外資系高級ホテル編
第7章 イエローモンキーの醜態
テーブルの拭き掃除も終わり、仕事も終盤午前5時頃、朝陽が45階のお客がいないラウンジの部屋に差し込んで、ホテルも一番落ち着いた時を迎える。
さて、切り上げようと清掃道具を片付けていると、一人の欧米人が静かにラウンジに現れ窓際のソファーに腰掛ける。外を覗いたかと思うと手に持っていた本を読みだす。その姿が恰好がよく、よく見とれてしまったのだが、こういう人はこういったホテルを自然に使いこなしているのだろうなと、その品格に感動してしまうのである。
それに比べて日本人はと、ただただ情けなくなる時がある。 朝、一人で静かに本を読んでいる格好いい日本人を見かけたいものだが、せいぜいスマフォでゲームをしているお兄ちゃんに会うのが関の山であろう。
酷いのは金曜日の夜、サラリーマンが会社の経費を使って集団でバーやラウンジを利用する時である。一人では臆して、こんな高級ホテルなど足を踏み入れられない輩が、まあ集団になると強くなるのがこのイエローモンキーと世界では馬鹿にされている日本人なのである。それも最初は、ホテルの豪華さに気後れして硬直しているのだが、酒が入ったとたん、このモンキーたちは豹変する。大声で喋りだし、喧嘩はするし、従業員に対してやけに横柄になる。そしてトイレは嘔吐(ゲロ)で一杯になり、まさに地方の三流旅館の宴会場さながらの醜態が繰り広げられるのである。
私は酒を飲み騒ぐのがダメだと言っているのではなく、TPOを弁(わきま)えろと言っているだけなのである。そういう姿だけが目立つのが情けないだけなのである。
そんな輩が外国などに行くと、さすがに外国では暴れることができず、硬直したままで帰って来る。まさに島国根性まるだしなのがこの日本人で、戦後70年たって、国際化され、経済では欧米に引け目を感じなくなったなどと言われながらも、日本人の性格は本質的には何も変わっていないように感じるのだが、如何なものか。
そう言えば、かつて自分の会社が儲かった時、社員10人とフリピンセブのリゾートホテルに旅行に行った時、我々一行は、欧米人のようにプールや海辺でじっとしていることができず、「旅へ行くとほうぼう観て歩くのに価値あり」という古(いにしえ)言葉さながら、落ち着きなく町を歩き回り、これでは身体を安めにいっているのか、疲れにいっているのか分からない旅行をして帰ってきた。リゾートホテルは身体を休めに行くところだと思うのだが、逆に疲れて帰ってくるという日本人の典型のような旅行だった。
イエローモンキーは静かに、じっと瞑想状態でいるのがどうにも苦手のようである。この落ち着きのなさが経済成長を導き出した要因(ちから)だと言われれば二の句も継げないが。
高級ホテルで、なぜ嘔吐する人間が多いのかを考えたのだが、ひょっとするとこの以下の結論が正鵠を得ているのではないかと思うのだが如何なものだろう。
まず、多くの人は高級ホテルを利用することなど滅多にないのである。せいぜいラウンジでコーヒーを飲むのが関の山で、まして宿泊するなどというのはよほどオメデタイ時(結婚やクリスマスの恋人とのデート)でないと利用はしないのではないだろうか。そんな滅多に出入りしない場所に訪れれば、目の前のホテルの重厚感と豪華さに圧倒されて、慣れてない人間であれば、誰でも緊張を強いられるのは当たり前である。
そして、その緊張の中でお酒が入ると、だんだんと緊張感は弛み、ついその反動で飲み過ぎてしまう。まためったに踏み入れない非日常空間がそれに尾ひれをつけて身体に影響を与えマックスを越えたあげくに戻してしまう。また、中には、こういう場所だからこそ、嫌がらせで嘔吐や○○チを撒き散らす質(たち)の悪い輩もいるのである。まったくもってどんなものでも正反対のものに犯されやすいのである。
正反対のものに犯されると言えば、このホテルではなく、その後に超高級マンションの清掃アルバイトをいくつか経験したが、なぜか嘔吐処理が多かったのを思い出す。早朝出勤すると入り口付近の垣や庭に、そして道路や駐車場に嘔吐が散らばり、その処理で半日潰れてしまうことが週に2、3回はあったのではないか。同僚と良く「セレブは嘔吐好き」と言いながら渋々清掃をしたのだが、高級(富)と嘔吐(汚物)には因果関係があるようにしか思えないのである。
私はこのホテル清掃の3年間で、様々な外国人を見たり接触してきたなかで気になって考えさせられたことを少し述べさせていただきたい。
私たち日本人が欧米等に旅行した折に、遠くにアジア人(特に東アジア人)がいた時、その彼(彼女)がだんだんと近寄って来るのを見ながら、同じ日本人ではない(これは絶対に確証する)、いや韓国人(8割方当たる)とも違う、彼は中国人だなと推測し、6割方は当たるのではないだろうか。しかし、欧米人がアジア人を見た時、よほどの東アジア通は別として、ほとんどどこの国の人間かは判断つかないのではないだろうか(彼らにとっては全てがチャイニーズだろう)。私たちも、それこそ、あまり接触の少ない東欧人を見て、それがどこの国の人間かは皆目見当がつかないのが当たり前で、ひょっとすると欧州人(ヨーロッパ)と米国(アメリカ)人の区別さへつかないかもしれない。
私も数多くの外国人と接して、中国、韓国人は別として、この人はどこの国の人かと首を傾げることが多かった。しかし、1国だけ遠くにいても確実にどこの国かと認識できる外国人が存在したのである。それはネイティブのフランス人で、彼らはその醸し出す雰囲気、振る舞いで、すぐにお国が特定できてしまうのであった。
当初、私は何故なのかと不思議だった。この東の端っこの日本人がその存在を見ただけで、ほとんどどこの国の人かというのを当てられるということは、凄いことなのである。それは彼らがバッチリお国柄体質のオーラを発散させているということで、こちらがフランス人の表層的類型を予めから知識とし知っているとしても(イギリス人、ドイツ人、スペン人、オランダ人の他の欧州も同様だが、明確にどこの国の人かは分からない)、これは驚愕してよいことなのかもしれない。
実は、私は、饒舌で誇り高く、オシャレなフランス人というのを余り好きではなかったのだが、ホテルでこのような体験をして、フランス人に対する見方にある変化が萌してきたのは確かだった。
もし、日本人が遠い異国へ行って、一人でカフェに入り、その醸し出す振る舞いで、その周囲の人々が「あ、日本人だな」と分かってもらえるとしたらどうだろう(決して、ちょん髷着物姿ではない)。これこそ日本人がグローバルになったということではないだろうか。それでは、それにはどうしたら良いか、その答えはひょっとするとフランス人のお国柄に隠れているのではないだろうかと。
彼は自国の言葉や伝統文化に絶対の自信を持ち、その誇り高さは逆に嫌味な時があるが、確実にその国やその国民のアイデンティーを強固なものにし、その存在意義(レゾンデートル)を養わさせ、身体からフランス人というオーラを発散させるのではないだろうか。
その自信は他国文化に対する閉鎖性を見せはするが(日本のアニメは移入するが、そう簡単にアメリカ文化なぞは移入しないだろう)、日本のような批評性もない節操のない、何でもありよりはまともなような気がするのでる。日本のこのような節操のなさは国民の精神を壊さざるをえないように思うのである。
また面白いことに、戦争になると彼らはすぐ降参してしまった(ドイツの侵略)ことがあったが、それは、負けても自国の文化伝統はお前らの国ごときがどうしようと絶対変わりはしないという逆の意味での自信の表れなのではないだろうか、それは穿ち過ぎか。
それから、もっと凄いのは、彼らが自給自足できると国ということである。自給自足ができるということは、農業(農耕―カルティベイト)を大事にしているということである。この国際協調の時代に自給自足など考えられないとおっしゃる方もいるだろうが、自給自足は究極的な性悪説だが現実主義なのである。それは他国など信じないという思想だが、政治は絶対にこのような現実主義が大切なのである。
グローバルとはひょっとすると自国の文化伝統及び宗教に誇りを持ち、自国民がそれに自信を持ちながら、矛盾なく個の存在意義(レゾデートル)を高めていくことのように思うのだが如何だろうか。
この日本のような糞味噌一緒、何でもありのアメリカ従属国は、それこそ外国へ行ってもチャイニーズ(中国人)ですか、と言われて終わりのような感じがしてならないのである。幸福なことにフランスと似て日本にも他国にはないすばらしい伝統文化があり、いますぐに農業復興が出来る下地があるのだから、少しは自分たちのアイデンティティーを見詰めなおす時期にきているのではないだろうか。それならお前が農業をやっているのかという声が聞こえてきそうだが、それはまた別の話だろう。またこれを悪しきナショナリズムと言いたきゃ言えである。
年明けはじめての出勤で三上と再会した時、初詣で引いたおみくじの凶の実感が沸々と湧いてきてしまった。噂の三上が朝礼で伊東の横に、以前と同じように表情のない陰気な顔つきで立っていた。その横に見知らぬ男が2人立っていた。
「本日より三上さんがこちらに復帰しました。それから前の現場で彼と一緒に働いていた小熊さんと金井さん、中村さんにも一緒にこちらに来ていただけることになったのでご紹介いたします。尚三上さんには副所長として、私の仕事を手伝ってもらうことになりましたので、お伝えいたします」と常(いつ)にない厳粛な表情で伊東が言うと、三上を促した。
「また、こちらに戻ってまいりました。副所長として足手まといにならないよう伊東さんの仕事を横から支えていきたいと思っております。以前と同様よろしくお願いいたします」と殊勝な言葉で挨拶すると、三上の子飼いだろう三人の新人も簡単に挨拶をした。
その後、伊東がまずは三上が1回づつ、それぞれとコンビを組んでもらい、副所長としてメンバー全員の仕事ぶりを把握してもらうので、と言って解散となり、皆持ち場に着いた。まず1日目は田中が三上とコンビを組むことになった。
一週間前から私とコンビを組んでいる荻野が持ち場につくと
「謙虚に挨拶してたけど、島流しになったくせに何で出世して戻ってこれたんですかね」と皆が同様に抱いている疑問を口に出した。
「田中の話だと、向うへいった途端社員になったみたいよ」と私が言うと
「はじめから社員だったという噂もありますね」と荻野は苦笑した。
「よく分からないけど、何かありそうだね」
休憩時間にいる常日頃(いつも)のように、皆定位置に座りそれぞれが自由に身体を休めていたが、三上とコンビを組んだ田中の姿はなかった大橋が三上の子飼いの新人三人が休憩室から出ていくのを確かめて
「田中さん三上の前だから頑張っちゃってるじゃないの」とカップヌードルを啜りながら大橋が言った
「一番三上の子飼いになりそうなタイプだよね」荻野が言うと
「何かああいうタイプにへこへこしそうだね、田中さんは」と大橋が続けた。そこに班長の伊藤が入ってきて、自分のカップにコーヒーを注ぎ終わると席に着くなり眼の前の高木さんに
「まあ、俺もあまり長くないな」と呟いた。
「どうしたの」
「ある程度までいったら、会社側は三上を班長にするらしいんだよ」
「ホント」と高木が目を丸くした。
「さっき部長が来て、そのようなことを匂わせていたよ」
「しかし、島流しにあったくせに、何で三上こんなに会社に覚えがめでたくなったのよ」
「会社側にはそれなりに使いやすい人間なんじゃないの」
「まあ、策士的な要素はありそうな感じだけどね。アイツが班長になったら、俺なんかすぐ馘だろうな」と高木さんはホテルから支給されたレストランの余りもののケーキを食べながら苦笑した。
「高木ちゃんは俺が阻止するから大丈夫だよ」と伊藤は自信なさげな顔ながらも拳を握りながら言った。
高木さんと伊藤はこのホテルく来る前に、別会社のホテル清掃の同僚で、二人ともそのホテルのリストラにあってから、伊藤がまずこのホテルに移り高木を誘ったという経緯があり気心の知れた間柄であった。
「それより糖尿なのに、またそんな甘いもの食べて、マズイよ」と伊藤が気遣って言うと
「身体を動かしているんだから、このぐらいはいいの」と言い訳をしながら二つ目に手を出そうとしたら、荻野が素早くそれを掴み口に入れた。
「ひでえな」と高木さんは悔しそうにしながらも諦めて立ち上がった。
伊藤がそれぞれメンバーが三上とコンビを組む日にちを書いたスケージュール表のコピーを渡していると田中が仕事を終え休憩室に戻ってきた。
「どうだった。田中ちゃん」と伊藤が言うと
「いや、何のこともないですよ」と普段は伊藤と凄く仲の良い田中の様子が少しおかしかった。
何人かのメンバーが三上とコンビを組み終えて、その感想が両極端なのに少し疑問に思ったが、私とコンビを組む当日が来た。午前中は2階ホールで、午後は45階のロービーラウンジを一緒にやることになった。
私は普段通りの仕事をしていた。ただ気になるのは、私が仕上げた場所を三上が黙って観察しながら、時々首を捻る仕草をすることだった。私は心の中で<言いたいことがあるなら言えと>呟きながらも平然と作業をしていた。
午前中の仕事が終わると、三上が突然「宮田さんは何年ここにいるんだっけ」と問いかけてきた。「3月で3年になります」と答えると、「まあまあだね」と三上は平然と言った。「何がまあまあなのですかね」と私は少し声の調子を変えて言うと、「いやいや何でもないです。それでは休憩しましょうか」と促して去っていった。
昔の三上はこんな高飛車ではなかったような感じもするが、さすが偉くなると態度が変わるのか、彼の更なる嫌味な振る舞いと顔付にさすが気が萎えるのだった。
仕事が終わると、三上に清掃控室に来るよう促され部屋に入った。
三上は小さな紙を私に渡した。
宮田さん採点
バキューム 50点
モップ拭き 45点
机上拭き 35点
周囲への機転 40点
きめ細かさ 35点
総合点 40点
とメモ書きされていた。それを見て、「これは何点満点ですか」と口にすると、「100満点です」と表情ひとつ変えず三上は答えた。私は茫然としてそれ以上言葉が出なかった。すると三上は「もう少しスキル高めください、机上拭きなんかだいぶ指紋が残っていましたよ」言った。この男何を基準にこの点数をつけたのか、また何のためにこんなことをしているのか、ただただ憮然としたが、その時はただ黙って「今後頑張ります」と大人の態度で部屋を出た。ちなみに三上は私より20若い34歳であった。いくら年功序列が崩れてきたこの日本の資本主義社会とはいえ、三上の態度には血が上ったが、ただのアルバイトなのだから気にするなと己を慰め、拳を握りしめながらその時は家路に着いたのだった。
この採点のことは、さすがに各々メンバーも堪えたと同時に、他メンバーの点数が気になるらしく、それとなく点数を訪ねあったりしていた。また憤慨しているものも多くその急先鋒は荻野だった。荻野は以前から三上とは相当相性が悪く、年齢も近いせいもあって、内心忸怩たるものがあったのだろう、三上への態度がより一層頑なになり、横柄になってきた。
「宮田さん、あいつどうにかしましょうよ」
「まあ、ここは堪えようよ、どのみち俺たちとは相性がよくないんだから、もっと相手の手の内を観察したほうがいいよ」
私も年上なだけあって、ここは冷静に相手の出方を見たほうが大人だよと、荻野を諭したが、彼の怒りは収まらないらしく、いつも不機嫌な態度で仕事をしていた。彼にそれとなく採点結果を聞くと、何と総合点が10点ということだった。まさに三上は荻野に喧嘩を売ったのである。私は荻野には悪いが彼が辞める日も近いなと予感がした。