清掃夫は見た-?だけど、愛しき人々⑥

外資系高級ホテル編

第3章 外資系高級ホテルは、何故精神に変調をきたす客が多いのか?

休憩時間になり、メンバーが従業員食堂に集まってきて、それぞれ、誰が決めたでもない定位置に席を取り出した。隣に座る高木さんに15日年金が入ったら2万円貸してくれないかと依頼をすると、彼は「宮ちゃんの頼みじゃ断ることできないな。2万でいいの」といつものように簡単に承諾してくれた。私はいつからだろうか、彼とお互い苦しい時にお金の貸し借りをするようになり、それを「二人頼母子講」などと言っていた。

 とにかく苦しい時に高木さんがお金貸してくれどれだけ助かったか分からなかった。

それをまた田中が聞き、「宮田さん、そういうの良くないよ」としたり顔して言う。私は苦笑いながら「まあ、お互いちゃんと返しているから」と答えながらも、<テメエは、金の貸し借りができるほど仲の良い人間など一生できないだろう。何様のつもりなんだ、このボケ>と心の中は煮えくり返っていた。

 崔さんが、何やら思いつめた顔つきで戻ってきて、私の前に座ると

「宮田さん、ワタシ、岡島サントアワナイヨ」と呟く。

「どうしたの」

「カレ、ナンダカキモチワルイヨ」と露骨に嫌な顔付する。

「あいつこれとか」と私は手の甲を頬につけ軽口をたたいた。

「カレ、シンパイゴトガアッタラボクニイッテトカイッテ、ボクカラハナレナイカラ、

 アナタウルサイヨテイッタラ、コンドハボクヲ監視シテ、仕事ノワルクチイウノ」

「何て言うの」

「ホコリガノコッテイルカラトカ、シカクノユカヲマルクハイテイルトカ、ボスニイワレルナラワカルケド、ナンデアイツニ、イワレナケレバナラナイノ」と崔さん熱っぽく語る。

 噂をすればではないが、岡島が入ってきたので崔さんに目配せをすると、彼は頭に血が上ってどうしようもなくなったのか、こちらに向かってくる岡島に近づき、

「ワタシ、アナタキライヨ」と言って出ていってしまった。

 岡島はバツが悪いのか、所在なげにしていたかと思うと端の空いてる席を見つけ腰を下ろした。

 それから数日後、岡島は班長の伊藤に、崔さんとは一緒に仕事したくないとコンビの変更を願い出た。私は岡島の口とは裏腹の粘り腰のない淡泊な行為に、やはりなと岡島という人間の狭隘さに改めて感じいったのである。

 私は岡島に

 「まあ、中国人もちゃんとした人もいるから気にしないほうがいいよ」と慰めなのか嫌味なのか分からない言葉を投げかけ、

 「もう一人中国人が、来週来るらしいよ」と冗談を言うと

 「勘弁して下さいよ」と岡島は顔を顰(しかめ)た。

 岡島の懇願はすぐ通ってしまい、何と私がまた崔さんとコンビを組むことになってしまったのである。

 外資系高級ホテルにもなると世界各国のVIPが宿泊するのだが、様々な国際的なスターは常日頃からホテルを利用しているので驚かないが、その中でもぶったまげるのがアラブの王様ご一行であった。彼の行動が半端なしに凄いというのをこの仕事で教えられた。

 アラブの王様と言っても、ナンバー2、3なのだが(ナンバー1は国賓として迎賓館に泊まる)、まず、彼らがお泊まりするときはひとフロアー貸し切りになり(20室)、 万全な警備体制で、その時ばかりはスパもレストランも一般客は立ち入り禁止になる。

 総勢4、50人ほどが泊まるのであるが、各施設を周り挨拶変わりにチップを置いていく、さすがに清掃の事務所には置いていくことはないが、地下のクリーニング施設(洗濯屋)には一万円を紙に包み置いていったと噂になった。施設に働く従業員が、彼らのために何かをするとそのつどチップを渡されるのだが、そのチップの合計金額だけでも数百万をこえているのではないだろうか。もっと驚かされるのは、3日間ホテルに滞在して落としていったお金が3億円だと言う。どこぞの知事が千葉の温泉プールで公私混同して大騒ぎなるのとは大違いで、エネルギー(石油)パワーをまざまざと見せつけられたのだが、彼ら石油が枯れてしまったらどうするのだろうかと、考えてもしょーもない老婆心が働いてしまうのはどうしてなのだろう。

 もっと驚くのは、慣れっこなのだろうが、動揺することなく平然と日常業務のように熟(こな)してしまうホテル側もさすがプロ、凄いのである(当たり前か)。

ホテルには様々な人間が訪れてくるが、その中で、礼儀のない不愉快な行為は、常日頃からあるので気にはなるが仕事にかまけて忘れてしまうのであるが、呆れてものも言えないという行為に出くわすと、さすがに寛容な?私でも頭に血が上ることもある。

  高級レストランのテーブルの裏には悪魔が棲みついているという言葉をご存じだろうか、

 まあ、大きな危険な裏取引をするときに、テーブルの下を使いながら密かに行うという比喩的な意味合いで使われているのだろう。それとは少し違うが高級レストランのテーブルの裏はガムだらけなのは余り知られてないのではないだろうか。私も驚いたのだが、レストランの清掃をしているときのルーチンにテーブルの裏側確認というのがあり、とても重要な仕事になっているのである。はじめ何のためにそんなことをするのかと疑問に思ったのだが、すぐにその疑問が氷解したのである。何とテーブルの下はびっしりとガムの瘤が出来ているのである。最初余りの多さにただ驚くと言うより呆れてしまったが、それを見つけ剥がしていくのも清掃の仕事ひとつになっている。

 誰が何故に、こんな所にガムを貼り付けていくのか。こんな行為自体考えてみたことがないので理解に苦しんだが、そのほとんどはアメリカ人(特定していいのかは疑問だが)が犯人だそうだが、さあ食事をしようとすると、噛んでいるガムの捨てどころに困って、そのまま、テーブルに貼り付けて何食わぬ顔をして食事をしているのだそうだ。驚愕はこれだけ貼り付いているのだから一人や二人ではないのである。このマナー知らず達の神経と脳みその中は如何なるものになっているのかと唖然とするのである。

 もっと凄いことに、半年前、食事が終わった後、床にガムが何個も落ちているとクレームをつけ、食事代をタダにして帰った外国(アメリカ)人がいたそうだが、明らかに確信犯で、テメエがテーブルの裏にガムがあるのを知っていて剥し落としたというのが、おおよそだろうと言うことだった。

 その話を親しくなった客室清掃の東條のお母さん(朝一番に来る客室清掃員)にすると、そんなこと大したことないよと、客室○○チ話を聞かされた。

 彼女は、もう何十年と様々なホテルで客室清掃をしているのだが、高級ホテルへ嫌がらせなのか、○○チの多いのには閉口したそうである。

 嫌がらせ○○チが置いてあるのは、月に数回はあるということだった。

 もっと凄いのは、朝チェックアウトした部屋を清掃で入ると、異臭がするので部屋の四辺を見渡すと、乱れたベッドの枕元にまだ湯気が出ていそうな○○チがホッコリと乗っかっていたので、どうにかしなければと○○チに近づくと、その○○チにカミソリがいくつも刺さっていたそうだ。さすがにお母さん、その時ばかりはこの仕事を辞めようと思ったらしい。何の恨みがあってそんなことをするのか、そしてその犯人はまたまた中国人だとお母さんは言う。さらにお母さん、一般ホテルに較べて高級ホテルの客のマナーの悪さには呆れかえると言っていたが、ホテルの特殊性が客の精神に異様な影響を与えてしまうのが原因なのか、確かにトイレでもやけに嘔吐物(ゲロ)が多く散らばっているような気がしたものである。

 何だか余りにも中国人が頻出するので、あたかも中国人を俎上に載せ(あげつらい)、批判する書という様相を呈してきたが、くれぐれもそんなことはなく、ただ私の体験したことと、また信頼している人から聞いた話を何も隠し立てなく、少々の自分の見解を交え書かせていただいている本だということをご理解いただければと思うのである。

清掃夫は見た-?だけど、愛しき人々⑤

外資系高級ホテル編

 このホテルで働きはじめて1年が過ぎようとしていた。そして趙さんと三上の抜けた穴を埋めるのに、彼らが去って3か月後にやっと新メンバーが加わった。

 朝礼で顔を合わせた二人は一人が中国人の崔さん、もう一人は40代だろうか、至って見た目普通の田辺という男だった。

 あれだけ班長の伊藤が嫌っていた中国人がまた登場したのである。さすが人口13億を要する巨大国、そう簡単には目の前から消えさることはないと言うことか。

 ここでまた蛇足だが、清掃業をやって10年で発見した、まだ誰も気づいていないだろう清掃文化論を語らせていただきたい。

 清掃業をやって10年、色々な現場へいって、外国人労働者(ほぼアジア人だが)と出会った中で、お国柄とは、こんな所にも反映するのだなと思った体験からの文化論なのだが、これをもし本格的に研究すると非常に興味深い学術論文になるだろうと思うが誰か取りかかる人はいないものだろうか。

 この10年に出会った外国人労働者は、中国人、モンゴル人、バングラディシュ人、ベトナム人と4か国のアジア、中東系だったが、あれ、と思わないだろうか……。察しの良い人はお気づきだろうが、そう、韓国、インド人がいないのである。インド人はともかく、お隣の韓国人がいないのは、偶々出会わなかっただけなのか、それとも、そこには何か理由があるのだろかと疑問に思ったのである。でもそこには理由があったのである。

 まず、韓国人の場合、コンビニでアルバイトしている彼らは良く見かけるが、清掃アルバイトをしている人はほとんど見かけないのである(在日朝鮮、韓国人は別である)。そんな疑問が沸いたので親しい韓国人に聞いたところ、

「宮田さん、ソンナコトナゼヤッテルノシンジラレナイ。韓国人でソンナコトヤルノ、サイゴノサイゴ」と心配そうな顔付で答えるのだった。

 確かに、日本でも、そんなに人に言える仕事ではないが、韓国ではそれこそ清掃の仕事など最底辺の人間がやることで、それこそドロップアウトした輩や家族から見放された人間が関わるそうで、アルバイトでも決してまともな人は携わらないらしい。そして会社と成立しているような清掃会社など今まで気にしていないので知らないだけだろうが、あるのかさえ分からない、と言うことだった。韓国ではそれほど清掃業というものの認識が乏しいらしい。

 インド人の場合、これはもう、カースト制<バラモン(僧侶)、クシャトリヤ(王族、武族)、バイシャ(庶民)、スードラ(最低位庶民)>の中で動物の死体や汚物など穢らわしいものを扱う人間は、この階層にも入れないアンタッチャブル(不可触選民)に位置づけられ、働くために来日しても決して清掃業などには付かないのだろと思うのだが如何だろうか。ただイスラム教徒は余り清掃業に抵抗がないようにも感じる。

 確かに日本でも3K職業で出来れば関わりたくない仕事であるだろう。だが日本人の場合、掃除をすることは何をおいても大事なことという古(いにしえ)からの習慣があるような気がする。それをする人を大変だなと思いこそすれ、汚(きたな)がったり、蔑(さげす)んだりするのは現実を認識する能力の足りない、苦労知らずの若者(あんちゃん)ぐらいなのではないか。

 確かに職業としてそれをどう思うかは別であるが(清掃業が職業として成立しだしたのは、都会に大きなビルが立ち並ぶようになってからだろう)。

 何が言いたいのかというと、これほど清掃をすることに蔑みの気持ちがあるということは、この2か国は習慣として、そもそも身の四辺(まわり)をキレイにするという認識に乏しいのではないかと、生活の中にその重要度がかなり低いのではないと思われるのである。そう考えると、韓国もインドも旅行で行ったが、国そのものに清潔感がなかったような感じがするが…読者の方はどう思われるだろうか。日本はかなり清潔感がある国と言っても良いだろう。分からないのは中国である。国として余り清潔感はないようだが(在日の中国人がやっている中華料理屋にそもそも清潔感がないのが多い)、この国の人々は清掃業に余り抵抗感はないみたいなのである。と言うか、この国、人間もそうだが何とも掴みどころのない国である(中国人にしてみれば日本を掴みどころのない国と思っているのだろうが)。ざっとアジアだけを中心とした簡単な清掃文化論を述べさせていただいたが、これを全世界的に各国比較してみるとかなり文化論としては面白いものになるのではないだろうか。

 

 しかし、何とまあ~私は中国人と縁があるらしく、新人の崔さんと最初のコンビを組むことになってしまった。

 二人は1階の小ルームを担当後、休憩後スパ施設の清掃をすることになった。

 この崔さん、中国で指圧の先生だったが、競争が激しく、日本で指圧教室を開業しようと来日。中国系の鍼灸マッサージの店に入ったが、どうにもしっくりせずに辞めてここにアルバイトに来たと言う。人は良さそうなのだが少々暗めの性格で、そのため趙さんに比べると口数は少なく、はじめは真面目に丁寧に仕事をこなしていた。

 私は、さすが人口13億、中国人でもその性格はそれぞれなのだなと、趙さんの顔を思い浮かべながら、崔さんの仕事を伺っていた。私はどうも中国人には好かれるみたいで、崔さんも趙さん同様親しげに何でも話しかけてくれるようになった。

 2か月ぐらい一緒に働いて、気ごころも分かりだしてきたころだろうか、崔さんの化けの皮が剥がれたのだった。

 スパ施設はプール、ロッカー、ジム施設、展望ジャグジーが付いたサウナ施設、エステ用マッサージ室が8室と会員用ラウンジがあった。

 各施設バキュームと拭き掃除という何気ないものだったが、マッサージ室だけは困難を極める場所だった。1室6畳位の部屋にマッサージ台と横に小さな移動用化粧棚が設置されており、床はフローリングだった。もう一つ大きな特別ルームがあり、そこにはアベックで利用できるように、マッサージ台が2つ隣り合わせに並んでおり、奥に簡易なバスルームが付いたシャワー室が設置されていた。

 このマッサージ室、普段は、3~4室が利用されるだけなのであるが、利用されてないところも誰かが出入りをしたかもしれないので完璧な清掃を要求された。厄介なのは、ここのマッサージのオプションに岩塩マッサージがあり、部屋全体に巻き散っている小粒の塩を膝間ついて取り除き、床を水拭きし、それこそ床をピカピカ、スベスベにしなけらならない作業があることだった。

 崔さんとは、マッサージ室とその他の施設を交代で担当したのだが、その日は彼がマッサージ室の担当だった。普段は他の施設だけで精一杯で、マッサージ施設など足を踏み入れないのだが、偶々、崔さんに尋ねたいことがあって、マッサージ室に入ると、そこは廊下が薄明かりに照らされて、物音ひとつせず静寂さに包まれていた。崔さんはどこにいるのだろうかと一部屋一部屋ノックしてもどこにも見当たらなかった。

 最後に一番奥にある特別ルームに向かい、ドアを開けようとした瞬間、何やら鼾のような音が聞こえてきた。マッサージルームには居なかったので、奥のシャーワー室に入ると、

 今度は確かに大きな鼾が聞こえてきた。バスは白いレールカーテンが掛かっていたので、それを引きずると、驚いたことにバスの中で小さく包(うずく)まって寝ていたのであった。

 私は大きな声で、

 「崔さん、何やってるの」と身体を揺り動かした。

  崔さん寝ぼけた顔をこちらに向け、目を開けると

 「ネムクナッタノデ、ココデヨコニナッタノ」と悪びれる様子もなく言った。

 「俺だったからよかったけど、マネージャーに見つかったら、即馘だよ」と強い調子で言うと、崔さん

 「ダイジョウブ、ダイジョウブ」と言いながら腰を上げた。

 何が大丈夫なのか、私に謝ってもしょうがないが、一言「ゴメン」ぐらい言ったらいいのに、彼はなかったことのようにして部屋を出ていった。

 私は彼を追いかけて、「寝るなら見つからないようにしなければ駄目だよ、崔さん」と後ろから声をかけると、また「ダイジョウブ、ダイジョウブ」と手を上げた。

 「大丈夫じゃなかったから、俺に見つかったんでしょう」と言うと

 「宮田さんだから、ダイジョウブ、ダイジョウブ」とまた訳の分からないことを言う。私はいかりや長介のように(ダメだこりゃ)と心の中で呟き、壁に手を置いた。

 集団で一年でも働いていると、相性はあるが、皆(メンバー)も気心が知れてきて、

 仕事が終わると、その後時間的に余裕のある者は軽く飲んで帰るということも多くなり、嫌いな方でもない私も、皆と引っ掛けて帰ることが多々あった。

 飲むと言っても仕事が終わるのは朝の6時、さすがに不夜城のこの都会も眠りにつこうという時で、場所は限られせいぜい24時間営業のチェーンラーメン店やファミリーレストランに入りビールなどを飲み、すぐ食事をして帰るのが関の山だった。

 顔ぶれはその都度違うが、その日は年末も近く、そしてバトルが今年で仕事を辞めモンゴルへ帰国するので、送別会をかねた忘年会ということで比較的多く人が集まった。場所も大橋が見つけてきた、本格的な24時間営業の居酒屋で、もう今宵(朝だが)は腰を落ち着けて飲めと言わんばかりの空間だった。

 その中に初めて、松永さん、田中も参加し、食事だけして日本語学校があるのでいつも帰るバルトを含めモンゴルの若い4人も酒を飲んでいた。

 消防士あがりで、辞めると奥さんに三行半を喰らった高木さんが、宴の盛りあげるために、しょーもないシャレを交えながら元気に飲む、リストラを受け馘になり鍼灸学校に通っている繁田さんをいつもの様に揶揄(からか)っている。それをモンゴル人の4人が分かっているのかニヤニヤしながら聞いている。

 元茨木県結城のヤンキー大橋がバルトに

「国に帰ったら何するの」といつものようにぶっきらぼうに尋ねた。

「親父が運送会社を経営しているので、そこ手伝うの」とバルトは流暢な日本語で答えた。

「やっぱりいいとこのボンボンなんだ」

「そんなことないよ俺なんか、エレドモの親父は政府のナンバー2だからね。でも子供はバカだから日本の大学にでも入れ箔をつけさせようとしているのに、こいつなかなか入れないのよ」とエレドモを指差ししたが、エレドモは分かっているのかいないのか、いつものように細い目を一層細くし、満面の笑みでビールを飲んでいた。

 松永さんが

「若いのは皆どんな関係なの」と言いうと

 バルトが

「三人とも近くに住んでいる幼馴染で高校までずーっと一緒なんだけどね」と言いながらポツリと「三人とも60キロぐらい離れたところ住んでいるけど」と口にすると、日本人はそれぞれ驚きの表情で「60キロ」と小さな驚き声を出した。

「60キロといったら東京と横浜ぐらいの距離だぞ」と繁田さんが言ったので、

「60キロって近いのか」と私は言葉の意味を確かめた。

モンゴルの4人は笑いながら近い近いとお互い顔を向けあい同意を求めていた。

「デモ、横浜ヘ仕事ヘイッテルケド、モンゴルよりトオイヨ」とマンドラは話の内容が分かっていたのかエルドモの方を見て言った。

「トオイ、トオイ」とエルドモも相槌を打った。

「変だよな」とバルトも少し首を傾けた。

 蛇足だが、私は後からだが、その話を思い出し、距離についての概念の正当性を確認したのである。「距離は二つの出来事の間にあるのであって、二つの事物の間にあるのではないということを、故に空間とともに時間も含んでいる。距離は本質的には因果概念である」ということを高名な科学者が言っていたが、横浜と東京の距離のほうが、彼らのモンゴルの60キロの間の距離より、出来事(建物や色々な粗雑物が多い)が詰まっているので、横浜と東京の方が時間が長く感じ、遠く感じるということなのでではないだろうか。

「お前何年日本にいたの」と繁田さんが聞くと

「19の時にきたから8年だね」とバルトは言った。

 横から高木さんが

「そんなに日本語が出来きて、仕事が出来るのだから日本とモンゴルのために何かすればいいのに」といつになく真面目な顔で言った。

「何かやりたいと思っているけどね。」と目の前に日本人なのかモンゴル人なのか区別がつかない男が揚げ物を半分食べた後、中身が何だろうと探るようにそれを見詰めながら言った。

 繁田さんが

「お前、大橋より絶対、日本語のボキャブラリー多いと思うよ」と言うと

 大橋が

「ひでえな」と少し傷ついたのか悲しげな顔をした。日本人は頷いいて皆大笑いした。それにつられてモンゴル人も笑った。

「お前らに笑われる筋合いはねえ」と大橋はモンゴル人に言葉を投げ捨てた。

 段々酒も回ってくると宴もたけなわになり、高木さんが今度来た崔について

「しかし、崔は趙の小型版だな、なんで中国人は皆あ~なんだよ」と崔さんの話に火をつけた

「繁田さん、崔に指圧教えてもらえばいいじゃない、本場なんだから」と田中が冗談でなく真面目に言うので、

「何で、あんなインチキ指圧師に教えを乞わなければならないんだよ」と少し怒りを込めた口ぶりを田中に向けた。

「バカいえ、あいつ指圧上手いだよ、俺はアイツの治療受けたから分かるんだけど」と今度は高木さんが冗談交じりに言った。

「どこでよ」と私が言うと

「スパのマッサージ室でね」と悪ぶれもせず高木さんは言った。

「大丈夫、見つかったら馘だよ」

「大丈夫大丈夫」と高木さんは笑っている。

「何だかなー」と私は呆れて言うと、

 田中があり得ないことを聞いたように目を見開いていた。

 今まで、余り話に参加してなかった岡島が赤ら顔しながら

「みんな中国人、中国人って酷いこと言うけど、日本人だって酷いのはいるんだし、ちゃんとした中国の人たちに失礼じゃない」と声を荒げた。

「そりゃちゃんとした人もいるかもしれないが、出会った中国人が皆似ているから、どうしようもなく言ってしまうだけでね。皆とは思ってないよ」と私は釈明するように言った。

「やっぱり、彼らだって大変な思いをして日本に働きに来ているだから、余り酷く言わなほうがいいよ」と気持ち悪いほど大真面目にヒューマンなことを言うので、場が少し白けだしつつあった。

「岡島さんは、まだ崔さんと一緒に働いてないでしょう」と荻野が言った。

「ないけどね」

「今まで中国人と一緒に働いたことはあるの」

「ないよ」

「それじゃ、分からないよ」と繁田さんが口を挟んだ。

「僕は、しかし、彼らを尊重しながら、彼らの言い分を良く聞いて行動するつもりだよ」

「向こうがあなたを尊重しなかったらどうするのよ」と私が問いかけると

「そりゃしょうがないよ。僕が悪いんでしょう」とウーロンハイに口を付けた。

「早く崔と一緒に働けるといいね」と私は皮肉まじりに言いながら微笑んだ。

 昼になり、場も酔っ払いたちで収集がつかなくなり、高木が最後にバルトへの餞(はなむけ)の言葉を述べ、散会になった。私は酔いながらも、田中と一緒の電車で帰るのが嫌だったので、いつもの帰る方向とは逆の方向へ足を進めた。田中がその行為を何やら不審げに見詰めていたたが、私は彼を無視して足早にあらぬ方向に歩いた。

清掃夫は見た-?だけど、愛しき人々④

外資系高級ホテル編

第2章 懐かしき日本人

 休憩時間にロンドンオリンピックの試合を観戦している時だった。隣でモンゴル人のエレドモが一人でニヤニヤ笑っていた。それを見た私は
「何がオカシイんだよ」と突っ込みをいれると、
「日本人、いつもスゴイ選手と宣伝はするんだけど、すぐま負けちゃうんだよね、おかしくて」とまた切れ長の目を綻(ほころ)ばして言う。
「お前、いつもそう思っているの」
「マスコミはいつもスゴイスゴイと宣伝するけど、大したことないのおおいよね」とまた笑った。
 私は、余りスポーツには関心はなかったが、その時のエレドモの一言は妙に気になり、
「いつもそんな風に感じているの」と問いただした。
「それで、負けると、こんどはその選手無視するのね」
確かに、日本人の上げ下げの極端さは異常なように感じていたので、モンゴル人に改めて指摘されると頷かざるをえないのは確かだった。エレドモの横でマンドラもそれを聞きながら笑っていた。
 この二人、まだ20歳で、日本語学校へ通っている。モンゴル人は皆、バルト(後述するが日本人より日本語が上手く、要領のいい男)に誘われて、ここでバイトをしていた。エレドモとマンドラは小学校時代の親友で、近くに住んでいると言う(近くと言っても60キロの距離はあるそうだ)。日本人はモンゴルと言うと大草原でゲル生活している遊牧人とうイメージが強いが、それらのイメージの遊牧民や相撲のモンゴル人は外モンゴルで、彼らは内モンゴル(中国の自治区)出身である。生活習慣は中国人に近いのである。
 エレドモもマンドラもバルトも黙っていると、昔の日本人の田舎の子といってもそのまま通ってしまうほど日本人に似ている。そして彼らを見ていると、日本人は蒙古斑が尻に出るように、遠い昔の出所(でどころ)は共通なのだなと確信を持つようになるから面白い。
 司馬遼太郎が、かつてモンゴルの草原の地平線を見て「日本人が見た原初の風景が広がっているのを身体で感じる」と言ったように、彼らを見ていると、私もこの原初の風景を見に草原に行ってみたいものだという気持ちになるから不思議である。
 また、舞踏家の土方巽が言っていた下向するアジア人、古き良き時代の日本人がそこにいるように感じる。最近の若い日本人にはみられなくなった骨っぽく、ずんぐりもっくりだがが、腰高でなく、全体の重心が下に向かっているような、まさに地に足が付いているひと昔前の日本人が現前しているのである。総称すれば骨っぽい若者たちなのである。
 そして、素朴(ほんとうは案外計算高いのだが)で寡黙で、余計なことを口にせず、何を考えているか分からいと言われればそうなのだが、口に出すよりも、じっと相手の行動を伺っているところは、まさに日本人そのものである。
 先日の趙さんが、中国人の典型(これも後述するが、なぜ典型というかというと、次に入ってきた崔さんもまた趙さんと同じような人)であるならば、真逆な人間がモンゴル人のような気がする。
一度、バルトに
「中国人のことどう思っているの」と質問すると
「あまり好きではないけど、モンゴルでは言わないよ、怖いから」と小声で答えが返ってきた。
「同じ血筋なんだから、日本とモンゴルで中国を挟み撃ちにするのが一番なんじゃない」と言うと、バルトは大笑いをしていた。

 先ほど少し述べたが、このバルト、スゴイ要領の良い男で、この要領の良さで班長の伊藤に絶大なる信頼を得ていた。モンゴル人がこの現場に多いのもバルトが連れてくれば伊藤が断れないからである。
 彼はこの場をどうしたらいいかをちゃんと把握してから行動に出るところは、私も感心し、大いに参考にさせてもらった。<仕掛け棒>などはどこに置いてあるかなどは明らかにお見通しだった。
 そして、余計な仕事は絶対にせず、重要箇所は徹底的なのだが、それ以外は見向きもしない。故にいつも時間が余るのだが、半分以上は休んでいるのである。ところが班長の伊藤が現場に顔を出すときは、さも一生懸命という姿を抜群の演技でやってのけるのである。一番滑稽なのは班長に、さも前向きな仕事をしているような質問をなげかけたり、提案をしたりする。
 「ここのサイドボードのガラスは、水拭きより乾拭きですよね」
 「ここのガラスケースの棚、ホコリ凄いのですが、ここやるんですか」
 伊藤は何でも自分に言葉を投げかけてくれるのが嬉しいらしく、
 「バルトみたいに、一生懸命やってくれると助かるよ」と笑いながら答えを返してきた。
 それを横目で、モンゴル人に騙される人の良い日本人を情けない思いで眺めている私がいたのだった。
 「宮田さん、会社側がやれと言ったこと以上のことやっちゃダメだよ。どんなに頑張っても時給は変わらないんだから。この仕事、人より能力があるなどと見せようとして一生懸命やるやつはバカだからね。そんなの人に迷惑かけるだけだって。会社側には思うつぼだけど、あいつはあれだけ出来るのになぜお前は出来ないのと、同じ時給でもっと仕事を押し付けるんだからね。出来ないやつは可哀想だし、一生懸命やって人より出来たって時給があがるなら別だけど、絶対あがらないんだからね。田中ってバカでしょう」何とも流暢な日本語で教訓を垂れるモンゴル人がそこにいた。ただ少し矛盾を感じたのは、伊藤にとってバルトは、このメンバーの中では一番秀でた奴なのである。
 私も考えていたことを、この25歳のモンゴル人に直接ズバリと言われるとさすがに立つ瀬はないが、彼は不謹慎なことを言っているようだが核心を付いているのである。しかし、まさに共産的な仕事は人より秀でてもいけないし、また人より劣っても駄目なのである。全てを平均でいくのが長続きする秘訣で、全てホドホドがベストなのである。会社もそれを望んでいるのである。秀でてしまう人間がでるのは、会社側も困るのである。時給仕事とは、<凡庸>で<ホドホド>の仕事のことなのである。
 しかし、朴訥で素朴な素振りを見せながら、思慮深いと、変に感心してしまったが(そう言えば、相撲の朝青龍も白鵬も案外計算高い男だったな)、ここで、バルトが田中の名前を出したのは笑ってしまった。田中という男、何のためなのか休憩時間も惜しんで仕事をするような男で、仕事が遅いわけではないのだか、誰よりも遅くまで仕事をし、仕事への一生懸命さをいつも誇っているような男なのだが、バルトのような男には理解不能の男なのであろう。私もこの男、何とも滑稽なので、いつも「いや、田中さんほど仕事に打ち込める人もいないよね」と皮肉交じりに言葉をかけるのだが、ニコニコしながら「ドンマイ、ドンマイ」とわけの分からない言葉が返ってくるのには苦笑せざるをえなかった。
 この男、出勤の時、地下鉄でよく出くわすのであるが、何やら資格お宅らしく、私から見るとしょーもない資格をぎょーさん取るのを目的にしている男なのである。
「こんなに資格取ってどうするんですか」と言うと
「資格を取ると色々とコミュニケーションできるでしょう」とまた理解不能なことを言う。本人マジで言っているのだが、この田中、根っから面白くない男で、それ以上に彼とコミュニケーションをとるとなぜか不快な気持ちになるのである。これは私が彼と相性が合わないのではなく、帰納法的にみても、誰もが感じる普遍的なものだと思う。そのため電車の中で彼がいると気づいても、本を読んでいるふりをして、彼が話しかけてくるのを極力避けるようになっていた。こういう悲しい男はどこにでもいるのが世の現実である。

清掃夫は見た-?だけど、愛しき人々③

外資系高級ホテル編

 さて、その後の趙さんの話に戻そう。その日、私と趙さんは45階のロビーラウンジの清掃をしていたのだが、今日に限って趙さん黙々とテーブル吹きの仕事に励んでいた。
 ロビーラウンジとその隣のバーは、平日は深夜1時で閉店、お客さまが完全に出はからった後から清掃がはじまるのだが、その日は金曜日、まだ帰らずに疎(まば)らにお客さが残っていたが、私は迷惑がかからないようにいつもより静かに仕事をしていた。まずは跪(ひざまつ)いてテーブルの脚を丹念拭きながら<仕掛け棒>がないかを探していた。ふっと立ち上がり趙さんの方を見ると、彼は誰かを発見したのか、じっとラウンジのバックヤードの入り口の方を見詰めていた。
 突然、趙さん、そちらに駆け出していった。どうしたのだろうと、そちらの方角に目を凝らすと三上が入り口の扉の拭き掃除をしていた。二人は何か言い合ったかと思うと、趙さんが逃げるようにラウンジ横のレストランの方に駆けだ出していった。それを三上が小さな細身の身体で追いかける。趙さんの身体が馬鹿デカいので、まさにネズミが猫を追いかけているようだっが、私はヤバイと思い、すぐに三上を追いかけたが追いつかなかった。二人はホテル内を捕り物帖さながら追っかけっこした後、三上が従業員食堂でやっと趙さんを捕まえて、形相すさまじく鬼のように趙さんを問い詰めた。
 趙さん、案外と正論に弱く、言い返すことが出来ず、三上の首を捕まえて、
 「オマエ、キモチワルイヨ」と皆が思っているが口に出さないことをとうとう口走ってしまった。さすがの小さな三上も堪えきれず、その趙さんの胸を突き飛ばした。趙さんテーブルに倒れ込んだと思うと、三上は馬乗りになり趙さんの首を掴むと、趙さん「オーマイゴット」と叫びながら顔を手で覆った。
 食堂は4、5人の従業員がいたが、騒然となり、マズイのはそこに偶然(たまたま)、ホテルのマネージャーが居合わせていた。マネージャーすぐに班長・伊藤を呼び、その場は終結したが、ただの趙さんの思い込みから、とうとう最終局面に行きついてしまうという何とも言いようもない事件だった。
 蛇足だが、驚いたのは三上、案外喧嘩が強いということだった。
 結果、趙さんは馘を言い渡され、三上は配所さながら別の現場に移された。
 班長・伊藤と会社側は、マネージャーにお叱りをうけ、今度このようなことがあったら、契約を打ち切り、別の業者に変わってもらうという厳重警告をうけて事件は落ち着いた。
 翌日、従業員通用口からホテルに入ろうとすると、紙袋を両手に抱えホテルを出ようとする趙さんにばったり会った。
 「宮田サン、ワタシクビネ」と彼は顔に悲しそうな笑みを浮かべて言った。
 私に驚きはなかった。
 「ニホンジン、オカシイヨ」と今度は苦笑した。
 十分、趙さんもオカシイヨと皮肉を言おうとしたが、心に止めた。
 「ニホンジンダイジナコトアイマイニシテ、ダイジジャナイコトニコマカイネ」
 会社側から、相当お叱りを受けたが、思うところをぶちまけてみたのだろうが相手にされることはなかったのだろう。日本人批判をはじめたかと思うと、
 突然「ゼッタイ、アイツヤッタネ、ワタシミタノヨ」
 と今度はギョッとするようなことを言って、何の反省もなく、まだ「ゼッタイ」と言い張って大きな身体を揺らして
 「ソレジャネ、宮田サン」と言って去っていった。
 じっと去っていく趙さんの後ろ姿を眺めながら、「元気でね」と大きな声で呼び掛けた。趙さん振り向いて紙袋を持った手を上げた。「ワタシミタノヨ」という言葉が変に瘤(しこり)として心に残るのであった。そして、この三上、さきほどもどうにも気持ち悪い男だったと言ったが、最後のどんでん返しで、それ以上に凄まじい男だったことは、私もこの時は分からなかったのであった。
 その日の朝礼では、前日の事件説明があり、趙さんの馘と三上の現場移動が知らされた。
誰もが少し驚いた素振りを見せたが、一番嫌われていた二人が居なくなり皆(メンバー)は内心ホットしたと同時に喜んでいたのではないだろうか。
 喜んでいたのは、班長の伊藤で、前日からこの事件に翻弄され一睡もしてないらしく顔は疲れで浮腫(むく)んでいたが、趙という問題児がいなくなり一番助かったのは彼なのではないだろうか。
 ただ趙さんも言っていたが、この伊藤、気持ちは分かるが中国人に対しての対応が冷酷すぎるところがあり、特にその後も中国人とモンゴル人との対し方に大きな隔たりをもうけ、公平さに欠けることは否めなかった。

 深夜1時にもなると、さすがにスパ・フィトネスジムのコーナーも人はいなくなり、ポツリポツリとジムを利用する外国のお客様が寝る前にひと汗と現れるぐらいになる。
 私たちは二人で、朝5時30分まで、廊下、ロッカールーム、マッサージ室10室、サウナルーム、プール等のバキューム(掃除機がけ)と拭き掃除に専念する。
さすがに超高級ホテル、非の打ちどころがないほどに清潔なのだが、そこは毎日のルーティンの繰り返しが、この清潔さを保っているわけで、私たちも髪毛一本落ちてないか、鏡に指紋がないか、どこかにホテル側が仕掛けを施してないか(前述)等、目を凝らして隅々まで見て廻る。
 そんなある日のこと、さてサウナル-ムを清掃しようかなとロッカールームに入ると、何やら人の気配がする。お客様が寝る前にお風呂にくることはよくあることなので、
それでは、後回しにしようとロッカー室を出ようとした瞬間。何やら浴室の方から怒鳴り合うような大声が聞こえてくる。何かあったのかなと恐る恐るサウナルームへ足を向けると、
「おー、叩き殺してやろうか」
「上等じゃないか」
「ほら殴ってみろよ、ほらほら、お前から殴ってみろよ」
「なめるなよ」
ヤクザの喧嘩まがいの怒号が飛び交っているので、これはイカンと思い、スパ担当マネージャーに電話を入れようとしたが、生憎、電話は相棒のモンゴル人のバルトが持っている。しょうがないと思い、すかさず奥へと向かうと、水風呂の前で、裸で若い男と中年の男二人が顔を突き合わせて、今にも一触即発、殴り合いがはじまるかの瞬間だった。
 「お客様、どうしたんですか」と私はすぐさま止めに入った。
一瞬、二人同時に私の方に顔を向けると、中年のゴルフ焼けか、黒い精悍な顔つきの男が
 「いや、こいつが、汗を流さないで水風呂に入ったんで注意したらいきなり怒りだしてね」と中年男は冷静に言った。
 「いや、俺は汗流して入ったのに、こいつが見てなかっただけだよ」と若い男は反論する。
 「お前、出た瞬間にそのまま飛び込んだだろ、俺はサウナ室の窓から見てたんだよ」
 「嘘言うな、俺はシャワーを浴びてから水風呂に入ったの」と口を尖らせ、中年男に突っ掛かるように言った。
 「いや、すぐに飛び込んだよ、お前は」
 このまま5分間ぐらいだろうか、どちらかが手を出しそうな危険をはらみながら、終わりのない口論が続くのをじっと私は聞いていた。
 確かに、サウナ室からすぐに飛び込んだのを小窓から見ていたのもきっと正しいのだろう。またシャワーを浴びたのも正しいかもしれない。小窓からシャワーのある位置は死角になっており、小窓からではシャワーを浴びたかどうかは確認できないので、若い男が嘘ついているのか、ついていないかだけが問題になるため決着のつけようがない。こういう場合どういう落とし処を見つけたらいいのか、大岡裁きのように三方両損で上手い決着の方法はないものかと思案したが、
 「お客様、言い争っていてもしょうがないので、ここは落ち着いてもらって、汗を拭わないで、水風呂に入っていけないというのはお客様両方とも認識していらっしゃるのですから、今後、必ず汗を拭って入ることを徹底してもらうということで、お互いここは引いていただけたらと思うのですが・・・」
 私は何だか分かるようで分からない理屈を並べ、何とかこの小競り合いに終止符を打とうと必死に言いくるめた。
 しかし、夜中に高層の超高級ホテルの天上階のスパで三人が(二人は〇〇ポまる出しで)、立ちながら口論をしている姿を想像してみてください。また口論の種が、サウナの後に汗を流して水風呂に入ったか入らなかったかという、ほんまに小さなことで20分ほどやり合うと言うのも滑稽を通り過ぎて喜劇というほかにない。
 しかし、この世の中、揉め事の原因はすべてこんな小さな出来事から起こるもので、特にこういうホテルの揉め事は、ほんとうに小さなことに起因していることをこのバイト経験で身にしみて感じたのである。二人は私の何だか訳のわからない理屈を聞いて、納得したのか呆れてしまったのか分からないが急に黙ってしまい。きっとお互い疲れたのだろう。
若い男が
 「今度はただじゃおかないからな」と捨てゼリフを吐いてその場を後にした。
 「ただじゃおかないってどうするんだよ」と中年男はドスの効いた低い声で言った。
 中年男は冷静になるとやはり大人である。申し訳ない、とこちらに謝罪して流し場の方へ向かっていった。私は仕事を続けようとサウナ室を出たが、次に何をしたらいいのか、所在投げに、頭を冷やそうとプールサイドをフラフラと歩き廻った。外を眺めると、眠らない東京の夜景がやけに寂しげに輝いていた。歩きながらこの中年男、どこかで見覚えのある顔だなと記憶を辿ると、最近はあまりテレビや映画に顔を出さないが、以前はVシネに登場していた俳優のMではないかと、少し以前よりは老けたが(当然である)、さすがに俳優、まだオーラはあった。ヤクザまがいの言葉も真に迫っていたのは、そこは俳優である。そして〇〇ポも大きかったのは、さすがである(何を感心しているのか)。あの若さでは彼のことは分からないだろうが、もし分かっていたらあのような口論になったかどうか。
 そして、私はこの事件のあらましを、担当マネージャーに告げることを控えて、無かったこにして処理をした。もし彼に話せば、何故自分にすぐ連絡をしなかったと小言がかえってきて、私の大岡裁きを褒めてくれるどころか、逆に私の行動に難癖をつけてくるのがオチであったからである。

清掃夫は見た-?だけど、愛しき人々②

外資系高級ホテル編

第1章 ここぞ、ほんとうのグローバル

 始業のタイムカードを押そうと、清掃控え室のドアを開けると同僚の趙さんの甲高い声が聞こえてきた。
 「ワタシ、チャントヤッタヨ、ゼッタイニ、ゼッタイニ……」と何度も「ゼッタイニ」を繰り返している。
 班長の伊藤は苦り切った顔つきで、
 「でもね、趙さん、四つも棒が出てきているんだよ」と彼は仕掛棒を趙さんの前に突き出している。
 趙さん、少しマズイなという顔つきをしながらも口をとがらせて、
 「ヤッタヨ、ソレ、オカシイヨ」とまた反論している。
 「でも、これは事実だから」と困惑した顔をして伊藤は言う。
 「ゼッタイ、ダレカ…」と趙さん、さすがに、誰か自分を陥れようとしてやったんだよとは言えず、言葉を切った。
 「まあ、これから気をつけてよ、頼んだよ」と伊藤は皮肉っぽい顔つきで言った。伊藤もうこれ以上言っても、しゃーないと諦めて趙さんから目を逸らした。
 趙さん、自分の仕出かした過ちなのに、まだ不満気に「ゼッタイ」「ゼッタイ」と小さく呟いて控室出ていった。
 仕掛け棒とは、私たち清掃員にとっては嫌味な棒で、雇主のホテル側 が私たちがちゃんと仕事をしているかを試す小さなガラスの棒で、ところどころ清掃範囲にその棒をランダムに置いて(例えばソファー下、裏、テーブルの上、部屋の隅等)、落ち度ないかを管理するための棒なのである。手を抜かず仕事をしていればその棒がなくなっている。それがそのままあるということはいい加減な仕事をしていると判断されるわけである。清掃員が一番困るのは、真剣にやっていても見落としてしまうことはあるし、手を抜いても見落とさず済んでしまうことがあるもので、その辺はホテル側、あずかりしらないということなのである。逆に言えば棒のあるなしで仕事の<質>は何も問わないと、私たちにとってどんなに一生懸命やっても棒一つ置き忘れれば、いい加減な仕事ぶりだと判断されてしまうのが何とも痛いのである。
 まあ、4本も置き忘れるというのは、さすが中国人(失礼)、滅多にないので班長伊藤の苦渋も分かるのである。
 この趙さんロッカー室でも。まだ今度は「チガウヨ、チガウヨ」と何が違うのか悔しそうに呟いていたかと思うと、
「宮田サン ワタシヤラレタネ」と口を尖らせて言った。
「何をやられたの」と答えると
「三上ガ、ハンニンネ」と言った。
「何の犯人なの」
「三上ガ、オワッタトキ、ボウオイタンダヨ」と言った
 私は冗談で言っているのかと思ったが、趙さん真剣なのである。
「趙さん、そんなことあるわけないだろ」とさすがに怒って、少し声を張り上げた。
「ゼッタイネ、ゼッタイネ」また彼は「ゼッタイ」を繰り返した。
「趙さん、考えてみなよ三上がそんなことして、何の得になるの」
「イヤ、三上ダヨ、コレセイカイヨ、宮田サン」趙さんはあたかも推理小説の犯人が分かったので人に伝えたくてウズウズしているような顔付きでいった。呆れかえって「頼むから三上にそんなこと言っちゃダメだよ」という言葉しか出なかった。
 ところが、この趙さん、もうここで読者の方は展開がお分かりだろう。そう、彼は三上に直接問いただしてしまったから、さあ大変、結末は後ほど話しますがその前に、ここでは、私がどういう経緯でこのホテルで清掃業という世界に入ったか、またどのような仕事をし、どんな同僚がいるかを簡単に説明していた方が、後々の話が分かりやすので少し説明させていただく。

 私は、17年間、食品宣伝を専門とする広告会社を経営し、健康食品ブームに乗り順調に売り上げを伸ばし、この世の春を満喫している時もあったのだが、ある事件に巻き込まれ会社をたたまなければならなくなったのが、まずはこの清掃業に入るきっかけだった。
 いまさら、社長だった人間が、年齢(40代後半)もあるだろうが普通のサラリーマンに戻ることは簡単には出来ないだろし成る気もなかった。出来るならばとりあえずは簡単なアルバイトで日々の暮らしをやり過ごしながら再度業界復帰をなどと考えていた。
 ところが、世の中手っ取り早い仕事というと、単純な肉体労働しかないのが現実であり、物流の配送、建築労働、守衛さん、そして清掃業ぐらいが主たるもの。そしてどれもが東京では時間給1,000~1,300円が相場。だが人間切羽詰まると何でも出来るもので、そのほとんどを体験し一番長続きしたのが清掃の仕事だった。配送、建築労働はさすがに50を越えた歳になるとシンドイ中、清掃ぐらいの軽作業が年齢的にも身体に一番フィットしたのである。問題は心の問題である。仕事自体は言ってしまえば中学生でも出来る単純なもの。慣れれば何物でもない。だがどうしてこんなに見をやつしてしまったという気持ちが身体の動きを止めてしまうのである。自分は運搬の仕事するために、ゴミ集めをするために、この世に生まれてきたのか、大学まで出たのか、を考えると荒(すさ)んだ気持ちになるのは否めないのである。その気持ちを「これで終わりではない、ただのアルバイトである」という慰めの言葉(この言葉が己に潰しがきくかきかないかの瀬戸際の言葉なのである)でやり過ごし、日々何とかゴマカシゴマカシ暮らしていたというのがほんとうのところだろう。
 そんな現実の中の稼(しのぎ)のひとつが外資系超高級ホテルの清掃バイトであり、初めて清掃初体験の仕事であった。
 「外資系ホテルでのパブリック(公共施設)清掃員急募」というコピーに、21時から早朝6時まで、1時間休憩、実働8時間。時給1,300円。週3日以上、シフト制。交通費規定支給、制服貸与という募集内容だった。
 深夜仕事に引っかかりがあったが、この不景気だとめったにない時給に飛びついてしまったのがきっかけだった。
 五反田のメンテナンス会社で面接を受け、翌日には採用が決まり、その日にホテルへ行き、ホテル側のマネージャーに挨拶。三日後には初出勤だった。
 このホテル最近よくある複合ビルの一角にあり、ビルの地下1、2階、地上1、2階と45階から50階がホテルの占有階だった。
 地下2階の清掃控室で班長の伊藤に挨拶し、細かな仕事内容の説明を受けてから、45階まであがると、バックヤードの廊下にこれから同僚になる清掃員たちが屯(たむろ)していた。さすが外資系ホテル、ワールドワイド(さまざま)な顔付きの方々がいた。
 21時に朝礼がはじまり、伊藤が皆に私を紹介し、その日の担当場所とペアを組む名前(担当場所は2人でペアを組むのが原則)の報告があり、
「本日も一日、頑張りましょう」という伊藤の掛け声のもと、それぞれが担当場所に散らばっていった。
 はじめは研修のため班長の伊藤に付いて、それぞれのホテル内の施設を案内された。さすがに超高級ホテル、すべてにおいて重厚で高級感を漂わせている。特に45階ロビー前のラウンジは、天井が高く周囲が大きな窓に覆われ、東京の東西南北四方(すべて)が見渡せて、そこ自体が展望台になっている。丘の上の高層タワービルのため東京タワーが低く見えるということだけでも、いかにここの景色が絶景かの説明になるのではないだろうか。
 ちなみに、このラウンジのコーヒー代は1,200円(これにサービス料+税金を加えると1,500円)。しかしコーヒーが付いて、これだけの展望台に上れると思えば安いのかもしれない。
 ただ蛇足だが、毎日のようにここから外を眺めていると慣れというものは恐ろしいもので何の感動もなくなり、景色など見向きもしなくなるのである。私はこの体験で高いお金を出して高層マンションなどに住むものでないなということの認識できたのは良かったと思う(買うお金もないが)。
 また何よりも圧倒されたのがスパ施設のプール。さすがに25メートルプールとまではいかないが、縦15メートル横10メートルの大きさの室内プールが46階という高層階にある。ひょっとすると日本で一番高い位置にあるプールなのではないだろうか、それが三方ガラス張りの窓で覆われているのであるから何かを言わんかである。
ひと通り、担当施設の案内を終わり、いくつか注意事項を聞き、バキューム(掃除機)の使い方、ダスタ―(雑巾)の拭き方、フラワー(ホコリ取り)の際の注意、お客様への対応の仕方等を教わり研修は無事終わった。後に、他の清掃バイト(デパート、高級マンション、大学、オフィス)を経験して分かったのだが、清掃業で一番キツイのが高級マンション、その次がホテル清掃、それも高級ホテルはそれに輪をかけて厳しいのであった(当たり前だが宿泊料が高いのであるから清掃もより一層のクオリティーを要求される)。それは考えればすぐ分かることだが、ホテルは清潔なのが当たり前なのである。お客様に快適に宿泊してもらうために何よりも必要なものは清潔さである。故に、ホテル側はクリーニングには万全を期すのであり、極端かもしれないが綺麗か汚いかはホテルの生命線でもあるのだから当然である。そのような環境の中、清掃業者にもより厳しいワーキングを要求するのも仕方のないことなのかもしれない。 
 私は清掃業が初めてだったので、こんなものなのかと思うだけであったが、高級ホテルの髪の毛一本、指紋一つ、壁のほんの少しのホコリさえ許されない鉄壁な姿勢は当然のごとく報酬に見合わないかなりの負担を清掃員にしいているのであった。パブリック(ホテル内公共施設)でこれなのだから、客室清掃はそれ以上なのだろうなとその当時思ったものである(客室清掃をしている女性から客室清掃のさまざまな苦労を聞いた―後述)。

 現在(いま)、他の清掃を憶えてしまった私が、ホテルの清掃業をやるかと言えば、時給が少しばかり高いだけでは決してやらないだろう、特に高級ホテルと高級マンションは(今の倍の時給なら考えなくもないが)……。仕事はきつかろうが、楽だろうがアルバイトの時給は変わらないのである。それはまさに、働く者の能力、スキルなどはどうでもよい仕事であるという表れではないだろうか。ただ、始めに厳しい経験をしておかげで、その後の他の清掃が非常に楽であったのは、逆に言えばラッキーだったかもしれない。

 私の初仕事のペアは前述の中国の趙さんで、担当場所の前半は2階のホール前コリドール(廊下)で、休憩をはさみ、2時から45階のレストランフロワーにある寿司、天ぷら、鉄板焼き店の清掃だった。ペアの趙さん、人懐こいのはよいのだが、常に、私の側(そば)に近付いてきて喋りまくる。その内容のほとんどが、ここの清掃のやり方は間違っているということと、後は自分のことが主だった。彼は、10年前に中国の浙江省から来日。中華料理屋のコックとして働きながらもいくつかの店を転々しながらも、4年前に池袋に店を持ち繁盛していたが従業員に1年間に渡り使い込みをされていて、バカバカしくなって1年前に店を閉じ、奥さんはマッサージ師で、小学校2年生の娘が一人いること。私は趙さんと一緒に仕事をして、2日で趙さんの人となりを知ることとなる。
 この趙さん、自分の清掃スキルに絶対に自信があるらしく、常にこうあるべきだと、口では説明するのであるが、何せほとんど仕事らしいことはしないので、私には彼の技術の凄さは分からなかったというのが正直なところだった。ただ、中国社会の様々なことを教わったので、趙さんに出会えてよかったと思う。
「宮田さん、中国人ノ中華料理屋、ミンナ華僑ガシキッテイテ、開店スルトキハ、ウデノイイコックツレテキテ、キャクヲアツメルノヨ、ソイツハ開店サンカゲツデヤメ、マタ開店スルミセニイクノ、ダカラサンカゲツスルト、ソノミセマズクナルノヨ」
「中国セイフカラ認定サレテイルトカ、免許ガハッテアルオミセアルデショ。コックトカマッサージノヒト、アノ免許、ホトンドウソ、ジブンデツクッテイルノヨ」
 「中国人ファミリーガダイジ、タニンノコトナドナニモカンガエテナイネ」
 趙さんの言っていた一部を紹介したが、確かに、私の自宅の近くの華僑系中華料理屋、開店当初は、大変旨かったが、数か月後、味が確実に落ちていたが、彼の言うことはひょっとするとほんとうなのかもしれない。
 また、中国政府の認定免許証も中国人なら平気でそんなことはやりそうな気はするが、果たしてどうなのだろうか。
とにかく、この趙さん、悪口と否定的なこと、自分は如何に優れているかしか言わない人で、「アレ、ダメヨ」「ワカッテナイネ」「オ―マイゴット」が口癖の人だった。

 ここで、その当時一緒に働いている同僚たちを紹介しておこう。各国別には、日本人が10人、モンゴル人が4人、中国人が1人、バングラデッシュが1人という構成(あつまり)だった。外資系のサービス業は人員の3,4割は外国人を雇わなければいけないという義務(きまり)があるらしいと聞いたが確かなのかは定かではない。
 日本人の従業員は、NHKの受信料の徴収係とWワークをしている50代後半の班長の伊藤、消防士を55歳で辞め年金が出る60歳になると奥さんに三行半を受けてしまった63歳の高木、55歳で会社をリストラで首になりその退職金で鍼灸学校に通っている56歳の繁田、唐津で7年間陶芸家だったが、東京に戻ってきた40歳の荻野、個人経営で保険会社の代行の仕事をしていたがある時事務所に泥棒が入り、首を刺されて死の淵をさ迷ったという特殊体験を持つ60歳の松永、暴力沙汰で高校中退し職を転々としいる茨城訛りの35歳の大橋、会社で人事の仕事をしていたという資格マニヤの馬鹿真面目な田中、それから神経質、杓子定規でいかにも腹に何か一物をもっていそうで余りお近づきをしたくない40歳の三上、思想活動でもしていたのか変に左翼的で理屈っぽい38歳の岡島、と良くもまあこれだけ訳ありや脛に傷のありそうな人員が揃ったものである(一番脛に傷のあるのは私かもしれないが)。
 この輩たちが、これまた外国人労働者という自分たちとは習慣の違う人間と一緒に仕事をしていくのだから問題が起こらないわけがないのである。
 外国人と一緒に働くなどというのは私も初めてであった。実は国際的な世の中になったと言っても、ほんとうに国際的になっているのはこの外資系ホテルの清掃業やサービス、観光業のような世界で、ほとんどの日本の労働者は外国人と一緒に働くなどという機会は少ないのではないかと思う。日本の場合、日本語だけでマーケットが成立していける社会なので、そもそも日本語が出来る外国人以外は言葉の障壁があって、入り込む余地は少ないである。実際に仕事で外国人と接触している日本人など少ないのは当たり前なのである(商社等外国で飛び回ってるいる職種の人は別だろうが)。国際化、国際化と言っても何の国際化なのかナンジャラホイなのである。故に日本人は英語が出来ないなどと言われるが、出来なくても生きていけるのだし、必要性が少ないのだから身に着かないのは当たり前なのである。ただ、今後、これからの日本人は、外国に出て働かなければならなくなる時が来るかもしれない。  

 地下2階の従業員食堂は、24時の休憩時間になると、それぞれ従業員がお茶を飲んだり、空(す)き腹を軽くみたしたり、仮眠をとりに、と集まってくる。
ある、時壁にある大画面テレビを観ていると、深夜のバラエティー番組ではホモ(男色)の話題で番組が進行されていた。それを観たバングラデッシュのウラ君が
「日本人オカシイヨ、バングラデシュにコンナノイナイヨ」と小さな声で呟いた。
 よせばいいのにウラ、何度も何度も
「オカシイヨ、オカシイヨ、ニホンジン」と真剣な顔突つきで言い続けた。
 私たちは苦笑いしていたのだが、突然、陶芸家の荻野が
「お前のとこには、ほんとうにホモはいないんだな」とドスの効いた低い声で言った。
「ソンナノイルワケナイヨ」とまた今度はカナ切り声をあげた。
 荻野はとうとう切れて
「お前なホモセクシャルがいないなんて、嘘ついてるんじゃねー。アッラーの神がホモを禁止しても、自然にホモはあるんだよ、このボケ」と大きな声をあげた。
 それを聞いたウラは、
「そんなことない、バングラデシュはホモいないよ」とまた突っかかる。
 荻野は呆れ顔で、
「いたらどうするんだよ。お前、イスラム教改宗するか」
「日本人おかしいよ」
「おかしくないよ。お前がおかしいんだよ」と荻野は皆に同意をもとめるように言った。それを周囲で聞いていた者は、当たり前だが、我関せずの態度で苦笑いしているしかなかったのである。
 この問題、どちらが正しいとか正しくないとかいう問題ではないのである。スンニ派のイスラム教徒であるウラと日本人の荻野では、この後いくら言い合っても平行線であろう。荻野がバングラデシュのホモ(男色)を彼の前に連れてきても、彼は絶対に認めないだろ、というかその男色はもうイスラム教徒ではないのである。民族融和と言っても最後の最後では、宗教、教育、習慣、政治制度、文化など全てにおいて差異(ちがい)があるのだから、お互いが相手の中に入り融和するなどと言うのはそもそも困難なのである。等閑(なおざり)と見せかけの融和はできるだろうというのは皆心の中では理解しているのである。
 この二人、次には豚肉を食べる、食べないでやり合った後、もうほとんど会話することもなく、一人の日本人とバングラデシュ人の友好関係は終わってしまったのである(はじめから友好などはなかったが……)。
(つづく)