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言葉の納戸―突き刺さる箴言②

「不確実性が大きいから組織の必要が高まるのではなく、組織が設計しようとする野望が高まるからこそ不確実性が大きくなる。」

(フリードリヒ・ハイエク*)

 

 ハイエクは「自由」について深く考えた哲学者である。

 彼は人間理性の「設計主義」を批判し、「自由の条件」として「自生的秩序」の進化に信を置く人である。
 「設計主義」の悪しき歴史的見本が、社会主義やナチズムであり、そして「設計主義」が全体主義に変貌し、人間の自由が侵される危険を常に唱えていた。これは人間理性がアウフヘーベンしながら完成にむかっているというヘーゲルの理性主義を批判するもので、ニーチェの反理想主義に近い。また合理主義批判でもあるようにも思える。こんなことを述べるのも、どうも我々は合理性や便宜、テクノロジカルなスピード(人間が作り上げた)が人間を幸福にするという幻想を持ちすぎているのではと思うからである。確かに、この合理主義は文明・文化の発展に大きな貢献をしたが、直観力の良い人は、少しずつ「生の意志」という、一番肝心なものが減少しつづけているのに気づきはじめているのではないだろうか。ハイエクの「設計主義」批判も、穿ち過ぎかもしれないが、その喪失への危惧を抱いたものだったように思う。世界は、今、大変な節目の時期がきているような気がしてならない。今こそ、もう一度、何が重要で、何が<ほんとう>に必要なのか、それぞれが足元を見つめながら考えなければ危うい未来への道が待っているのではないか。ハイエクの「理性・合理主義批判」は、その回避への手助けになるように思えてならない。

フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク

 1899年5月8日 – 1992年3月23日、オーストリア・ウィーン生まれの経済学者、哲学者。オーストリア学派の代表的学者の一人であり、経済学、政治哲学、法哲学、さらに心理学にまで渡る多岐な業績を残した。20世紀を代表する自由主義の思想家。ノーベル経済学賞の受賞者。日本では市場競争を煽り、格差社会を推進するリバタリアン(新自由主義者)の父ように言われている。また、イギリスのサッチャーやアメリカのレーガン、ブッシュというタカ派政治家がリスペクしていたために、保守主義やネオコンの温床だとして毛嫌いする日本のリベラルリスト(社会民主主義派-ほんとうの自由主義者ではない)と称している輩がいるが、彼の書物を読むと、大変な常識人であり、彼こそリベラルリストの鏡だと言える学者である。因みにルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは母方の従兄にあたる。日本語訳著書に『資本の純粋理論』(実業之日本社、1934年)『市場・知識・自由――自由主義の経済思想』(ミネルヴァ書房、1986年)『ハイエク全集』(春秋社、全10巻、1986-90年・別巻は1992年、新装版2007-08年)がある。