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明治神宮考③-日本一の<不易(内苑)流行(外苑)>空間ここに在り

 閉じられた空間の中で、書物を読みイメージを膨らませることも重要だが、やはり実際に外に出て、現場(神域)に入り、その「気」を肌で感じ、インスピレーションを得る。そうすることで、見えないものも見えてくるものである、と都合の良い理屈を心に抱き、山の手線で原宿まで足を伸ばしのであった。原宿も随分ご無沙汰で、新駅舎も初めて見るというお上りさん状態で、明治神宮前へ。ゴールデンウィークの中日(なかび)平日だが、鳥居の前は大層な人混みである。そして、この国の現状を象徴するかのように、半分以上は外国の方々…。
 本日は、この南参道第一の鳥居(令和4<2022>年に吉野杉で造られた)をスタートし、本殿の参拝の後は、鬼門と言われる北門を出て、裏参道を、千駄ヶ谷、信濃町を通って、外苑へ向かい、外苑から南へ青山通りに、表参道のゴールまでゆっくりと散歩しようと思っている次第である。以前は何の知識もなく、ただ、ボーっとの参拝であったが、今回は、俄(にわか)ながら、明治神宮創建から現在までの流れを勉強しているので、以前とは、目の前に現出する内苑・外苑の立ち上がり方も違ってくることを期待しての訪問、さあどんなものが目の前に現れくることやら…。
 さて、まずは帽子を脱ぎ鳥居に拝礼して、神域に一歩踏み出す。ここから本殿まで、途中神橋、大鳥居(日本一の大きい)を経て、砂利の長い参道が続く。参道は深い森に覆われているが、これが自然林ではなく人工林だと聞き、また100年でこれだけ鬱蒼とした森になるのだと思うと、木々の生育の速さに驚かざるをえないのである(創建時10万本が植樹)。参道を歩きながら、何故か伊勢神宮へ参拝したおりの記憶が蘇ってくる。あの時は体が神域の空気感に反応してしまい軽い幻覚症状を発してしまったが、明治神宮の空気感にはそれほどのものはなかった。やはり、これは、我々人間が抱く時間の流れへの意識がそうさせるのか、100年ではそれだけの「気」のパワーは培われないのかもしれない。明治天皇御製と昭憲太后御歌が揚げられている掲示版を見上げ、横に曲がると、三ノ鳥居の先に南神門が、そしてそれを潜ると、外拝殿、内拝殿と続き本殿へ。内拝殿前は様々な民族が入り乱れて、興味深そうに周囲に目を向けている。参拝も見様見真似で拝礼する人、拝礼せずに、たぶん宗教上の問題だろう、それを近くで眺めている者、オジサンはそんな外国の方々の所作や態度を眺めているほうが面白く、祭神には失礼だが少し緊張感を欠く参拝となってしまった。
 神宮の御神木は本殿の手前の大きな楠(くすのき)で2本の幹にしめ縄が結ばれている。生前、明治天皇と昭憲皇太后の仲睦まじかったため、縁結び、夫婦円満、家内安全の象徴として親しまれ、本日も神木の前で記念撮影をする人が絶えない。本殿は創建の時にどのような様式にするか検討され、オーソドックな流れ造りになったと言う。大社造(出雲大社)は一地方の様式であり、神明造(伊勢神宮)は簡素すぎて森林の中に鎮座するには似合わない、権現造(日光東照宮)は神仏習合の様式であるという理由から排除されたそうだ。鳥居に関して思ったのだが、オジサンは、天皇を祀る神社の鳥居は伊勢神宮ように神明造だと思っていたが、そんなことはないのだと自分の思い込みと無知さを恥じたのであった。さて参拝を終えて、東神門を出て神楽殿、車祓舎を見ながら北参道を代々木方面へ向かう。先程の南参道と比べると人の数が疎らになり、空気感が変わり、静けさが増したぶん、風籟や鳥の囀りが良く耳に通(とおる)ようになる。突然目の前に生物が現れても不思議ではない雰囲気である。人の数でこんなにも自然の<気>に変化が現れるものなのだなと、驚きと少し感動を覚えるのであった。北門の鳥居を出ると、目の前にはすぐに代々木のオフィス住宅街が、面白いのは右側には、神社の大本(おおもと)神社本庁のビルがあり、山の手線を挟み対面(トイメン)に共産党本部ビルという水と油の両陣が向かい合わせで存在していることである。オジサンの直観だが、北(裏)参道入口は緩い谷になっており、このサークルには、何か独特の空気感が漲っているのである。ここから信濃町の外苑まで、JRの沿線沿いが北(裏)参道といわれる道になる。実は創建当初、この北側は外苑と直接接続しているため、こちらを正参道とする計画だったが大鳥居が本殿から<鬼門>にあたる東北になるため反対意見が出て南側が正道になったそうだ。そして、現在ある表参道は、外苑とは何ら貫通することなく、浮いた参道のまま、日本一のお洒落な道としてその存在価値を示しているという皮肉な現象を引き起こしているのである。
 さて、亀歩きで外苑まで、ゆっくりと歩くのだが、神宮外苑というには、少し距離が離れていませんかというのが歩きながらのオジサンの感想である。それならば現在の代々木公園を外苑にした方が良かったように考えてしまうが、果たしてその当時代々木公園はどんな状態だったのか調べられなかったので、ここでは話を控えるが、オジサンの足で信濃町の外苑の入り口まで30分、かなりあったのであった。そもそもこの外苑は、内苑が御祭神の御神霊をおまつりし、御神徳を仰ぎ敬うことを目的であるのに対して、御祭神の御聖徳を永く後世に伝え、国民の体力の向上や芸術文化の普及となるべく、多く方々の心身の健康に寄与するために存在する空間とのこと。故に聖徳記念絵画館、明治記念館、国立競技場(元明治神宮外苑競技場)、明治神宮球場、秩父宮ラグビー場等文化健康スポーツ施設が多いのだが、これは当然のごとく国立競技場以外は明治神宮が運営している。例えば、明治記念館は神宮の宮司、巫女さんが派遣されて神式の結婚式をあげてくれるそうである。蛇足だがオジサンの両親はここで結婚式をあげた。しかし、この度、ゆったりと外苑散歩と相成ったが、さすがに銀杏(イチョウ)並木は良き塩梅の風情があったが、内苑と外苑との関係性が、この100年を経てぼやけてしまっているように思うのである。この原因は何か、内苑は壮大な<永遠の杜>に囲まれた厳かなご神徳を祀る不易な空間として変わらずに時が止ったまま在るのだろうが、この外苑は、現世の流行空間なので危うさを抱えるのは当然だが、もし、明治神宮が内苑と外苑がシンクロしたセット空間であるのならば、今後の外苑の姿をもう少し見直した方が良いように思うのである。このまま外苑なるものの特徴が消えてしまい、何ら周辺の俗なる空間と変わらないものに現象していくならば、内苑が神域としての存在感を増しているだけに、それは残念なことのように思われる。オジサンの私的な感想では、北(裏)参道を、もっと明確に参道らしく二つが貫通し結ばれているのだということを民に知らしめるべきなのではと思うのだが如何なものか。きっと芭蕉の句が<不易流行>という神髄で永遠に生きて続けるように、日本一の<不易流行>空間として、その存在感を増しもらいたいものである。最後に國學院高校が何故にあの場所にあるのかが何となく理解できたのが今回の散歩の収穫であった(ほんとうに蛇足です)。

                            

参考文献

『明治神宮の出現』(山口輝臣著 吉川弘文館刊)

『明治神宮-「伝統」を創った大プロジェクト』(今泉宜子著 新潮選書)

『東京日和 写真集 明治神宮編』(中尾信之著 B07TMPHPTL)

「明治神宮小考-後ろでつなぎあわされた特異な二元的<公園>について」(原瑠璃彦 山口情報技術センター)