げに恐るべきは中国かな②

 上の日本国の人口推移を見て欲しい。
 701年の大宝律令を日本国が誕生と想定したとして1,320年がたった。誕生からズ~っと日本の人口は右肩上がりで増加していったのだが、はじめて2,015年を境に下降線を辿っている。そして50年後は敗戦時の人口7,000万近くまで落ち込むと予想されている。この図を見ながら、現在の私たち日本人は人口だけみれば、今までの日本にはなかった経験をしようとしているのである。そして今、私たちはそれと現実に向き合っているのである。それを考えた時私はある種の感慨に浸ってしまった。よくぞこんな時に生を受けたものだと。
 しかし、日本の人口が落ち込むと同時に、お隣中国は、「21世紀は中国人の世紀」などと言われ、そしてあながちその言葉に間違いはなく現実味を帯びるほどの巨大な強国なってきたのである。
 新型コロナというウイルスをバラマキ(研究所流失説が濃厚になってきた)ながら、自らの国は徹底的な感染対策で収束させたのに、あなたたちは何をしているのと、反省しなければならない立場の国が逆に自分たちの優秀性を誇示し平然としている。当たり前ながらここでも謝罪の言葉ひとつない。さすが政治の国、謝罪などしたらどんなことになるのかを長い歴史のなかで知り尽くしているのである(どこぞの国と違う)。謝罪などしたら各国の賠償請求の火がつくために(日本の慰安婦問題のように)、あくまでも新型コロナ天災説を貫くだろう。
 トランプではないが、世界中の国々で賠償金請求をしたほうがいいのではと思いたくなる国なのは確かである。しかし、そこは各国冷静である。そんなことをしたならば、第一次大戦の敗戦国ドイツが天文学的賠償金を負ってしまい、どんなことを起こってしまったか、その記憶が甦ってしまうのかもしれない。そして、ホロコーストならぬ中国なら何をしでかすかわからないという危惧と世界経済の混乱を招きかねないという最悪のシナリオへの恐怖が、それを抑えているのかもしれない。しかし、そんな各国の思惑など承知の介がこの共産国家?中国なのである。
 チベット人を大虐殺しようが、モンゴル人を抑圧しようが、ウイグル自治区に強制収容所を作ろうが、中国人は決して悪くないのである。いや善意で行っているらしいのである。だって21世紀は私たちの国が一番よ、と、<中華>思想をちらつかせて、私たちに逆らうと生きていけなくなるのだからと暗黙の脅しが横行する。私と一緒に働くモンゴル人(内モンゴル出身)は、実家には帰りたいのだが、あの国(中国統制下モンゴル)には帰りたくないと、中国という国の怖さをいつも繰り返して聞かせてくれる(それを聞き私は唖然とするばかりである)。そんな国だが、当然だが私たちにはもうその国を制御できる力は持っていない。中国恐しである。
 それに比べ、トホホなのは人口が減少に拍車がかかる我が国日本の菅首相である。首相になって、あなたは何回謝罪したのか、謝罪は非を認めたことになり、どんなことをされても、あなた及び国家がその非に対して償いをしなければならないということで、相手が納得しなければ永遠に償いをしなければならないということをこの方はわからないのだろうか(辞めちゃえば、へったくれもないから謝っているのかな)。
 この日本国、敗戦国になってからどれだけ謝罪したことか、それでもまだ謝罪がたりないと、お隣の韓国と謝罪しない国・中国は謝罪を要求する。その現実を経験しながら、日本人は歴史などに何にも学ばないのだろうか(ハイネ)。その上、いまだにこの「スミマセン」国家の首相は、苦笑いしながらいつもの挨拶のように謝罪を繰り返す(ヤレヤレである)。
 私たち日本国、日本人は、人口推移の落ち込みとともに、未曾有の岐路に立たされているように思われてならない。100年とは言わぬ20年後、30年後の日本国の姿に対して、もうちゃんとした指針を持たなければいけないのに、現在のコロナ渦それどころではないらしい。しかし、それこそ中国に飲み込まれ、チベット、モンゴル、ウイグルのように中国の圧に押され何も身動きができないような日本国の現実が迫りつつあるような気がしてならないのだが、それは穿ち過ぎなのか。それを証拠に、現在、中国人観光客がいなくなり、潰れてしまった、潰れそうな日本企業がどれだけあることか。そしてどれだけ中国人が日本の土地を買いあさっていることか。中国への依存が自分たちの首を絞める結果になることの恐ろしさを認識しなければ、エライ結末を迎えのではと危惧するのは、要らぬ老婆心なのか。
 新型コロナが収束してからは、また、その後始末で混乱するだろうが、それぞれ日本人がもっとこの日本国の現状を憂えなければならないのではないか。しかし、返す返すもこの国の政治はどうなっているのか、今こそ政治家は未来への指針を打ち出すべき時なのに、与党、野党の議員の顔つきを見ると脂ぎったヘタレばかり、まさに我々日本人のヘタレさと合わせ鏡のようで、焦燥感がつのるばかりである。
 命とお金と平和さへ確保できれば、日本国がなくなってしまっても平然としているのが日本人なのかもしれない、「さあ、議論をしよう」と大好きな平和的会議をし、結局決断を棚上げする日本国の上層階級たち、気づいた時は中国人になっていた?そんな落ちもありそうに感じさせるのもこの国の現在なのである。げに恐ろしきは中国ならぬ日本人の精神性なのかもしれない。 

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