<氣>が気になる。
50歳を過ぎた頃からだろうか、すごく<氣>の存在?が気になりだし関心を持つようになってきた。それは、単純な生活体験から根差しているのだが、ある同じチェーン店の食堂の2店舗で同じメニューを食べる機会があった。奇妙なことに明らかに味が違い、A店舗の方が美味しかったのである。偶々その時は私の体調の変化があり、そう感じたのであろうと気にはとめなかったのだが、何度かまた繰り返しその2店舗に行く機会あり、また同じメニューを食べると同じようにA店舗の方が美味しかったのである。同じチェーン店でありながら明らかに違っていたのである。チェーン店なのだから、素材もレシピも皆同じなはずであるし、自分がA店舗に義理を持つ何物もないのであるから、公平なのは確かなのである。しかし、やはりB店舗の味はAよりも落ちるのであった。
その原因は何だろうなと気にとめているとき、居酒屋のチェーン店を展開している「和民(ワタミ)」の社長(渡辺和美)の話を聞いて「なるほど」と思う機会があった。社長曰く「チェーン店で全て同じ味を出そうと努力しているのだが、いくつかの店舗で、必ず違った味になってしまう。それは店舗とそこに働いている従業員の<氣>の作用で、味のチグハグになってしまうではないか」と、私の体験もこれかなと妙に納得してしまったのだが、それを証明する証拠(エビデンス)もないし、どんな科学的な検証をしても、はっきり掴めないのが<氣>の作用なのであろう。
そんなことを考えていた時、もう一つ、<氣>なるものがまったくなくなった人に直面した過去の経験を思い出したのである。
それはかれこれ20年前ぐらいになるが、ある大学教授の本を私が編集中、その当の教授が自殺をしてしまい、ひょんなことから私の前にその大学教授の愛人が現れたのである。その愛人から新宿の喫茶店に呼び出され、その人は半ば泣きながら、彼との馴れ初めやそれまでの経緯、はたまた一緒に北海道で心中未遂したことなどを私に話出したのである。「一緒に死のうと言ったのに、なぜ彼だけ」と「私ももう生きてはいけない」と涙を溜め、息を詰まらせる。私は当然のごとく返す言葉がないのだが、何とか「でも、一人で死んでいったのだから、先生はあなたには生きていて欲しかったのではないですか」と慰めの言葉にもならないことを吐き、その場を繕った。その時、はじめて、存在は目の前にあるのだが「死んでしまっている」人を見たのであった。そして、私がこの場で何と言っても、この人は必ずすぐこの世からいなくなるなと思ったのである。なぜなら「ユウレイ」なのであるから(私はこの時これが「ユウレイ」というものなのだなと妙な感心をしたものである)。
一週間後、彼女は新宿の小さなアパート(先生との蜜月の場)で首を縊ったのであった。その時なぜ彼女がもうすでに「死んでいる」と感じたのか、今から思うと彼女の身体から確かに<氣>なるものが消滅していたように感じたからだ。
そして、最近母親の死に直面して新たに、また、<氣>なるものの現れを感じる機会があった。母は88歳で亡くなったが、死の半年前から寝たきりで、食べ物も流動食になり、みるみる肉は削げていき、最後はミイラのように骨に薄皮一枚の姿で息たえたが、その死の三日前に見舞った時、片言私に話かけた瞬間、母親の身体からスーッと「何か」が抜けていくのを感じたのである。これこそ気のせいかもしれないが、今になると、明らかに<氣>なるものが抜けた瞬間だったのだなと思うことがある。
必ず<氣>はあるのだが<氣>なるものは正体を見せないのである。しかし<氣>なるものは必ず存在すると、それからいくつか<氣>についての文献を手に取り読み続けているのだが、やはり<氣>の正体なるものを未だに掴めないままでいる。
<氣>というものの発想の源(オリジン)は、多くの方がご存じのように、古代中国の「易経」からで、その後「老荘思想」の中で少し触れられ、道教(タオ)に実践的(気功)にも取り入れられた。その後、中国の宋の時代の朱熹(1130年10月18日-1200年4月23日)が理気二元論として<氣>を理論だて、朱子学を完成させる。日本にも<氣>の観念は古代よりあり、平安朝の陰陽師などの占いの中に、また江戸時代には儒教思想(朱子学)が幕府の御用学になると、多くの学者が<氣>の概念について語るようになった(熊沢蕃山、伊藤仁斎、貝原益軒、
それでは<氣>とは何なのか?気になってしょうがないのである。
<氣>の探究の旅はしばらく続きそうである。
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