すべての歴史は現代史である。
(ベネデット・クローチェ*)
生物には、<今、ここで>の現在しか生きる術がないのである。
しかし、<脳―理>が発達した人間は他の生物と違い、過去・未来を考えることができるために、あたかも<私>も過去から未来へ移動しているような妄念を抱きがちである。しかし、実は同様に<今、ここで>しか生きていないのである。例えば、未来を考えることはできるが、未来は決して現れてはこない(未来を掴んだと思った瞬間、そこは現在なのであるから)。そして、過去も<今、ここで>の過去でしかない。故に歴史は、それぞれの人間が<今、ここで>解釈した過去(現代)でしかないのである。60を過ぎてやっと気づいたが、もっともなことである。
「今を楽しく、精一杯に生きなければ何の意味があるのか」<「俺たちの旅」(TVドラマ)の津村甲介のセリフ」>。いい加減で、バカなカースケの言葉が単純だが一番本質を突いていたのである。また、ニーチェの「運命愛」にも繋がるような気がする。

ベネデット・クローチェBenedetto Croce, (1866年2月25日 – 1952年11月20日)イタリアの哲学者・歴史学者。ヘーゲルの対立の論理に代えるに判別の論理をもってする独自の哲学を確立し、哲学と歴史叙述を一体化しようとした。イタリアの精神界のみならず、欧米の思想界に大きな影響を与えた[1]。まだ黎明期の共産主義者である。主著は『表現の学および一般言語学としての美学』(1902年)、『歴史叙述の理論と歴史』(1917年)。『ヴィーコの哲学』 (青木巌訳 東京堂、1942年)『ヴィーコの哲学』(1912年-上村忠男編訳、未來社〈転換期を読む〉 2011年)、 『美学綱要』 (細井雄介訳 中央公論美術出版 2008)、『ヘーゲル弁証法とイタリア哲学』 (上村忠男編訳、月曜社〈古典転生〉 2012年、スパヴェンタ、ジェンティーレ共著)、『19世紀ヨーロッパ史 自由の発展史』(坂井直芳訳、創文社、1957年、増訂版1982年)、『思考としての歴史と行動としての歴史』 (上村忠男訳、未來社、1988年)、『クローチェ政治哲学論集』 (上村忠男編訳、法政大学出版局 1986年)、『イタリアとスペイン ルネッサンスにおける文化史的考察』( 阿部史郎・米山喜晟訳、恒星社厚生閣 1972年)、『エステティカ イタリアの美学 クローチェ&パレイゾン』(ルイージ・パレイゾン共著、山田忠彰・尾河直哉編訳、ナカニシヤ出版 2005年)