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宿命とは、しょうがないということなのか?

 緊急事態宣言も解除され、桜も満開だというので朝早くから浅草経由で隅田川方面へ歩いてみた。浅草も本日は朝早くからの人出の数から鑑みるに、相当な賑わいが予想されそうである。こりゃ二週間後は、見飽きた急上昇のコロナ感染図を見せられるのかと他人事ように思い吾妻橋方面へ。いつもながらこの橋からの風景は絵になるなどと感慨ぶかげに下流の両土堤側の満開の桜を眺め 、隅川土堤から隅田公園の人混みを徒然なるままに歩く。さて目的は達成したが、この後はどうしようと連れとベンチに腰掛け思案する。スカイツリー方面へ歩こうかと、腰を上げたが、急に思い立ち東向島方面へと行先を変える。私の中では「鳩の街通り商店街」への再訪という目的が固まったからだった。水戸街道を下りながら、この街が数年前に訪れた時とどんな変貌をしているのか確かめたくなったからである。
 「絶滅危惧商店街」という言葉があるのをご存じだろうか。都市の変貌で、以前栄えていた商店街に人通りがなくなり、俗にシャッター通りなどと揶揄され、消滅寸前の商店街を言うのだが、地方などでは駅前に多く(自動車通りの郊外型マーケットに客足を取られてしまう)、都市部では開発が遅れてしまったというか、見捨てられてしまった所に目立つのである。「鳩の街通り商店街」はその典型で、数十年前から、歩いている人は、地域住民以外は、この特殊性(元は青線地帯※1だったところで、永井荷風の小説や吉行淳之介『原色の街』の舞台、私たちの世代以上では木の実ナナが生まれた所で知られているかな。)のため興味本位で観光がてらに一見客として街を歩いている人だけであったように感じる。ただ、数年前に訪れ時には、若い人たちが使われてなかった仕舞屋をお洒落なカフェにしたり、モダンな古本屋を開業したりして、街の再興を測っていて頼もしく感じたものである。私はその古本屋で安価な小説を3冊買い、若い店主といくつか言葉を交わし店を出たが、ここで家賃を払いながらの古本屋はキツイだろうなと、いらぬ老婆心をはたらかせながらも長く続けて欲しいなと、街を後にしたのであった。
 「鳩の街通り商店街」へ入ると、土曜日のお昼時なのに、いや、だからなのか人通りがほとんどなく、200メートルほどの商店街は以前を訪れた時よりも店が少なくなったような、そして住宅に変わってしまった処もある。練り物屋、魚屋、クリーニング屋、小さなスーパー(客はゼロだった)が細々と営業していて、地域住民には助かるだろうが、コロナ禍を考慮にいれても商店街は崖っぷちという感じは否めなかった。よくテレビや雑誌などで取り上げられ有名なカフェは営業していたが、お目当ての古本屋は跡形もなく消えていた、というかどこにあったのかという場所さえ特定できない始末だった。あの古本屋はひょっとすると私の頭の中の願望で、そもそも存在しなかったのではないか、果敢ない夢だったのではと……。商店街は、危惧というより、私の中で<無常観>さえ漂わせていた。ここもいつのまにか商店街はなくなり、<鳩の街>という名前の記号だけが残り、何十年後には訪れてみても、その形跡さへ残すことなくなってしまうのだろうか。そんな感慨にひたりながら、人混みが多いだろうスカイツリー方面へ足を進めた。
 都市の変貌は<宿命>であるという言葉がある。ただ、だれも変貌することを喜んでいない変貌とは何なのだろうか。古い建物が壊され更地になり、すぐに共同住宅(マンション)に変貌する。都市はどこもかしこマンションだらけになる。まともな人間ならこんなにマンションを作って将来大丈夫なのか心配になるはずである。大型都市開発はどでかいビルを作っても中身のテナントは変わり映えしないオフィスと、みなどこにでもある大資本のチェーン店ばかり、そして「こんなところ仕事でくるのだからどうでもいいよ」というサラーリマンの呟き声が聞こえるのである。これで何か目新しいものをつくっていると思っている人はよほどのバカだろうと思うのだが、この原稿を森ビル関係者に読ませたいものである。
 知り合いのゼネコンに勤める友人にズバリ質問すると、「そんなの大丈夫なわけないでしょう。ただ金を回すために作っているんですから」と平然と嘯いて答える。「将来のことより、誰だって現在が大事なんだから、しょうがないんですよ。ただ売れるんですから、需要があるということですよ、人が欲しくないものは供給しないわけですから、これ資本の論理でしょう」と彼はまったく誰も否定しようのない合理的な意見を言って苦笑していた。ということは、都市の街が開発と同時にどんどん面白くなくなるのは、これは需要があってのことであり、人々が望んでそうなっているということに行きつくのでろうか。しかし、数十年後、誰がこんなにマンションを作ってしまったのだと大問題になり、戦犯探しがはじまった時、きっと「わかっていたんだけと、しょうがなかったのです」と誰の責任か不明のままウヤムヤニなること(失礼だが、予想した本人はこの世にいないだろうが)が目に見えるようである。まさに、あの無惨な戦争が終わった時のように……。
 ソクラテスは言う「わかっていて、やらないのは、わかってないのである」と。
 先日何十年ぶりに大学のあった江古田の街へ行った。駅は小奇麗になったが、昔の情緒的風情はなくなり、どこにでもある金太郎飴のような特徴のない駅に変貌していた(きっと西武線沿線はどこでも同じ表情の駅になっているのだろう)。また同時に街も北口の戦後闇市風マーケット(市場)はなくなり、ノッペリとした<氣>や凸凹ひとつない街に変貌し、「江古田スケッチ」(これ良い歌です)に歌われた情趣などどこにあったのだろうかという街になっていた。
 私はただノスタルジー(郷愁)だけで言っているのではなく、人々は、何で詰まらない方に向かっていくのかと、場所だけではない、今更言ってもしょうがないが(また出た)駅名という記号でも、東向島駅でなく玉ノ井駅であり、東京スカイツリーではなく業平橋スカイツリー(この名前だから東京タワーに勝負できるのであるーこの感性を理解してくれる人は少ないが)。高輪ゲ―トウエイでなく芝浜駅だろう。これはただ単に保守的なだけじゃないかとおっしゃる人もいるだろうが、そうではなく私たちのイメージの広がりを言っているのである。新しい駅名のほうがイメージが広がるとおしゃるならそれでいいが、そんなことは絶対ないと思うのである。高輪ゲートウェイなど、この後の駅前開発が進行しても、最初の騒ぎだけで誰も振り向く人もなく名前さえ忘れてしまうのではないか。ところが芝浜駅にしたならば、人を駅に寄せる様々な企画が生まれたことだろうと思うと残念でならないのである。これが歴史連続の新しさというものなのだが、出来る前から古くなってしまう駅と街とは何なのだろうか、これもしょうがない開発というのだろうか。―まさにお台場が30年ぱかりで古臭い匂いを発してきつつあるように……。高輪ゲートウエイは何年でその古さを醸し出すのだろうか。
 私たちは、決してしょうがないという気持ちで前に進んではいけないし、すぐ古くなってしまう安易な新しいものを作らないように注意しなければならないのである(これは非常に難しいが)。そうしなければ、ノッペリとした質感のない幾何学的な人間世界が広がり続けていくだけのような気がする。如何だろうか。
 宿命とは決して、しょうがないことを言うのではないだろう。

※1 青線地帯―昭和33(1958)年「売春防止法」が施行される前は、特殊飲食店として売春行為を許容、黙認する区域を地図に赤い線で囲み、これら特殊飲食店街(特飲街)を俗に「赤線(あかせん)」あるいは「赤線地帯」、「赤線区域」と呼び、それとは別に非合法で売春が行われていた地域を青線地帯、青線区域と呼ばれていた。

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