外資系高級ホテル編
最終章「ニホンジンダイジナコトアイマイ二シテ、ダイジジャナイコト二コマカイネ」
年が明け2月になると、ホテル業もお客の入りが悪くなると同時に、当然だが私たち清掃業の仕事も少し暇になってきた。そんな時班長の伊藤が辞めることになった。そして、三上は新たに子飼いだろうか、三人新人を連れてきた。三上は着々と自分の絶対権力を行使できる体制を作りつつあった。高木さんの話によると、この3か月前から伊藤は会社に呼び出されることが多くなり、班長としての仕事が緩いと会社側からお叱りを受け続けることが頻繁になったそうである。最大の辞職の原因は控室の机の上でウトウト居眠りをしているところを三上に見つかりすぐに会社に告げ口をされたことだった。「そのぐらいのことを会社に告げ口するかよ」と高木さんは呆れかえって憤懣やるかたない表情だった。伊藤が高木さんに一言「三上には気をつけろ」という言葉を残し会社を去った時、ふっと趙さんの顔と「ゼッタイ、アイツヤッタネ、ワタシミタノヨ」という言葉が浮かんできた。
三上が連れて来た小飼いの新人たちは彼に指示されているのか揃いも揃って私たち古いメンバーに近づいてくることはなかった。三上もまた彼らと私たちをコンビにするシフトを決して作らなかった。彼らはまさに忠犬のように彼に従属していた。3人が3人とも、どことなく能面のようにノッペリして表情がないような感じがしたがそれはこちらの思い過ごしなのかもしれない。しかし彼らの態度には自分たちはお前等よりスキルが高いのだという誇示が行動の端々にはっきりと表れ出ていた。こちらはちっともスキルが高いとは思わなかったが三上がそれを保証していたのであった。
案の定それは、それぞれが疑心暗鬼になり組織全体がギクシャクする要因なり陰気な空気を漂わせつつあった。
三上は外国人労働者にも容赦がなかった。とかく仕事が粗くなることが多い彼らに、朝礼で叱りつけ、正確な仕事をするよう促すのだがその方法にいちいち棘があった。
話が内部事情にばかり偏りだしたので、少し話をホテル客のほうに傾けよう。高級ホテルに限らず、どこでもサービス業はクレーマーに悩まされるのであるが、さすがに高級なだけあって、そのクレーマー比率は他の一般サービス業より高いのではないかと思う。クレーマーでも前向き(ホテルの今後のための正当なご意見)なものならいいのだが、当然のごとくそのほとんどが何の発展性のないワガママな難癖や強請りでしかないのだから困るのである。
そして一番クレームをつけやすいのが、まさに私が関わっている清掃に関してなのはお分かりであろう。「どこどこに毛があった」「床が濡れていて滑って転んでしまった」「トイレの便器に○○チがついている」「プールの水が臭い」「サウナのボディーシャンプーが身体にあわない」等、些末なことを挙げたら切りが無く、その都度お客様に謝るしかないのだが、どう考えても強請(ゆすり)タカリに過ぎないものも偶にあり、ホテル側の対応も大変なのである。
その中で私が聞いた中で一番のクレームは、「子供が目を離した隙にいなくなってしまったが探してくれ」と言ってきた両親がいた。ホテル側は何人かの従業員を動員し捜したが見つからない。さてどこにいるのかと捜査難航していたが、ベットメーカーが昨日泊まった部屋で子供を発見。事なきを得たのだが、この両親何が気にくわないのか子供がいなくなったのはホテル側の責任だといい宿泊代の返金を求めてきたそうだ。さすがにホテル側も何故ホテル側に責任があるのかが皆目分からず返金には応じなかったが(当たり前である)。彼らの言い分だと、ホテル側は、私達がファミリーで宿泊しているのを知っているはずなのにチェックアウトの時にフロントは何故子供のことを聞かなかったのか、そこで子供がいないと気づいていれば、私たちもすぐ部屋に引き返したであろう。それを聞かないために、子供がフロントにいると思い買い物に行ってしまい子供のことを気づくのが遅れてしまった。それはホテルのフロントに過失であるという言い分だったそうだ。私はさっぱり意味が分からないというか、それ以前にこんな理屈が通ると思っているこの両親の頭の構造が分からないのである。しかし、このアルバイトに入って様々な人間を見てきたのでこれっぽっちの事では驚かなくなった自分であったが…。
それから、もうひとつ凄いのは、このホテルに泊まって朝起きたら風邪を引いてしまったので宿泊代は払えないという、ヤクザまがいの(いやヤクザでもこれはない)難癖をつける人間が多くいるということだ。こんな事に対応して、タダでホテルに泊まらせていたらホテル業はこの世から無くなってしまうだろう。これは冗談でも何でもないが、強請(ユスリ)タカリの難癖もどうせつけるのなら、もっとまともにリアルなものを考えてもらいたいものである、いやはやこの世は不気味である。
三上が班長になり2カ月が過ぎようかと言うとき大事故が起こった。起こしたのはよりによって荻野だった。事の起こりはただ荻野の不注意なのだが…。バキュームを持って、エレベータに入った時にそのコードを床の隙間の穴に入れてしまい、それが外の鉄柵に絡まり、エレベータが上昇しようとした瞬間、バキュームが天井高く持ち上がりパタリと止まってしまったのである。
荻野は慌てて絡まったコードを解こうと、必死もがいたが、今度は彼の足にコードが絡まり、二進も三進もいかず、そのままエレベータの床の上に尻餅をついて、彼自身も身動きが出来なくなってしまった。
エレーベータが止まってしまったために、ホテルじゅうが大騒ぎになり、メンテの作業員が来て荻野が解放されるまで1時間を要してしまった。
絶対にあってはいけない事故であった。ただ彼がちゃんとしたバキュームのコード管理をしていればよかったのであり、それを怠った彼に全ての責任があったのである。
その事件で、荻野は自宅謹慎になり当然のごとく首を言い渡された。喜んだのは三上であろう何の策を弄せずに荻野を辞めさすことが出来たのだから。しかし班長としての三上の責任は一向に問われずにこの事故を解決したのが解せなかった。
荻野が首になると、すぐにまた新人が入ってきた。三上は着々と自分の世界を作ろうとしているように見えた。
朝の飲み会は、首になった荻野のお別れ会になった。班長伊藤が辞め、荻野が首になり、次は誰だろうということがしきりに話題になってきた。高木さんはモンゴルが危ないと言いながら、ひょっとすると俺かもしれないと皆を笑わせていた。私は、荻野の次に相性が合わない俺ではないかと呟くと、大橋が「確かに」と肯くので、大橋の頭をツッコミ叩きしてやった。
気になるのは毎回のように来ていた田中が、この所めっきり飲み会に参加することがなくなった。皆思っていることは同じだった「あいつ三上と相性が合うからな」と荻野が言うと、一瞬場が静まりかえったので、
「あいつらしいよ」と私は呟いた。
大橋が「長いものには巻かれろ、ですかね」と言うと、
すぐに「大橋お前よくそんな諺知ってるな、漢字知らないくせに」と荻野が茶々をいれる。
「そのぐらい知ってますよ。でも俺エレベータ止めませんから」と大橋が言うと皆大笑いなった。
「うるせいや」と荻野は吐き捨てるように言いながら苦笑した。。
「しかし、大橋はひょっとするとお前は残るかもな」と高木さんが皮肉を言って笑った。
突然大橋が
「三上って、最初の頃から会社側のスパイだったんじゃないですか」と大橋にしては鋭いことを言い出した。
「そう言えば伊藤が現場への入り方も普通の新人と違かったよと言っていたな」と高木が赤ら顔で言った。
「でもそう考えると辻褄があうよね」と私はもう一杯と店員の女性に焼酎のお代わりの合図をしながら言った。
「それじゃ前にあいつがいたころ、休憩室で喋っていたこは全て会社側に筒抜けだったということ」荻野は呆れ顔した。皆が当時のそれぞれの発言の記憶を辿りだすと同時に静寂が訪れた。
「オイオイオイ、俺相当なこと言ってるぜ」と荻野が言った。
「だから首になるんだよ」と高木さん。
「いや荻野さんはエレベータを止めちゃったからですよ」と大橋がまた茶化した。
「ほんとうに、お前だけにはそれを言われたくないよ」と情けない顔を大橋が言うとドット、場に笑いが起こった。
「俺の勘だけど残るのは、松永さんと田中と大橋じゃないか」と高木さんはいった。
「何故俺が残るんですか」と不満そうな顔で大橋が言うと
「お前馬鹿だから」と荻野が笑った。
「でも俺エレベータは止めませんよ」と大橋が膨れた顔で冗談を飛ばすと
「だからお前にだけは言われたくないって言ったろ」と荻野はテーブルを軽く叩いた。
荻野と大橋の掛け合い漫才が終わるとそれぞれが勝手気ままにどうでもいいことを喋り出し会は解散した。
店の外へでると、昼前なのに空はどんよりと曇り、2月の寒さが身体の芯に触れた。まだまだ春は遠かった。私はまた趙さんのことを思っていた。あの時はまた中国人が訳が分からないこと言っていると半端馬鹿にしていたところがあったが、一連の会社側と三上の行為が本当ならば何と薄汚い人間たちだろうと思い、趙さんの「ニホンジンダイジナコトアイマイ二シテ、ダイジジャナイコト二コマカイネ」という言葉が甦り、趙さんの「ダイジナコト」とはひょっとするとこのことだったのかもしれないと、やるせない気持ちになってきて家路を急いだ。
そして、この時は3年間のアルバイトの終焉があと10日後ほどで訪れるとは予想だにしていなかった。
その日アルバイトは非番だった。軽い昼食を取り机で送られてきた健康食品のパンフレットを眺めていた時だった。下から突き上げてくるような揺れが一回起こり、本棚に立て掛け、置いていたガラス額縁の絵や花瓶、時計などが一瞬のうち床に落下し、重ねておいた本も雪崩のように落ち散らばった。「これは尋常ではない地震だ」と一瞬悟ったが、驚きでなす術がない。今度は2,3度大きな揺れが起こり、台所の食器棚の食器の重ね合う音が耳に入る。揺れの大きさに「ひょっとしたらもうダメかもしれないと」思いながらも、ただ四辺(あたり)を硬直した身体で眺めていることしか出来なかった。5分ぐらいそのような状態でいた。幾分揺れは小さくなったが余震は続いていた。外では消防、救急車の音(サイレン)がひっきりなしに耳に入ってくるだけで異様な静寂さであった。
今までに経験したことのない地震の揺れだった。居間に行きテレビをつけると世間は大変なことになっている。2011年3月11日、現在では東日本大震災といわれている天災は私の前ではこんな形で始まった。
テレビでは刻々と天災の被害状況が伝えられていた。東北の太平洋沿岸は津波被害で犠牲者が続出し、被災者の数もウナギ上りで増えていった。東京の交通は完全に麻痺状態になっており帰宅難民たちの疲弊した姿が映っていた。
アルバイト先は大変なことになっているのだろうなと心配になったが、その情報を知る手立てがない。その日は諦めてじっとテレビに齧り付いていた。
翌日高木さんから、ホテルの惨状を伝えられたが53階の高層ビルの揺れは並大抵ではなく、ラウンジのシャンデリアは振り子のように激しく左右に揺れ、お客はパニック状態で、プールの水は半分なくなり、エレベータ、エスカレータは完全にストップ。お客は非常階段で列になり避難したそうだ、と聞き、清掃アルバイトは全員一週間ほど自宅待機を言い渡されたとのこと。高層ホテルだけあって、ほとぼりが冷めるまで、お客は泊まりにくることはないだろうなと、このアルバイトの終焉も近いなということを思いながら、次の行く当てなどを漠然と考えながら日々を過ごしていた。
一週間たち、会社から封書が届き、開けてみると以下の文面が書かれていた。
宮田十郎様
拝啓
益々ご清栄のことと存じます。さて、この度の未曾有の地震災害で、小社クライアントも相当な被害をうけ営業に支障をきたしているところが多くございます。
あなた様のご勤務の○○○○○○○様も同様に職種柄、外国のお客様の減少で苦戦を強いられている状態です。
そこでクライアント様から、現在の清掃員の数を40パーセントほど縮少したいという申し渡しがございました。
現状を鑑みますとその申し渡しを引き受けざるを得ず、あなた様には誠に遺憾ですが、雇用契約を打ち切らせていただきたく通知させていただきました。
このような時期にあなた様に以上の書面をお送りするのは、大変心苦しい限りですが、何卒ご承知いただければご幸甚です。敬具
株式会社 ○○○○ビルサービス
代表取締役 ○○○○○
東京都港区西麻布○○○○○○
私は通知を読むと、すぐ高木さんに電話を入れた。高木さんにも通知が来てさっき読んだとのこと。またモンゴルの連中にも通知が来たとのことだった。高木さんは、この天災がなくてもどのみち俺たちは首だったろうと言い、あんな三上みたいなやつの下で働きたいかと笑って電話を切った。
2ヶ月後、三上と子飼いの3人と松永さん田中以外が首を言い渡されたのを知った。大橋は通知が来なかったが、侠気があるのか残らなかったそうだ。
震災被害はまだまだ拡大していた。
私の頭には、「ニホンジンダイジナコトアイマイ二シテ、ダイジジャナイコト二コマカイネ」という言葉とお別れの時の趙さんの悲し気な表情がいつまでも残っていた。
終わり