清掃夫は見た-?だけど、愛しき人々①

外資系高級ホテル編

序章?(不思議)?(不思議)で始まった

 宴会場、いやここは外資系高級ホテル、地方の温泉旅館ではないのだからグランド〇〇〇〇〇ホールという堂々した横文字である。しかし、その横文字の〇〇〇〇〇は誰一人として憶えている人も、憶えようとする人もいない。
 そのホール、今宵は、どこぞの投資会社の新年会がたけなわで、いつもより遅くまで騒がしい声がホールの外へまで響いた。
 私はそれを尻目に何関せず、清掃道具(フラワー・壁のホコリを取る毛の付いた吸着道具)を使いながら、まだ不慣れながらホールのエントランスの壁のホコリを一生懸命拭っていた。エントランスは細長い廊下がエレベーターに繋がっており、2階にあるホールからホテルを出る際には、必ずこの廊下を渡らなければならない構造(しくみ)になっていた。
 突然、宴会場の扉が開くと、20代後半ぐらいの女性2人が顔に笑みを浮かべ出てくると、こちらに早足で向かってくる。私はお客様の道を塞いではいけないと思い、身体を壁に寄せ道を作った。
彼女たちは近づいてきて、一人が
「出口はこちらでいいんですよね」と聞く。
すかさず
「真っすぐ行って、エレベーターで1階に降りたら出口です」と丁重に応えて、彼女たちを見送った。彼女たちは誰かに追われているのかのように逃げるように去っていった。
 さて、仕事に戻ろうとまた壁に向かった瞬間、
「おい、お前逃がしたな」と突然の声。私に言っているのだろうかと振り向くと痩せぎすの背の高い、そうトカゲのような男が口を尖らせて前に立っていた。
「お前、逃がしただろう」と今度は、私に言っているのだと確信したが、何のことか理解に苦しみ言葉を発することが出来なかった。
 咄嗟に、
「お客様、どういうことでしょうか」と慇懃に尋ねると
「何で、止めなかったんだよ」と今にも私の胸倉に掴みかかるではないかという形相で睨みつける。
「どなたをですか」
「……」
 一瞬、さっきの女性たちのことかと一応は納得したが、さて何のことやらと頭に?(ハテナマーク)が点滅し立ち尽くしていた。
「お前分かっているだろう。何で逃がしたんだよ」
「逃がしたと言われても、お客様・・・」と接客業などしたことのないただの新人の清掃夫がこういう時にどう応対して良いか分からず、ただ言葉少なく、相手の出方を伺っていた。
「だからお前はダメなんだよ」
「……」(あれ、何かがオカシイとまた?が今度は多く点滅した。だからお前って、あなたとは今始めてお会いしたのですよ。どこかで一緒に仕事でもしたか)
「なぜ、止めなかったんだよ。止めるべきだろう」と今度は拳を握りしめ殴りかかりそうな勢いで、私は怖くなったが、とりあへず勇気を出し、言うことは言おうと、
「お客様、私は、お客様と先程お帰りなった女性のお客様とがどういう関係なのかもしれませんし、お客様から前もって、こういう女性のお客様が来たら、待たせておくようになどご依頼されておりません。ですので、まして女性のお客様をここで止めておく権限もございませんし、お客様から出口はどこかと聞かれましたので、お応えしたまでで…」
(俺のどこに落ち度があるだよ、あるなら言ってみろ、このボケ)と内心はここまで吐き出してやろうかと思いながらも我慢して失礼のないように抑え、整然と言った。とするとこの男言っていることが分からないのか、
「だからダメなんだよ」と首を振った。
 と言うことは、私はあなたの行動が上手くいくようにあらかじ予測していなければダメなのか、そんなバカことがあるかと、少しカッっとなりながらも、
「お客様、何がダメなのか分からなのですが」と冷静に声を発したが、少しばかり高飛車に出た。
 するとこのトカゲ男は身体をぶるぶる震わし、「こっちへ来いと」私の腕を掴んだ。私はここで、何か言ってもしゃーないと、清掃道具をここに置きっぱなしにしてはマズイと思いながらも(この時はまだ冷静さを失わずにいた)成すがまま従ったのである。
 この男は私をエレベーター前まで連れていくと、「俺が教えてやるから、ついてこい」と言って、まず「エレベーターのボタンを押すだろ、ホラやってみろ」と私に指示を出した。
 その時点で、(ひょっとする)と考えて、この筋書きだと理不尽さも解消されるのではないかと、このトカゲ男、新人アルバイトの研修のためにきた私が雇われている会社の上司で、私の働きぶりを抜き打ちで観察、テストをしに来たのだと。そうそうなのだと納得すると筋が通りそうだと、今までの?(ふしぎ)と理不尽さも解消されるのであった。
 上司かもしれないトカゲ男はエレベーターに乗り私を誘う。私に階上のフロントとロビーフロアーのボタンを押させると、今度は「お前な、ここへ行く意味分かっている」と口を荒げた。
「いいえ」と私が小さな声で返答すると、また「だからダメなんだよ」と吐き捨てるように言った。ロビー階に着くと、無言のまま、ただウロチョロし(ひょっとするとロビーにかの女性たちがまだいるのかと探っているのか)、見付からなかったのか悔しそうな表情をして私に近寄り、また「だからお前はダメなんだよ」と、さも自分の部下のように呟き、「ほら行くぞ」といって、顔でエレベーターのボタンを押すように指示をする。
「どこへ行くのですか」と尋ねると、「1階に決まっているだろう」と言ったかと思うと、「だからお前はダメなだよ」と繰り返した。
 私は、もうそろそろ本性を現し、まさにドッキリカメラのように、「研修終了。良し合格」を(こういう理不尽な対応をされた時には怒らず我慢するのが接客の基本なのだと…。接客業でなく、清掃業なんです。)、いつ言いだすのかと期待して従っていた。
 しかし、そう考えるとあの女性たちもグルか?と。しかし、研修でそこまでやるかと思いながらもその上司かもしれないトカゲ男についていった。
 1階のフロアーに着くと、トカゲ男、トイレはどこかと聞き、場所を指示すると、「ついてこい」とスタスタと先へゆく。私は(ズーっと付いていってるだろ、このボケ)と思いながらも、きっとトイレの中で「ドッキリカメラの真相」が暴かれるのだと何とも泰平楽な憶測をしながらついていった。
 トイレの中に入ると、男は右手の奥の大便用のフロアーにいくので、私は足を止め、流しの前で待つことにした。男はさっぱりした顔でこちらに向かって私の顔を覗きこむ。
 そして、不思議そうな顔をしてこちらを見た。
 私はこれから真相を伝えるのだなと期待して、彼の動作を眺めていた。
すると「お前、さっきから何でついてくるの」とバカにしたような顔して私をあしらった。
 「お客様が、ついてこいと」と私は半場呆れながらジワジワと頭に血がのぼってきた。
 「俺そんなこと言った、バカ、ほんとうにバカだなお前は、それよりお前誰なの」と今度はバカを繰り返す。
 「ここのホテルの清掃を担当しているものですが」と言いながら、今にもキレそうだった(次に何か言ったら胸倉掴んで、ハタキ倒してやろうと)
 「掃除の人間が何で、俺に用事があるのよ」
 もうここを辞めてもと、手を出そうとした瞬間、天の声が私に「そんなことをするとお前が首になるだけでなく、会社も契約を打ち切られメンバー皆が路頭に迷うことになる」という声が舞い降りて来たため寸でのところで堪えたのであった。若い時ならすぐこいつの胸倉掴んでチョ―パン一発、そのまま会社も辞めてしまっただろうが、そこは50歳もとうに過ぎた年齢の大人、その後のことも考えて老練に行動するようにはなっていたのであった。
 そして、上司ではなかった(当たり前か)訳のわからない男は
「お前ほんとうにバカだな」となぜだかちょっと恥ずかしげな表情をして私に捨てゼリフを吐いてトイレを出て行った。
 私はただただ拍子抜けして、何分(どのくらい)その場に立ち尽くしていただろうか。
 男が難癖をつけて私に迫ってきて、そしてトイレでナニ食わぬ顔をして去っていくまでの所要時間40分。この仕事に入ってすぐの出来ごとだった。
 世の中には奇妙奇天烈(キミョウキテレツ)な事があることは、さすがにこれだけ歳をとれば重々承知していたつもりだが、ここまで変な男にあったのは初めてである。
 その後も、10年の清掃アルバイトという、あまり公に口にしづらい仕事を通して、興味深い人間の行動、唖然とする理不尽な行為、悲喜こもごも体験させていただいた。まさに清掃業だからこそ体験できたのだろうというものもある。本書は3Kと言われ、誰もやりたがらない職業に何の因果か入り込んで10年もたってしまった男が体験したノンフィクションノベルであるが、決して業界の闇(そんなのアラへん)を告発するとか、商売妨害をしようなどという文章ではない。
 ただ、人間の厭らしさ、汚らしさ、優しさ、淋しさ、可愛らしさ、美しさ、愛しさその森羅万象を包み隠さず書いた文章だと思っていただければ幸いです。
 ちなみに、このトカゲ男の正体がその後判明した。現在注目の投資家で数十億の資産を持つ男で、ホテルに隣接する高級レジスタンス(家賃月80~200万)に在住している男だった。現在独身そんな資産を持つ男が、会社を廃業して借金まみれの元健康食品会社社長をアゴで振り回してどうするの、時給1,300円だぜ。

 そのことの詳細をグループの責任者・伊藤に伝えると、伊藤は「まあ、そういうこともあるよ」と言った後、「大事(おおごと)にならなくて良かったよ」と笑っているだけだった。
 こんなことが常日頃(しょっちゅう)あってたまるか、と私は心の中で言葉を吐き捨てたのだった。しかし、お客様は神様と言っても、ここまでされても我慢しなければいけないのがサービス業なのか(私は清掃夫なんだけどな)、ただただ?(ふしぎ)に思った出来事だった。(つづく)

 

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