月別アーカイブ: 2020年5月

失われるのは週末だけでなく……。

 アル中である。
 毎日日が暮れると酒に走り、今は昼間も事あるごとに、何らかの理由をつけて(都合のよい)飲んでしまうことが多い。タバコはふっとしたきっかけで12年前に止めることができたが、酒はダメである。と言うか私にとって酒の無い人生など、クリープの無い何とかやらではないが、<気>の抜けたサイダーのような味気ないものだと思っている。
 ただ私の場合アル中でも<ここまでは>と、この一線を超えたら<マズイ>なとい意識が常に<ある>から良いが(体験で)、ただいつか気持ちが折れ本格化するかもしれない恐怖は抱いている。
 そして私の中に、そういう人々(アルコール中毒者)をもっとその渦(アルコールに引き込む)に巻き込んでしまうイネーブラー(Enabler)※1的なところがあると、ある精神科医に言われた時はただただ唖然とした。
 精神科医が言ったように、私の前には、常に本格化アル中予備軍が現れていたような、いるような気がする(ほとんどはかつて羽振りがよかったこともあり、私に近づけばタダ酒が飲めると思い寄ってきたと思うが)。故に、数人のアルコール依存症が本格的に中毒者(病人)になっていく経緯を目の当たりにした。
 作家の安倍譲二氏は「アル中は、薬中(覚せい剤)よりもたちが悪く、悲惨である」と語っていたが、私のそばに薬中がいないので何とも言えないが、アル中の末期患者(全て荼毘に服した)を見た経験から、彼の言葉は確かだと思うのである。

  1. 飲む場所ならどこでもついてくる。
  2. 固形物が喉を通らなくなり、ほとんど少々のツマミで酒を飲むようになる。
  3. 米を食べる時は、納豆やメカブ等のネバネバ、生卵、お茶などで流し込むようにしてしか食べない。
  4. 飲んでない時には<活気>がなくなり、顔に<正気>がなくなる。
  5. 酔うと、所構わずオシッコを、酷い時は大便まで漏らしてしまう。
  6. 幻覚、妄想が頻繁に起こってくる。強迫神経症の症状。
  7. 夢遊病者のように、外を徘徊しだす。

 1、2、3、4は末期に入る兆候で、5、6、7はすでに末期。薬中末期と同じ症状である。
 末期に入ると、完全に断酒しなければ寿命は5年ほどである(しかし、薬は手に入れるのは手こずるだろうが、酒はどこでも簡単に手に入るのである。断酒などできるわがない)と医者に聞いたが、確かに私の周りの末期アル中病者は、皆4、5年で旅立ってしまった。その原因は私にもあるのである。私が誘い出して飲みに連れて行かなければと……。しかし、飲みたくて私に近づいてくるのである。断固あいつとは飲まないという意志を持てばと……。しかし、私も呑み助なのである。金の切れ目が縁の切れ目ならぬ、酒の切れ目が縁の切れ目なのか、何とも果敢ないものである。
 「十郎さん、あなたが彼を救いたいなら縁を断ちなさい。そして彼の家族にすべてを委ねなさい。」そして縁を断ち切ることができず、私は彼が欲するままに飲ませたのである。
 「好きな酒を好きなだけ飲んで、良い人生だったのではないか」と慰めてくれる人がいるが、今でもどうにかできなかったと時々情けなく思う。
 日本社会は酒に甘いと言われるが、まだまだ末期アルコール中毒者の恐ろしさを理解していないような気がする。自分が仕出かしてしまったこと、私もそうだが、その<恐ろしさ>を認識しつつ、失われた週末※2ならぬ、人生の終末にならないように、昼酒ならぬコロナ自粛酒で、失業者とアル中だらけのニッポンにならにならぬよう楽しい酒を飲むべきなのである。

※1イネーブラー(Enabler) 依存症者などに必要以上の手助けをすることで、結果的に状況を悪化させる人。頭では彼、彼女のアル中を治したいと思っているのだが、逆に手助けしてしまう。つまり彼らのアルコール中毒を促進してしまっている。
※2「失われた週末」 ビリー・ワイルダー監督、レイ・ミランダ主演、1945年アカデミー賞作品賞受賞映画。売れない小説家はひどいアルコール依存症で実兄や恋人の協力も無に終わる。酒欲しさに他人の鞄に手を出し、商売道具のタイプライターを質に入れ、やがて病院に収容され、そこを脱走すると幻覚に悩まされるようになり、ついにはピストルで自殺未遂。アル中病者の内面の葛藤を描いたリアリズム映画の傑作。

投稿記事

勝手気ままな俗流「東京人」論

 「東京人」という言葉がこの世に現れたのは、いつ頃だろうか。推測するに1980年代のバブル期あたりだったのではないだろうか。そのころフランス現代思想やポストモダンなどといった思潮が流行し、盛んに建築や都市論が語られ、「東京」も様々な切り口で論じられるようになり(多くは江戸からの連続性を強調したものが多かったが)、「東京人」(都市出版社刊)という雑誌まで発刊され、今までの都市流入民(都市に生きる人)とは違う、東京に腰を落つけた人々が東京のことを、まじめ?に意識するようになって現れ出た言葉のように思うのだが、如何であろうか。
 「いや東京人は戦前からいたんだよ」と言う人もいるが、それは「江戸在」からの続く東京人で、所謂「江戸っ子」と称される人々、当然「東京人」ではあるが、その頃、彼らが「自らを東京人」などと言っただろうか。現在の「東京人」とその頃の「東京人?」とは、どことなく乖離があるように思うのである。
 そんな流れの中、私も現在(いま)「東京人」とはどういう人を言うのだろうかと考えることが多々ある。
 まあ「江戸」から継承された都市「東京」もすでに150年という時の流れを経たと同時に戦後70年たち、戦後初期都市流入者から数えて三代目が既に50歳台になりつつあり「江戸っ子」ならぬ「東京っ子」といってよい存在が現れてきた。故に「個性や普遍性」(土着性か)を持つようになり、「東京」という言葉で包みこめる人間が現存するようになってきたからこその言葉と規定したならば穿(うが)ちすぎか。
 でも、やはり東京に「生」を受け、59年という歳月暮らしていると、こんな私でも「東京人」という人種も確かに存在しているような、その言葉、確かに「リアル」になってきたような気がしないでもない。
 それでは現在の「東京人」とはどんな人を言うのか。
 それこそ茫漠として、一概には語りにくいが、私の現在の「東京人」観を述べてみよう。ただし俗流であることをお許し下さい。
 目立たない人、派手でない人、恥ずかしがりやで、それでいて批評、議論好きである。讃岐・関西うどんの汁が嫌いで、さつま揚げや粉ものがそれほど好きではない人(お好み焼きより、もんじゃ焼きのほうがどちらかというと好き)。場所にも特色があり、山の手と下町では未だに「東京人」でも人種が違い、両方で案外と互いを軽蔑していること。頑張ったり、出世したりするのは自分に肌が合わないと思っている人。だから仕事があまり好きでない(特に下町)。親から貰った持ち家に住んでいる幸福な東京人(西南地区に多い)は、やけに王道を馬鹿にし、マニュアックなものを好きな人が多く、何故か自分のセンスに絶対の自信を持っているのだが、実は王道を知らないので本質が突けないという頓馬な輩なのである。そして余り冒険は好まない、というか気が小さいだけなのである。エリートはだいたいリベラルで社会民主的でエコロジストで化学調味料など許せないなどと御託を並べる(特に間違って大学教育を受けてしまった女性に多い)。下町のエリートは何故かコンサバティブで少し右翼的な人間が多い(共産党、公明党シンパの庶民を見すぎているせいかもしれない)。こちらは化調が好きで、旨味調味料の入っていない気取った料理(高級店ではなく、一般店の料理)を「屁をしたような料理」と馬鹿にする。しかし、時代は自然派に傾き、喫煙者が喫煙所を探すように、化調の店を日夜探しているのである。故に<味の素>が調味料としておいてある店に歓喜するのも下町エリートである(お新香に味の素をかける母親の味の記憶がいつまでも……)。
 「東京人」は集合写真を撮る時は一番脇にいきたがる、中心に近づくことを「野暮」だと思っている。
 口には出さないが、「東京人」は田舎者根性(単なる田舎者は好きである)が嫌いであること(これは明治はじめに成島柳北が薩長の厚かましい田舎者を嫌ったように、ズ~と続いているのである)。例えば最初は優しく受け入れるが胸襟を開くとすぐ甘えてくる田舎者にいつも閉口し、なぜか飲み屋のマスターと親しくなりたがり、親しくなるとすぐ俺の馴染みの店のような態度に出る田舎者を密かに鼻白んでいるのである。東京のラーメンは不味いと言って、自分のご当地ラーメンが一番と、それしか食べられないと自慢する田舎者(九州人が多い。それしか食べられないのはお前が味音痴だからだろ)など数え上げたらキリがない。故に六本木や渋谷、原宿、三軒茶屋、下北沢のような田舎臭い(田舎者が多い)街が大嫌いである(だから田舎者があまりいなかった昭和3040年(前半)代の渋谷を懐かしむー6070歳台)。熱くならないで人生を諦観している態度(ようす)なのだが、たまに訳の分からないことで興奮することがあるのが「東京人」。やはり議論や理屈は好きなのである。
 これって、ただの嫌な奴で、男ならモテない奴の典型ではないか。
 そう、これが私の「東京人」の、まあ一つモデルなのである(一つのであるからまだまだあるが)、ホンマかいな。

投稿記事