記憶に残っているのだが、神社というと、トンと記憶にないのである。当たり前である。神社へは行かないのである。中学高校時代は頓馬なので(今もだが)、そんなことは気にもしなかったが、年齢がたつと、そうゆうことだったのかと段々と明るくなってきたのだが、それは、集団で神社へゆくことは、ゆるさざることで、また控えなければならないという空気が特に教育の世界には蔓延しており、実際日教組のような勢力がそれを推進?した結果が、修学旅行の神社見学禁止(弱い禁止、空気のような禁止)という形になり、おのずと私のような世代は、京都、奈良の神社を知らずに通りすぎてしまったに繋がったということである。これが民主主義・リベラル教育というものらしのだが、私にしてみれば、今から考えるといい迷惑だったに過ぎない。そういえば、意識の高い系の私立高校などは、ちゃんと伊勢参りをしていたように思う。私のような者もちゃんと、中学高校時代に伊勢神宮に参拝し、あの空気に浸れば、もっとまともな人間になっていただろうと今更ながら後悔至極なのである(ただ現在も公立高校は神社には行かないのかもしれない)。

そのような理由で、過去を取り戻す気持ちで関西の特に京都・奈良の神社を重点に巡っているわけであるが、さすがに東国と比べ、文化の歴史・伝統の厚みが違うため、どこも目を見張るばかりである。

 さて、またマクラが長くなってしまったが、この後、石清水八幡宮を出て、次は太秦の東映撮影所に行ったのだが、こちらは、何だが大変な行列になっており、いい大人が列に並んで時代劇村ではないだろうと断念、計画を変更したのだった。
 そして、太秦、太秦といえば広隆寺、広隆寺と言えば、弥勒菩薩半跏思惟像(後略・弥勒菩薩という)が頭に浮かんで来たのであった。
 現在、月刊誌「ギャラリー」(ギャラリーステーション刊)で東京逍遥自在「死ぬまで巡るぞ神社仏閣」というテーマの連載記事を書いているのだが、仕事柄(半分趣味だが)、かなりの数の仏閣の仏像を拝見させていただいたが、私の心に一番印象深く残っている仏像はと問われれば、この広隆寺の弥勒菩薩思惟半跏像と応えるのではないかと思うで。ただ、私がこの仏像を実際に拝見したのかどうかが分からないのである。ひょっとすると、この像は、さすがに国宝、世間の目には、他の像に比べて、かなりさらされているため、私も、テレビや雑誌、博物館のポスター他で見たものと思い込んでいるのではないかと、自分でも半信半疑なのであった。他にも興福寺の阿修羅像、薬師寺の薬師三尊像、法隆寺の薬師如来坐像など、半信半疑なものがある。ただ、この広隆寺の弥勒菩薩は、高校の修学旅行で見たのではないか(寺だからね)、またどこかの博物館の企画展で、見ているような…。そうでなければ、こんなに、印象深く心に残ることはないだろうと、考えると悩ましくなるのであったが、とうとう確実に拝見したと確証を得る時が来たのである。そして、早速、車は広隆寺へと向かったのであった(これぞ災い転じてだな)。
 私は弥勒菩薩に興味はあったが、広隆寺がどういう寺なのかには興味はなかったのだが、京都真言宗系単立の寺院で、山号は蜂岡山。本尊は聖徳太子。蜂岡寺(はちおかでら)、秦公寺(はたのきみでら)太秦寺(うずまさでら)などの別称があり、渡来人系の氏族である秦氏の氏寺であり、平安京遷都以前から存在した京都府下最古の寺院というから驚きである。国宝は20件、重文は49件というから凄まじい寺なのである(これだけの寺は東国にはない)。そんな由緒のある寺なのだが、東映撮影所と違い、本日拝観者は疎ら、まさに貸し切り状態。日本の民度は大丈夫なのか首を捻らざるをえないが、日本らしくて微笑ましい限りである(皮肉)。
 さて、山門を潜り静かな境内に入ると、真言宗ではなく禅宗の寺ではないかと思わせるほど清潔感と張りつめ感がある。まずは上宮王院(本堂)へ歩を進め拝礼。手入れの行き届いた庭と自然林を眺めながら、最大のお目当ての霊宝館へと向かったのだった。(つづく)

*「二所宗廟」-日本の皇室にとって重要な二つの神社のこと。伊勢神宮と石清水八幡宮のことで、前者は皇室の祖先(天照大御神)を祀り、後者は皇室の守護神(八幡大神)を祀る。